6/3(水)千葉劇場にて。入館と退館する時にアルコール消毒をして、上映中もマスクの着用が求められる。
3/16以来なので、2か月半ぶりに映画館で映画を観たことになる。正直言って、映画を観たかった、というよりは映画館に行きたかったのだが、このドキュメンタリー映画は傑作だった。
監督は、ジャスティン・ベムバートン。原作及び監修は、トーマス・ピケッティー。言語は、主にフランス語と英語。リーフレットには、4月17日ロードショー、となっているが新型コロナウィルスの感染拡大で閉鎖されていた為6月まで延期になっていた。
1990年代に多くの共産主義諸国が崩壊し、実質的に自由主義社会が基本的な国家の枠組みとして残ることになった。自由な資本のやり取りができる社会が、まるで優良なものとして淘汰されたかのように考えられている側面もあるが、実際は矛盾に満ちた格差がはびこる社会で常に破壊活動という病理を抱え込んでいる。
このドキュメンタリー映画は、主に経済学の専門家達による次世代に向けた警告ともいえる作品になっている。その中で、印象に残った話の一つに次のようなものがある。それは、現在「投資」されているお金の中で、生産に回っているものは15%しかない、というのだ。では、残りの85%はどうなっているのか、というと「マネーゲーム」に使われているという。すなわち、値上がりしそうな様々な「商品」、その中には土地や株さらには為替などすべての商取引の対象となるものを含むが、それらのものにお金を投じて値が上がるのを待って売りさばく行為を繰り返し利益を得ている、というのだ。これはある意味、汗して働いている人達から金持ちが合法的に搾取していることになる。自由主義とは、ある意味搾取も合法的なら許される社会なのだ。その社会では、貧しい者はいつまでも貧しく、富んでいる者はさらに裕福になる。すなわち、格差の固定化。富裕層の生活はまるで「貴族」のようになり、18~19世紀頃の貴族社会に近づいている、とこの映画に出てくる専門家たちは警告している。すでに、抜け出せない「貧困」にいる者たちの不安と不満は限界に達している。
偶然にも、今アメリカでは、黒人男性に対する警察官の暴行により死に至った事件に端を発し全米で混乱が起き、世界に飛び火している。それは、合法的搾取が横行している国で必然的に起きた暴動とも言え、社会構造に根がある以上根本的な解決は遠い。教育や福祉に富裕層からお金が回れば「機会均等」に近づくので、税制などを改めてそれに近づければ良いだけの話なのだが・・・それをさせずに握った富を離さないのが「金持ち」達なのだろう。
未来に向けて安心して暮らせる社会が築けるか、今が分岐点と言える。