文化逍遥。

良質な文化の紹介。

宮本常一の写真

2015年11月26日 | 本と雑誌
 今年の夏から秋にかけては家の新築等でせわしない日々を送っていたので読書もママならなかったが、このところやっと本を読む時間が持てるようになってきた。本の整理などしていると、昔読んだ時に「もう一度いつか読み直してみたい」と思っていた本を手にすることも多い。実際、10年、20年の時が過ぎ、加齢の上で読み直してみると受け止め方も変わり、初読の時には気付かなかった事に気付くようなこともある。新たな発見と言えば少し大げさだが、優れた書物とはそういうものなのだろう。今回は、そんな本について書いてみる。

 平成も27年が、あとひと月余りで終わる。昭和はすでに遠い。その昭和という時代に主に西日本を自らの足で歩き回り、すぐれた業績を残した民俗(民族ではないことに注意)学者がいた。宮本常一(みやもとつねいち1907-1981)。フィールドワークに際して膨大な数の写真を残したが、戦前のものは戦災により残念ながら焼失してしまっている。戦後すぐのものは、幸い出版されていて容易に目にすることが出来る。当然、白黒フィルムしかない時代で当時は高価だったフィルムを惜しげもなく使い、迷わずシャッターを切っていることに驚きもある。専門のカメラマンではないので高い写真の技術を持っているわけではないが、視点がとてもおもしろい。


2004年平凡社刊、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む 失われた昭和』。今に生きる私達は、何を失い、何を得たのか。それを、ゆっくりと考える余裕があるのか。この本に収められた写真達は、それを問いかけているように感じられる。

 著作も多いが、代表的なものは岩波文庫に入っている『忘れられた日本人』、『家郷の訓』などになるだろうか。昨年から今年にかけて新居への異動に伴いかなりな量の本(本棚3箱分くらいか)を処分せざるを得ず、その選別には苦しむところだったが、宮本の著作はさすがに手放さなかった。



 今春、河出書房から刊行された池澤夏樹編集の『日本文学全集14』は、すぐれた民俗学の研究・著作を集めたもので、南方熊楠・柳田國男・折口信夫そして宮本常一の4人が選ばれている。「文学全集」の中に民俗学関係の業績とも言える著作群が入ったのはおそらく初めてだろう。個人的には、喜ばしいことだと思っている。

 宮本の著作の中には特別な才能を持った人はほとんど出てこない。取り上げられているのは、今で言うタレントとは程遠い、市井に隠れ地道な仕事を続けてきた人ばかりだ。その言葉には、読み返すたび、静かな感動を禁じ得ない。

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温湿度計付き柱時計

2015年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 11月も下旬に入ったが、千葉は温かい日が続いている。今朝は少し風が冷たいものの、暖房を入れるほどではない。先週の11/17火は、房総半島南部鴨川あたりでは気温25度を記録したという。この時期の暑さは、あまりよいものではない。なんとなく、気持ちが引き締まらない感じだ。

 そんな中、大学時代の友人が新築祝いに温湿度計の付いた柱時計を持って訪ねてくれた。楽器があるので、温湿度計は必需品。時計と一緒になっていると便利だし場所を取らなくて良いので、アナログの見やすいものをリクエストしていた。しかし、デジタルではなくアナログのものが、なかなか置いてある所が無いので探すのに時間がかかったようだ。見つけてくれた友人に深く感謝。デザインも部屋に良く合っている。


写真右側に見えているのは、ブルース関係のCDや資料。資料ばかり多いが、それを自分なりに昇華させて納得できる作品にするのは簡単ではない。長く時間がかかる作業になる。焦る必要はないのだが、「日暮れて道遠し」といったところ。それでも、適度に緊張を保ちつつ、少しずつでも歩を進めたい。「歩き続ける者は必ず目的地に達する」ともいう。歩くのは、一歩、一歩だ。

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加曾利貝塚、2015/11/16

2015年11月17日 | まち歩き
 例によって、墓参がてら加曾利貝塚に行ってきた。





 最近、日本の縄文期について、その文明がほとんど変化なく1万年続いたことに世界的に注目され始めているらしい。
進歩が無かったとも言えるが、安定した生活を営んでいたことは間違いない。それにつけ、思い起こすのは認知症だった亡き母のことだ。記憶が退行し、自宅にいるにもかかわらず「帰る」と言って外に出ようとする。母の帰ろうとする家も町も、すでにどこにも無い。遠い記憶の中にある古い家を求めて、さ迷う老人たち。外に出ても、まるで外国のような街並みが広がり、若い人達は外来語の多い意味不明な言葉を話している。

 言葉も通じない外国で一人ぼっちになれば、誰でもパニックになる。

 さかのぼって、縄文時代。20年で一世代替わるとして、ざっと500世代に渡り同じような風景を見、同じ生活様式を保ってきたのだ。不便で不自由なことも多かったろうが、年寄りだけでなく全ての人々は精神的には遥かに安定していただろう。

 現代の企業は会社維持のため設備投資が不可欠で、利益が出ても働く者に還元できないという悪循環に陥っている。稼いでも稼いでも、不安が後からついてくる。便利な生活と引き換えに、現代人は「こころの安定」を失ってしまったように思えてならない。

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稲毛海岸、秋の終わり

2015年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム
 いつの間にか今年も残り少なくなってきた。と、言ってもまだ寒くはない。こちら南関は、昼間、太陽が出ていればシャツ一枚で過ごせる陽気が続いている。今年は暖冬の長期予報も出ているが、はたしてどうか。昨日(11/11木)午後、海岸近くにあるホームセンターに買物に行ったので、ちよっと足を延ばして稲毛の海浜公園まで行ってみた。携帯で撮影。


こちらは、東京方面。肉眼ではスカイツリーが、かなりはっきりと見えた。さすがに携帯のカメラでは無理だ、と思ったが、よっく見るとそれらしきものが中央左に写っているような、いないような。


陽光が海面に反射してきれいだったので、ためしに撮影してみた。けっこう、それらしい画像にはなった。ほとんどマグレ。対岸は川崎あたりだろうか。

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便利で良いが

2015年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム
 少しずつだが、家財道具を運び入れて新居での生活を試している。
 いろいろと便利になって、驚くこともしばしばだ。特に水回り。蛇口はひねる必要が無いタイプで、上下・左右にレバーを動かせば水やお湯が出せるようになっている。風呂はマイコン制御で、スイッチを押せば予め設定しておいた温度・湯量に自動的に達する。便利は便利だ。が、どうも行きすぎのように感じる。これでは、停電時には何も出来なくなるし、体の機能が減退してゆくような不安に駆られる。実際、最近の超高層ビルでオール電化の高層階で暮らす子供の中には、ひねったり曲げたりといった基本的な動作が出来ず予想外な骨折をする、という報道もあった。
 4年前の震災時、あるいは今夏の鬼怒川の洪水による水害の際にも、多くの人が避難所での生活を余儀なくされた。いまだに、仮設住宅で生活している人も多い。普段から災害時に備えた生活を想定しておき、危機管理を忘れぬようにしたいものである。

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