文化逍遥。

良質な文化の紹介。

年の瀬

2015年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 今年2015年も明日・明後日で終わる。
けっこう忙しくて、なにやら訳がわからない内に1年が過ぎてゆく感じ。それでも、日々自分の事をやれることが何よりと思って生活している。
実際、世界的な視野でみれば、安心して生活できているのは全体の中では少数と言えるだろう。国内でも、9月に鬼怒川が決壊し大きな被害が出て、今も避難生活を余儀なくされている方々も居られる。被害が大きかった常総市などは、旧国名では「下総」なので、ここ千葉市とは同じ「くに」ということになる。遠い国の出来事ではない。とかく楽観しがちだが、身に迫っていることをしっかりと認識するようにしないと、気付いた時には手遅れになりかねない。心したい。
 さて、来年はどんな年になるのだろう。あせらず、一日一日を着実に過ごしたい。

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柳家小三治独演会

2015年12月25日 | 落語
 昨夜12/24は、古い友人がお隣の四街道市で行われた柳家小三治師匠の独演会に招待してくれたので行ってきた。さらに、車で送り迎えもしてくれたので、至れり尽くせりな夜だった。
 小三治師匠も今年76歳という高齢で、病を得ているとのこと。独演会では長演になるので、高座が心配されたが、杞憂だった。演目は「一眼国」と「時そば」の二席。いずれも古典落語の基礎とも言うべき噺で、さすが、と唸らせるだけの力量。随分以前に国立演芸場の名人会で師匠の「山崎屋」を聴いたことがあるが、その時と比べても衰えは感じなかった。実際に演じている方は、必死の思いだろうが、それを感じさせないのも芸の内なのだろう。
 生涯、忘れ得ぬ夜となりそうだ。ただただ、感謝。

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オープンバック・バンジョー

2015年12月19日 | 楽器・エッセイ
 さて、オープンバック・バンジョー。

 2015/12/12、カワセ楽器にて5弦にスパイク(犬釘)を打ってもらい、ブリッジ・サドルをゲージに合わせて調整してもらった。スパイクは7・9・10フレットにも打って貰ったので、これで主なキイはカヴァーできるはず。あとは、腕次第。しっかり練習することにしよう。


ちょっと見にくいかもしれないが、ナイロン弦に合わせて太めのスパイクを打って貰ったところ。そういうパーツが揃えてあり、預かりではなく、すぐにやってくれるのもカワセ楽器ならではだ。他ではこうはいかないだろう。

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映画『放浪の画家ピロスマニ』

2015年12月17日 | 映画
 12/12(土)、カワセ楽器にバンジョーの調整を頼みに行ったので、神保町の岩波ホールにまで足を伸ばして映画を観てきた。


1969年制作のグルジア(ジョージア)映画。グルジア語オリジナル版によるデジタルリマスターでの再上映。

 実在の画家を演じたのは俳優ではなく、本作の美術も担当したという画家でアヴタンディル・ヴァラジという人。その他の出演者も地元の住民を使ったのでは、と感じられた。ストーリーは世間の評価に苦しみ翻弄される画家の生涯を描いたものだが、映像がすばらしかった。古い映画だが、いや、それゆえにと言うべきか、時間をかけて撮影されたシンプルな画面構成とライティングは、素朴なグルジアの山々、そしてそこにに暮らす人々の生活を見事に浮かび上がらせている。さらに音楽も、素朴な民族音楽だが一音に魂を込めるかのような演奏は胸を打つ。時の流れを90分に凝縮したような映画だった。実際、出演者の加齢してゆく姿はメイクではなく、何年もかけて年を取らせてから撮影を繰り返したのではないか、と思った。


 さて、アキーラのナイロン弦を張ってカワセ楽器で調子してもらったバンジョーはどうなったか・・・という話はページを改めて書くことにする。

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お茶の水2015/12/12

2015年12月14日 | まち歩き
 オープンバック・バンジョーの調整を頼みに神田のカワセ楽器に行ってきたので、ついでに街歩き。

 例によって工事中のお茶の水駅の写真から。

12/12午前、聖橋の上から水道橋方向を携帯で撮影。写真中央に見えているのは御茶ノ水橋、右奥が本郷になる。工事の車両や重機の下は神田川。いつ見ても、すごい工事だ。新しい御茶ノ水駅が完成すれば随分とモダンな街になるだろう。さみしい気もするが、これも時代の流れだ。変わった、といえば、神保町交差点横に古くからあった書店「書泉ブックマート」が無くなり、靴店の「ABCマート」になっていた。売上減少のためか、近くにある「書泉グランデ」に集約したらしい。学生時代から40年近く親しんできた書店だったので少しくショック。わたしが大学の頃は、書泉の労働組合が強く、店舗のあちこちにアジびらが貼られていた。置かれている本も売れ筋だけでなく人文関係の専門的な本が多かった。組合の腕章をつけた店員は緊張した表情だったが、本に関する知識はしっかりしていて、訊いたことに関しては責任ある答えが返ってきた。これも、今は昔の話。


こちらは、やはり聖橋から湯島方向を撮影。小さな森のように見えるのは孔子を祀っている湯島聖堂。江戸期は昌平坂学問所として幕府の教育機関の中心となったところ。ちなみに、「昌平坂」とはこのあたりの地名ではなく、孔子の生地からきているという。
 さらに、その奥には神田明神がある。複数の祭神を祀っているので「明神」と言うらしいが、その中には平将門も含まれている。今でも、神田明神周辺の会社や事務所などは社に背を向けていると将門に祟られるという迷信が残り、机の配置には気を配るらしい。
 そこから、さらに行くと湯島天神がある。受験シーズンを迎え、境内には絵馬の奉納が溢れるようになる。以前、そんな合格祈願の絵馬を何とはなしに見ていたら、けっこう誤字があった。頼まれた天神様もさぞ困るだろう。神頼みしている暇があったら勉強しなさい、と道真公の声が聞こえるような気もする。


 この後、神田から神保町に回り、岩波ホールで映画を観た。次回はそのレビューを書くつもり。

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バンジョー用ナイロン弦

2015年12月11日 | 楽器・エッセイ
 現在、一般に使われているバンジョーは主にブルーグラスなどに用いられるスチール弦でリゾネーター(裏側の板)がついているものがほとんどだが、その昔、あるいはその起源から言うとトップに皮を張ったオープンバック(裏側に板のない)バンジョーにガット弦を張っていたのだった。なので、今でも「オールドタイム」あるいは「マウンテンミュージック」と呼ばれている民族音楽に近い素朴な演奏では、やはりオープンバックのバンジョーにガット弦を張っているようだ。自分でもそんな素朴な演奏に挑戦してみたいと漠然と思っていた。が、オープンバック・バンジョーは持っているものの、バンジョー用のガット弦はなかなか手に入らなし、どうしたらうまく楽器に張れるのか、そのあたりも良く分からない。そんな時に、最近ガットに近い音色のバンジョー用ナイロン弦を見つけ、さっそくアマゾンで注文してみた。イタリア製でアキーラAquilaという。


エンドが輪になっていないので、自分で作る必要がある。パッケージにもその方法が書かれていないので、ネットで調べてやってみた。なれない作業ですこし戸惑ったが、なんとか完成。


音色は、なかなか雰囲気があっていい。すぐれた弦と感じもした。素材も単なるナイロンではなく、合成した素材に特殊な加工を施してあるようだ。ただ、今まで張っていたスチール弦より太くなるので、ナットおよびブリッジサドルの調整が必要になる。そこまでは、なんとか自分でやれそうだが、5弦が浮いてしまっていてピッチが合わない。ネックの調整も必要だし、これは楽器店でやってもらった方が無難だ。というわけで、カワセ楽器に近々持っていくことになりそう。最近は東京に行くのも交通費や時間を考えると躊躇して、ネット通販を使ったり、地元で買えるものは多少高くとも近くで済ませていたが、今回は諦めて行くしかないか。まあ、年末のお茶の水に行って楽器街や古本屋街を歩くのも悪くはないだろう。行くたびに街が変わっていくので、面白くもあり、さみしくもある。まあ、仕方ないけどね。

 通販と言えば、今回のアマゾンの買い物では初めて「近所のコンビニでの受け取り」というものを利用してみた。荷物が来る予定があると外出もままならないので試しに使ってみたが、結構便利なものだ。利用した店舗は24時間開いているので、到着のメールが来たら時間を気にせず10日以内に取りに行けばよいのだった。まあ、たまたま利用可能なコンビニが歩いて数分の所にあったので、それで利用できたわけだ。世の仕組みもどんどん変わるなあ。そのうち付いていけなくなりそうだ。

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山上たつひこの漫画

2015年12月07日 | 本と雑誌
 山上たつひこの作品を好んで読むようになったのはいつの頃からだろうか。
最初の記憶にあるのは、中学生の頃「少年マガジン」に連載された『光る風』を読んだ時のことだ。暗い作風で特に興味は湧かなかった。連載は途中で打ち切りになったように記憶している。作品の記録を調べると、1970年のことだったらしい。その後、わたしが高校の頃には『がきデカ』が「少年チャンピオン」に掲載され一躍人気作家になったが、ナンセンス漫画としか思っていなかった。そんな思いを吹き飛ばしたのが、大学の頃友人に勧められ『喜劇新思想大系』を読んでからのことだった。単なるギャグに収まらない強い風刺と抵抗がその底辺に流れているようで、こりゃすごい、と思ったものだった。さらに、中学生の頃「少年マガジン」に連載された『光る風』の作者と同じだとわかったのもその時だった。つまりは、反戦漫画と言ってもいい『光る風』と『がきデカ』との劇画のタッチあるいは総合的な作風がそれほど変化していたのだった。それ以降は、山上の初期からの作品をあらためて読み返し、愛読するようになっていった。 

 そんな山上たつひこの漫画を、最近、読み返している。
人気のある作家だが、初期にはSFや反戦色の強いミステリーを書いていたことは、わたしがそうだったように、今でもあまり知られていない。ざっと、作品を概観してみる。二十歳頃から大阪の「日の丸文庫」で編集をしながら貸本漫画色の強い作品を発表し始め、1970年23歳頃から『光る風』を少年マガジンに発表。1972年に作風を変えたギャグ漫画『喜劇新思想大系』を発表。さらに'74年『がきデカ』で人気漫画家になり'90年まで休止しながらも連載している。その後は、小説などを発表しながら最近ではまた漫画を描き続けているようだ。

 
初期のSF・ミステリー色の強い作品群。これらの単行本は1970年代初期の発行。


『光る風』1972年に初版が発行された朝日ソノラマ刊の単行本。


1992年双葉社から刊行された『山上たつひこ選集1喜劇新思想大系①』。

 今回あらためて読み返してみて、作品の底には同じものが流れているように感じている。
それは、「芯の強さ」とでも言おうか、登場する人物たちに普遍性がありそれが変わることなく貫かれていることだ。早い話が、一世を風靡した『がきデカ』の主人公「こまわり君」。醜い容貌で特別な才能もないが、それを嘲笑うかのように逆手にとって世間一般の価値観をひっくり返してゆく。彼は、誰からも愛情を受けてはいないが、そんなことは屁とも思わない芯の強さがギャグを先鋭化させている。これは、時代に対する強い風刺なのだ。そう思った。

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水木しげる氏を悼んで

2015年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 11月30日、水木しげる氏が亡くなった。93歳だった。
多くの人・報道が弔意を表しているので、ここで何かを語る必要はないだろう。ただ、その仕事に比して評価は低かった。そのことは書いておきたい。
小説あるいは絵画などであったなら、世界的な評価を得ていても不思議ではなかった。漫画家であるという、そのことで正当な評価が受けられていなかったと思う。

 言葉に思いを託すことができた作家がまた一人鬼籍に入られた。合唱。

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