今年の夏から秋にかけては家の新築等でせわしない日々を送っていたので読書もママならなかったが、このところやっと本を読む時間が持てるようになってきた。本の整理などしていると、昔読んだ時に「もう一度いつか読み直してみたい」と思っていた本を手にすることも多い。実際、10年、20年の時が過ぎ、加齢の上で読み直してみると受け止め方も変わり、初読の時には気付かなかった事に気付くようなこともある。新たな発見と言えば少し大げさだが、優れた書物とはそういうものなのだろう。今回は、そんな本について書いてみる。
平成も27年が、あとひと月余りで終わる。昭和はすでに遠い。その昭和という時代に主に西日本を自らの足で歩き回り、すぐれた業績を残した民俗(民族ではないことに注意)学者がいた。宮本常一(みやもとつねいち1907-1981)。フィールドワークに際して膨大な数の写真を残したが、戦前のものは戦災により残念ながら焼失してしまっている。戦後すぐのものは、幸い出版されていて容易に目にすることが出来る。当然、白黒フィルムしかない時代で当時は高価だったフィルムを惜しげもなく使い、迷わずシャッターを切っていることに驚きもある。専門のカメラマンではないので高い写真の技術を持っているわけではないが、視点がとてもおもしろい。
2004年平凡社刊、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む 失われた昭和』。今に生きる私達は、何を失い、何を得たのか。それを、ゆっくりと考える余裕があるのか。この本に収められた写真達は、それを問いかけているように感じられる。
著作も多いが、代表的なものは岩波文庫に入っている『忘れられた日本人』、『家郷の訓』などになるだろうか。昨年から今年にかけて新居への異動に伴いかなりな量の本(本棚3箱分くらいか)を処分せざるを得ず、その選別には苦しむところだったが、宮本の著作はさすがに手放さなかった。
今春、河出書房から刊行された池澤夏樹編集の『日本文学全集14』は、すぐれた民俗学の研究・著作を集めたもので、南方熊楠・柳田國男・折口信夫そして宮本常一の4人が選ばれている。「文学全集」の中に民俗学関係の業績とも言える著作群が入ったのはおそらく初めてだろう。個人的には、喜ばしいことだと思っている。
宮本の著作の中には特別な才能を持った人はほとんど出てこない。取り上げられているのは、今で言うタレントとは程遠い、市井に隠れ地道な仕事を続けてきた人ばかりだ。その言葉には、読み返すたび、静かな感動を禁じ得ない。
平成も27年が、あとひと月余りで終わる。昭和はすでに遠い。その昭和という時代に主に西日本を自らの足で歩き回り、すぐれた業績を残した民俗(民族ではないことに注意)学者がいた。宮本常一(みやもとつねいち1907-1981)。フィールドワークに際して膨大な数の写真を残したが、戦前のものは戦災により残念ながら焼失してしまっている。戦後すぐのものは、幸い出版されていて容易に目にすることが出来る。当然、白黒フィルムしかない時代で当時は高価だったフィルムを惜しげもなく使い、迷わずシャッターを切っていることに驚きもある。専門のカメラマンではないので高い写真の技術を持っているわけではないが、視点がとてもおもしろい。
2004年平凡社刊、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む 失われた昭和』。今に生きる私達は、何を失い、何を得たのか。それを、ゆっくりと考える余裕があるのか。この本に収められた写真達は、それを問いかけているように感じられる。
著作も多いが、代表的なものは岩波文庫に入っている『忘れられた日本人』、『家郷の訓』などになるだろうか。昨年から今年にかけて新居への異動に伴いかなりな量の本(本棚3箱分くらいか)を処分せざるを得ず、その選別には苦しむところだったが、宮本の著作はさすがに手放さなかった。
今春、河出書房から刊行された池澤夏樹編集の『日本文学全集14』は、すぐれた民俗学の研究・著作を集めたもので、南方熊楠・柳田國男・折口信夫そして宮本常一の4人が選ばれている。「文学全集」の中に民俗学関係の業績とも言える著作群が入ったのはおそらく初めてだろう。個人的には、喜ばしいことだと思っている。
宮本の著作の中には特別な才能を持った人はほとんど出てこない。取り上げられているのは、今で言うタレントとは程遠い、市井に隠れ地道な仕事を続けてきた人ばかりだ。その言葉には、読み返すたび、静かな感動を禁じ得ない。