文化逍遥。

良質な文化の紹介。

The Byrds

2019年06月29日 | 音楽
 我が家から歩いて10分程のところにある千葉市中央図書館に、ザ・バーズ(The Byrds)の1969年のライブCDがあったので借りて聴いている。
 ザ・バーズは1964年の結成で、ロスアンジェルスを中心に活躍したロックバンド。1964年の結成だが、中心になったロジャー・マッギン以外のメンバーはかなり入れ替わっている。ちなみに、このCD録音時はロジャー・マッギン(Vo,12st-g)、クラレンス・ホワイト(g)、ジーン・パーソンズ(ds)、ジョン・ヨーク(b)、となっている。
 サウンドは、カントリーを基盤にしてエスニック―特に当時注目されていたインドのシタールの音作りを取り入れたりして、当時としてはかなり斬新なものだったと思われる。聞きどころは、やはりクラレンス・ホワイトのギターで、「ストリング・ベンダー」という特殊な装置を装着したエレキギターで、ペダル・スチールに近いような音を出している。しかし、正直言って、いくら「ストリング・ベンダー」があったとはいえ本当にこんなスライド音が出せるのか?とも感じた。曲によっては、ペダル・スチールを使っているのではないだろうか。なお、クラレンス・ホワイトは、元々はカントリーというかブルーグラスのギターリストで、彼の所属したバンド「ケンタッキー・カーネルズ」のCDをこのブログでも紹介している。参考にしたい方はこちらから



 1965年に全米ヒットチャートで1位になった『ミスター・タンブリンマン(ボブ・ディランの作品)』、あるいはピート・シーガーが旧約聖書の1節を曲にした『ターン・ターン・ターン』を含む16曲。すでに半世紀前の録音だが、聴くに値すると感じた。

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千葉公園のハス、2019/6/23

2019年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 今年も、千葉公園のハスが咲いたので、6/23(日)に写真を撮ってきた。







 最近は「ハス祭り」というものが開催されていて、露店などが出たりコンサートなどもあって、かなりな賑わいになってきた。6/8(土)には、夜ハスとかいう催しもあり、写真奥に見える公園内の池の上に特設のステージが設置されてのライブ演奏やダンスなどが行われていた。わたしも、少し覘(のぞ)いてみたがどうしても音が拡散してしまい、ギターの音色なども高音域が響かず、少し無理があるなと感じた。

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さよなら崙書房、感謝をこめて

2019年06月21日 | 本と雑誌
 かつて、地方出版が隆盛をみた時代があった。神田のすずらん通りには、1976年から2007年まで地方出版を専門に取り扱う「書肆アクセス」という書店もあり、全国の小さな出版社から出た本が所狭しと並べられていた。出版部数が少ないために1冊あたりの価格はどうしても高めだったが、各地の歴史や現在の実情を知る上で貴重な資料を提供していたものだった。その「書肆アクセス」も無くなって久しく、各地方出版社も数を減らしていった。
 そんな中でも、千葉県流山市にある崙(ろん)書房出版は、県内の歴史に関する証言や小説を中心に出版を続ける貴重な存在となっていた。しかし、その崙書房出版も経営難のため七月三十一日に業務を終える、という。1970年に初代社長の小野倉男さんが創業したというから、半世紀近くがんばってきた、と云える。実際、その出版指向は、「売れる本」ではなく「良い本」を出す、という品質重視なものだった。正直、こんな本ばかりで商売が成り立っているのかな、と感じることも多かった。おそらく、「すぐれた本を市場に供給する」という信念で続けてきたに違いない。頭が下がる思いだ。ささやかだが、長年の労苦に対する称賛をここから送りたい。


というわけで、わたしの蔵書の中から崙書房によるものを2冊。


 2015年刊『永遠の平和―千葉の「戦後70年」を歩く』。東京新聞の千葉版の記事を同千葉支局が編集したもの。文庫サイズで1500円は少し高いが、内容はそれ以上のものがある。


 2016年刊『古文書で読む千葉市の今むかし』。幕末期を中心に、現在の千葉市周辺の江戸期の歴史を生で感じ取れる古文書の読み取りと解説。千葉市史編さん担当者による編集。地道な研究の成果といえる。

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わたしのレコード棚―ブルース72、Tommy McClennan

2019年06月18日 | わたしのレコード棚
 トミー・マックレナン(Tommy McClennan)は、1908年4月8日にミシシッピー州ヤズー・シティー(Yazoo City)で生まれ、1962年にシカゴで亡くなっている。
 若い頃は、ミシシッピーで綿摘みなどの農作業のかたわら、街角やジューク・ジョイントで演奏してチップを稼いでいたらしい。そんな彼を、シカゴでのレコーディングに誘った人がいた。南部を旅行しながら、優れたミュージシャンを探していたブルーバード・レコードのレスター・メルローズ(Lester Melrose)がその人で、1930年代の終わり頃だったという。マックレナンは、それに応じ、1939年11月からシカゴに出てブルーバードに録音を始め、1942年2月までに42曲を残してゆく。



 RCAのCD07863 67430-2。2枚組のCDで、マックレナンがブルーバードに残した全42曲を聴ける。
 写真はダンディーな都会の若者のように写っている。しかしその音楽は、リゾネーター・ギターらしき生ギターの音とだみ声で、ミシシッピーの匂いを強く感じさせる「粗野で荒削り」なブルースだ。そして、それこそがこの人の魅力になっている。が、時代はすでにエレクトリックなモダン・ブルースが主流になっており、レスター・メルローズとの関係も1942年までとなっている。その後もマックレナンはシカゴに残り、小さなクラブなどで演奏していたというが、1950年代にはシカゴのブルースシーンからは消え、1962年にアルコールが過ぎて亡くなったという。

 なお、「Cat Fish Blues」の作者とも言われるロバート・ペットウェイ(Robert Petway)は、やはりヤズー・シティーで育っており、マックレナンとは子供の頃から親しかったらしい。このCDでは、ペットウェイとの共演「Boogie Woogie Woman」も聴くことが出来る。

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わたしのレコード棚―ブルース71、Snooks Eaglin

2019年06月14日 | わたしのレコード棚
 スヌークス・イーグリン(Snooks Eaglin)は、本名Fird Eaglin.jr。生まれは1936年1月21日、亡くなったのは2009年2月18日、共にルイジアナ州のニューオリンズだった。ブルースはもとよりレパートリーは1000曲を超えると言われ、盲目だったが、ニューオリンズR&Bを担ったミュージシャンの一人だった。


 Bluesville原盤、P-VINEから出た国内盤CD『That's All Right』。「わたしのレコード棚―ブルース70」などで取り上げた民俗学者のハリー・オスターが、1959―60年にニューオリンズで録音した音源をCD化したもの。日本語の解説の他に、オスター自身がLP制作時に付けた英文解説も付いている。ウィキペディアなどには、路上で演奏しているスヌークス・イーグリンをオスターが発見したように書かれているが、LP解説によると、スヌークス・イーグリン自身は「俺はストリートでプレイしたことなんか生まれてこの方一度もないんだ。」と、語っていたという。
 曲は、カヴァーや伝統的なメロディーに独自の歌詞を付けたものがほとんどだ。その中の『Alberta』が、後にエリック・クラプトンの「アンプラグド」で取り上げられたことにより注目され、1995年と翌1996年には来日もしている。

 わたしがスヌークス・イーグリンの生演奏を聴いたのは1995年の新宿パークタワー・ブルースフェスティバルだった。エレキギター(テレキャスター・カスタムだったように記憶している)を自在に操り、長年ニューオリンズのR&Bシーンを支えてきたミュージシャンの力を感じたものだった。リズムの取り方は、その日最後に登場したロバート・ロックウッド・ジュニアーとはかなり異なるものを感じたが、それはそれで良いのだ。今では、彼の演奏を直に聴けたことを感謝している。

 下のリーフレットは、1996年単独ツアー時のもの。残念ながら、わたしは、この時は聴いていない。



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2018年スペイン・フランス・イタリア映画『誰もがそれを知っている』

2019年06月10日 | 映画
 6/5(水)、千葉劇場にて。監督・脚本はアスガー・ファルハディ。スペイン語。英題は『Everybody Knows』。





 ブドウ畑が広がるスペインのとある農村。ここの出身で今は結婚してアルゼンチンに暮らすラウラは、妹の結婚式に出席するために娘と息子を連れ帰省する。着飾った、親戚・友人・知人が集まり、歓声と祝福につつまれ、抱擁と挨拶代わりのキス、そんな映像が続く。しかし、宴も終わりに近づいた頃、ラウラの娘が突如姿を消し・・・。

 親交が深いように見えた人々は、事態の深刻さが増す中で、心の深いところにある「複雑な利害の対立や憎悪」が徐々に表面化してくる。監督・脚本は、かの『セールスマン』(リビューはこちら)を監督したイランの人。なので、スペインの小さい村社会の構成が、現実的にどの程度この作品に反映されているのかはわからない。しかし、この作品が、建前と本音を使い分ける人間の心理状態をするどく描いている、とは感じた。映像も素晴らしく良い作品。

 さらに余談。この映画で登場するラウラはアルゼンチンから帰郷する設定になっているわけだが、はるかに遠い国でも言葉は基本的にスペイン語だ。スペイン語は南米だけでなく、中米さらに北米でも一部地域で広く話されている。元々その地域にあった言語とは基本構造が異なる言葉が、侵略と共に使われていったわけで、ちょっと想像もつかない広がり方だ。スペインの、あるいはヨーロッパ諸国の植民地支配というのは恐ろしい程の規模だ、と映画を観ながら改めて感じたのだった。

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ブルースセッション、2019/6/1、千葉「リンゴ」

2019年06月07日 | ライブ
 6/1、第一土曜恒例、千葉のライブハウス「リンゴ」でのブルースセッションに参加してきた。
 長くハウスバンドのドラムスを担当してこられた方が、都合により続けられなくなったとのことで、残念ながらこの日がここでの最後のセッションになる。千葉では、もう一軒「ライト」というライブハウスでもブルースセッションが行われているので、これ以降はそちらに参加させてもらうつもりだ。

 さて、この日、わたしはベースを弾かせてもらった。なにせ、初めての事で不安が先に立ったが、リズムとコード進行に留意しながら、なんとか2曲をこなした。特に、2曲目はB・B・キングの『Woke Up This Morning』というラテンビートとシャフルが交互に出てくるB♭の曲で、完全に想定外。ましてや、フレットレス・ベースなので、トニックノート(基音)のピッチがずれないように弾くだけで冷や汗もの。しかし、良い勉強になったし、けっこう楽しかった。それも、ドラムスの人がしっかりリズムを刻んでいてこそで、わたしはドラムの音を聞くことに集中して安心できたのだった。また、やってみたくなった。


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飯綱寺(いづなでら)

2019年06月04日 | 旅行記
 5/31(木)に友人といった外房へのドライブでは、千葉県いすみ市岬町にある飯綱寺(いづなでら)という古刹に寄った。



 以下リーフレットによる。開山は西暦808年で、慈覚大師によるとされている。元もとは天台宗の寺で、当初は満蔵寺と号していた。戦国時代に、広まった飯綱信仰により太東岬に「飯綱大権現」を本尊に迎え「飯綱寺(いづなでら)」と改めた。さらに、江戸中期には上野の東叡山寛永寺の直轄となり、江戸からの参詣も多く、かなりな栄華をみたらしい。
 つまりは神仏融合の寺で、信仰というよりも「おまじない」あるいは手っ取り早い「ごりやく」を求めた参詣人で賑わい、ゆえに、財力もあった、ということだろう。下の写真に見える、すばらしい彫刻や天井絵などは豊かな財力を基に作られたもの、と考えられる。



 上に見えるリーフレットの写真は、本堂内を撮影したもので、左上に伊八の欄間彫刻、右上には「三代目堤 等琳」作『龍』。彫刻家の初代伊八、俗に「波の伊八」といわれるほど波の彫刻は巧みで葛飾北斎に多大な影響を与えたと言われている。リーフレットには、名は「武志伊八郎信由」で現在の鴨川市出身とある。

 信仰上は、やはりここ飯綱寺の欄間として展示されるのが良いのかもしれない。が、夜間は入口を閉めるのだろうが、これほどの文化財が外気の入る場所に設置されているのは長期的には劣化の心配がある。今はまだ昨日彫られたような迫力があるが、いずれ朽ち果ててゆく。今のうちに、湿度や光線をしっかりコントロール出来る展示方法に換えるべきではないか。そう感じざるを得なかった。実際、天井絵などはかなり色が退行している。ちなみに、拝観料は300円。寄付を募れば、やれそうな気もするが、どうだろう。

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外房海岸

2019年06月02日 | 旅行記
 5/31(木)午後、友人が千葉の外房海岸までのドライブに誘ってくれたので、便乗して行ってきた。今は道路もかなり整備されているので、千葉市の我が家から1時間もかからずに九十九里浜が見える所まで行くことが出来る。


 一宮海岸。来年のオリンピックではサーフィンの会場になるとか。この日はご覧とおり、波静か。本当に競技が出来るのかねえ。興味がないので、どうでもいいけど。


 太東岬。ここが、九十九里浜の南端になる。


 大原漁港。わたしの父祖の地、ということになる。


 大原にある八幡岬から南方向を撮影。リアス式海岸になっていて、イセエビなどが獲れる。

 一宮から大原に至る途中、飯綱寺(いずなでら)という古刹に寄ったが、それについてはページを改めて書くことにする。

 久々に外房の潮の香りにふれ、なにやら元気が出たように感じた。やっぱり外海の風は違うなあ。誘ってくれた古い友人に感謝。


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