文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚―ブルース29、Washington Phillips,

2011年07月31日 | わたしのレコード棚
 ワシントン・フィリップス(Washington Phillips)も詳しい事はわかっていない人だが、生まれたのは1891年頃、亡くなったのは1938年頃、ともにテキサスと言われている。基本的にはエヴァンジェリスト(伝道者)だが、音楽的にはゴスペルというよりも賛美歌に近い感じで、メロディーも声もなかなかにきれいだ。注目すべきは使用した楽器で、それはドルセオーラ(Dolceola)というものだった。

Agram2011doldeola
これは下のLP内の解説にあるドルセオーラの写真。見てわかるように、ハンマー・ダルシマーの上に鍵盤を載せたようなもので、とても柔らかいきれいな音が出る。ギターのボトルネック奏法のように西洋音階の中間音を出すようなことは出来ないが、ワシントン・フィリップスのように整った音作りをする人には必要な楽器だったのかもしれない。この楽器は1890年代にオハイオ州のピアノ調律師デヴィッド・P・ボイドという人の発明といわれており、100台弱が作られたが、現在は数台が楽器コレクターの所有するだけになっているという。音域は4オクターブだったらしい。なお、つづりがDulceolaとなっている資料もあるが、この写真で見る限りDolceolaが正しいと言える。辞書で調べると、dolce(ドルチェ)はイタリア語起源の音楽用語で「柔らかく滑らかに」ということで、Dolceolaという名前もそこから来ていると思われる。
Agram2011
ヨーロッパのレーベルAGRAMのAB2011『Trouble Done Bore Me Down』。珍しいブルース、ゴスペルの1927-1933年頃の録音を編集したオムニバス盤。ジャケットの写真はワシントン・フィリップスで、ドルセオーラの鍵盤部分を載せない状態で持っているものと思われる。フィリップスの録音は1927年12月ダラスでの2曲、[Mother's Last Word To Her Son]と[Paul And Silas In Jail]を収録。


Srcs5511
ソニーからでたオムニバスCD『Preachin' The Gospel:Holly Blues』。 ワシントン・フィリップスは、1927/12の録音で[Denomination Blues - Part1,2]、1929/12の録音で[You Can't Stop A Tattler - Part1,2]を収録。Denominationとはキリスト教の宗派を意味しており、宗派間の対立を嘆いたブルース、ということになるらしい。ここで聞けるのは、ドルセオーラの美しい音色とは対照的にクリスチャンの情熱と嘆きを歌にしている、ということになる。

 手元にある音源の資料をまとめると、ワシントン・フィリップスは1927年から'29年までの3年間毎年12月にダラスで録音していたらしい。全部でどのくらいの録音をしたのか未詳だ。が、わたしの手元にあるのはあと2曲だけで、それはP-VINEの『The Story Of Pre-War Blues』に入っている1928年の[What Are They Doing In Heaven Today]と、オーストリアのRSTから出たオムニバスLP『The Great In Country Blues』に入っている1929年の[I Had A Good Father And Mother]。音楽的にも、使用した楽器の歴史の上でも、重要なミュージシャンであるワシントン・フィリップス。現在は単独のCDがYAZOOから出ているので、興味のある方にはそちらをお勧めしたい。





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わたしのレコード棚―ブルース28、Texas Alexander,

2011年07月27日 | わたしのレコード棚
 テキサス・アレキサンダー(Alger “Texas” Alexander.c1900,Leona.Tex~c1955,Houston.Tex)は、ブルースマンとしては珍しく、全くのヴォーカリストであったらしい。少なくとも手元にある録音では楽器を演奏したものはなく、LPの解説にも楽器は演奏しなかった、とある。録音を聞くと、歌だけで生きていただけに声量が有り、しっかりしたヴォーカルで表現力も豊かだ。が、それ以上に驚くことは、バックに超一流のミュージシャンがついていることだ。それにより、変化に富んだ音楽が形成られている。


Texasalexandervol2
イギリスのレーベルMATCHBOXのLP、MSE214『Teas Alexander Vol.2(1928-29)』。バックでギターを弾いているのは、ロニー・ジョンソンとエディー・ラング。二人ともモダーン・ジャズ以前のジャス系のギターリストだが、多才でブルースを弾いても一流。多少なりともギターを弾く者にとっては、ほとんど雲の上の存在。ロニー・ジョンソンについては、ブルースマンとしての側面も強いので別の機会に取り上げるとして、エディ・ラング(Eddie Lang.1902~1933)はCDを紹介しておこう。

Eddielang
ヨーロッパのレーベルから出たCBC1-043『The Quintessential Eddie Lang 1925-1932』。こなれたピッキングは心にくいばかりだ。
Eddielang2
YAZOOのCD1059、『Jazz Guitar Virtuoso』。ジャズ・ギターの歴史上、忘れることのできない名盤。
エディ・ラングが30歳で死ぬ数年のち、ギブソンがエレキ・ギターを発売している。もし、エディ・ラングがエレキ・ギターを手にしていたら、どんな演奏をしていただろうか。ぜひ、聞いてみたかった。が、歴史に「もし」は無い。扁桃腺の手術が失敗して亡くなったらしい。惜しい事だ。


Texasalexandervol3
同じくMATCHBOXのLP、MSE220『Teas Alexander Vol.3(1929-30)』。A面では、サイドギターにリトル・ハット・ジョーンズ(Little Hat Jones,1899~1981)、カール・デイヴィス(Carl Davis)。そしてB面では、前回紹介したミシッシッピー・シークスが伴奏をつけている。


 テキサス・アレキサンダーは、資料によってまちまちだがライトニン・ホプキンスの従兄弟だったとも叔父だったとも言われている。いずれにしろ、親戚だったのだろう。のちに、ホプキンスをバックに録音を残している。それが、手元には無いのが残念だ。


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わたしのレコード棚―ブルース・特別編、RCAブルースの古典

2011年07月23日 | わたしのレコード棚
 中村とうよう氏が亡くなった。
21日午前、自宅マンション8階から落下したらしく、新聞は自殺の可能性が高いとしている。79歳だった。

 
中村とうよう氏といえば、音楽誌『ミュージック・マガジン』の創設・執筆・編集として多くの人の知るところだが、ブルース・ファンにとっては『RCAブルースの古典』というオムニバス盤で日本にブルースを紹介した功績が大きい人として知られている。

Bluebirdblues1

Bluebirdblues2

続編を合わせると5枚のLPになるこのシリーズを、わたしが手に入れたのは1970年代の後半だったと思う。当時、戦前の本格的なブルースを聞けるLPが輸入盤でもなかなか手に入らない状況の中で、RCAに録音したブルースマンに限られるとはいえ、このシリーズは随分と重宝したものだった。このシリーズを手始めに、ブルースの世界に足を踏み入れたブルース・ファンも多いに違いない。
 ただ、中村とうよう氏の評論は好悪がはっきりしすぎていて個人的にはあまり好きではなく、『ミュージック・マガジン』誌を買って読むようなことも無かった。もっとも、1960~70年代頃の評論家と言われる人たちは皆好悪が激しく、バッサリと切り捨てる傾向が強かった。自分もそれに近い傾向を持っていることは自覚している。なので、常に許容量を増やせるように心懸けてはいるのだが、遺憾ながら許せない事も多い。

 中村とうよう氏の死の真相は、もはや誰にもわからない。が、いずれにしろひとつの時代が終わったことを感じざるを得ない。音楽に希望を託せる時代の終焉。

 合掌。


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わたしのレコード棚―ブルース27、Mississippi Sheiks,

2011年07月20日 | わたしのレコード棚
 ミシッシッピー州でもっとも商業的に成功したストリング・バンド、と言われているミシッシッピー・シークス。その歴史は古く、チャットモン(Chatmon、Chatmanとしている資料も多い)一家を中心にして、19世紀もかなり遡れる頃から活動していたらしい。下のCD,YAZOOの2006『Mississippi Sheiks-Stop and Listen』で聞けるのはフィドル(ヴァイオリン)のロニー・チャットモン(Lonnie Chatmon1890's~1942or'43)とヴォカルとギターのウォルター・ヴィンソン(Walter Vinson1901.Miss~1975.Chicago)の二人が中心になった録音で、おそらくは1930年代のものと思われる。音楽的にはブルースというよりもむしろヒルビリーに近い感じだ。多くは2ビート系で、コード進行もきまった形式をもたず、ポップな感じ。戦前のミシッシッピーではかなり目新しい音楽で人の気を引きパーティーなどではさぞかし喜ばれたと想像される。この当時のグル―プの編成としては、時にロニーの兄弟、つまりチャットモン・ファミリーからボーや、サムが加わったりしていたらしい。
Sheiks
とにかく、ロニー・チャットモンのフィドルがすばらしい。クラッシック音楽の基準からすれば、とても受け入れられない演奏法ということになるだろう。が、すこし視野を広げて聴いてみると、多様な生活世界が見えてくる。先入観を持たずに接してみたいものである。
Sheiksback
こちらは、同じCDのジャケット裏面。チャットモン・ファミリーの写真だが、年代や、どれが誰だかは不明である。当然音楽一家で、兄弟は何らかの楽器に携わっていたという。その中で、最も人気があり単独の録音を多く残したのがボー・カーター(Bo Carter、本名Armenter Chatmon.1893Miss~1964Memphis,Tenn)だ。

Bocarter1
ヨーロッパのレーベルOLDTRAMPのLP、OT-1203。おもに、ブルース形式の曲を年代順に集めてある。サブ・タイトルの[Mississippi Party Blues Singer・・・]というのが、言いえて面白い。

Bocarter2
YAZOO のLP、1014。録音年はバラバラだが、巧みなギターと歌を楽しめる。落語で言えば「バレ噺」と言えるような曲、たとえば、[Your Biscuits Are Big Enough For Me]のように卑わいなものもある。露骨に過ぎるとも言えるが、身近な人を集めたパーティーや盛り上がったジューク・ジョイントなどでは、このような曲が受けたとの想像もできる。

Waltervinson
ウォルター・ヴィンソンのアルバム、ヨーロッパのレーベルAGRAMのLP、2003。1929年から’41年までの録音17曲を収録。ヴィンソンはこの後シカゴに移り住み音楽からは遠ざかっていたが、'60年代のフォーク・ブームでカムバックした後、1975年にシカゴで亡くなる。

 
 YAZOOのCD解説によると、ロニー・チャットモンは1942年頃、病を得て死に臨んだ時「もう、ブルースはやりたくない、元気になれたら教会にいってゴスペルやるんだ・・・」と兄弟のサム(Sam Chatmon.1897~1983Miss)に語ったという。大衆に迎合した音楽を演奏していたという悔悟があったのか、あるいは宗教的な救いを求めたのか、それは誰にもわからない。ミシッシッピー・シークスが'30年代に録音した[Sitting Of The Top Of The World]は、1957年にハウリン・ウルフが取り上げ、その後多くのミュージシャンが取り上げスタンダードと言ってもいい曲になった。一方でサム・チャットモンはというと、ミシッシッピー・シークスでは少年の頃ベースを弾いたりしていたらしいが、かなり歳を取ってから多くの録音や映像を残した。その中には、[Sitting Of The Top Of The World]もあった。ちなみに、ジャック・オーウェンス(2011.7.9ブログ)の項で紹介したWOLFのオムニバス・アルバム[Giants Of Country Blues Guitar]の左端、長い髯をたくわえて写っているのがサム・チャットモンである。


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わたしのレコード棚―ブルース26、Ishman Bracey,

2011年07月16日 | わたしのレコード棚
 前回取り上げたトミー・ジョンソンと共にジャクソンで活動した、忘れることの出来ないブルースマン、イシュマン・ブレイシー(Ishman Bracey,c1901,Miss~1970,Jackson,Miss.正しくはIshmonだとも)を取り上げよう。ブレイシーは、ギター・ヴォーカル共になかなか器用な人で、1928年にヴィクターに残したチャーリー・マッコイとの録音ではかなり泥臭い演奏をしたかと思えば、1929年のパラマウントへの録音ではNewOrleans Nehi Boysとして都会的でニューオリンズのジャズの雰囲気を残した演奏もしている。少年の頃には、テキサスから演奏に来ていたブラインド・レモン・ジェファーソンの道案内をしたとも言われ、またデルタのミュージシャンとも交流があったらしい。それを考えるとブレイシーの器用さは、ジャクソンという土地がら、つまり地理的な要因が強いのかもしれない。しかしその後、'40年代の終わりか'50年代初めにはその音楽からブルースの要素を捨て、牧師になり宗教的な演奏を続けたと言われている。一説には、スキップ・ジェイムスの再発見時に消息を知っていたのはブレイシーだったとも言われている。宗教者としての繋がりがあったのかもしれない。

Ishmanbracey
P-VINEのCD2433。1928年メンフィス、1929年グラフトンでの録音19曲を収録。'28年2月3日のメンフィスでの録音では、Rosie Mae Mooreという迫力のあるブルース・ウーマンのバックでギターを巧みにこなしている。

 ブレイシーにギターを教えたのは、ルービン・レイシー(Rubin Lacy又はRube Lacy,c1901~c1972)とも言われている。レイシーは、2曲しか録音を残していないがその内の[Mississippi Jail house Groan]を下のCDが収録している。
Yazoo2015
YAZOOのCD2015、『Before The Blues-The Early American Black Music Scene vol1』。
1920年代から1930年代のプリブルース23人(グループ)23曲を集めたオムニバス盤で、様々な国からの移民が混在し、新たな音楽を形成してゆく過程を垣間見ることが出来る名盤。オールドタイム、アイリシュ・リール、黒人教会の説教など、興味ある人には示唆してくれる事が多いだろう。ジャケットの写真は、解説によると1860年頃の撮影とあり、当時のブラック・ストリング・バンド(詳細は不明)の様子を今に伝えている貴重なもの。なにしろ、その頃の日本は幕末からやっと明治に変わる頃なのだ。
他の詳しい収録内容は以下のジャケット裏を参照。
Yazoo2015back






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わたしのレコード棚―ブルース25、Tommy Johnson,

2011年07月13日 | わたしのレコード棚
 ミシッシッピーの州都ジャクソンを活動の中心にしていたので、「ジャクソン・ブルース」といわれるブルースマン達を取り上げよう。トミー・ジョンソン、イシュマン・ブレイシー、チャーリー・マッコイ、ルービン・レイシー、といった人達がそれにあたる。今回は、トミー・ジョンソン(Tommy Johnson,c1896Terry,Miss~1956,Crystal Spring,Miss)を取り上げる。


 トミー・ジョンソンのレコードも以前は探しても手に入らなかった。P-VINEのCDが出るまでは、わずかに下のようなオムニバスLPでその存在を垣間見る程度だった。
Ojl2
Origin Jazz LibraryのLP、OJL-2。トミー・ジョンソンは[Maggie Campbell Blues]を、イシュマン・ブレイシーは[Woman Woman Blues]を収録。他に、ウィリアム・ムーア、サン・ハウス、パパ・ハービー・ハル、スキップ・ジェイムス、サム・コリンズ、ジョージ・バレット・ウィリアムス、ヘンリー・シムズ、バスター・ジョンソン、ヘンリー・トーマス、なども収録。このシリーズは、歌詞カードが付いているので助かる。

Tommyjohnson
P-VINEのCD、2260。1928~'29年に残した録音17曲を収録している。現在では、新たに見つかった1曲を加えた18曲入りのCDが出ているようだ。
 1928年メンフィスでのヴィクターへの録音では、チャーリー・マッコイ(Charlie McCoy,1909Jackson,Miss~1959Chicago,ill)がギター(注ーマンドリンのように聞こえるような曲もある)で好サポートしている。チャーリー・マッコイは、メンフィス・ミニーのところで紹介したジョー・マッコイの弟で、ミシッシッピーではトミー・ジョンソンやイシュマン・ブレイシー、ミシッシッピーシークスなどとジューク・ジョイントなどで演奏し、後にはシカゴに出て多くのセッションに加わっている。単独でも、録音を残しているが手元にあるのはP-VINEの『The Story Of Pre-War Blues』に入っている[Last Time Blues]だけだ。
 トミー・ジョンソンのギタースタイルは、デルタの影響も強く感じられる。実際に、チャーリ・パットンらと交流があったとも言われたいる。が、リズムの取り方は特有なものがある。それは、1929年のグラフトンで録音された[Ridin' Horse]を聞くと良く分かる。この曲は、ウィリー・ブラウンの[Future Blues]と同じスタイルの曲だが、リズムの流れを滑らかにしてソフトな感じの曲になっている。つまりはデルタの溜めの効かせ方を少し緩めてエイト・ビートの要素を取りこんだ様な感じで、当時としてはモダンな感じを人々に与えたと思われる。また、そのビート感覚により、後のロック・ミュージックに与えた影響は大きく、有名なロックグループの「キャンド・ヒート」は、トミー・ジョンソンの[Canned Heat Blues]からその名前を取っている。[Canned Heat ]とは、「缶に詰められた熱さ」で、つまりは酒のことだ。トミー・ジョンソンはそのブルースを地でゆく大酒飲みだったらしく、アルコールから来る障害を抱えていたとも言われている。ジャクソンのジューク・ジョイントやパーティーなどでは1950年代頃まで演奏は続けていたらしい。が、もうすこし新たなブルースを作って録音し、我々にも聞かせてほしかった。

Alcohol,alcohol,cryin' sure,Lord,killin' me
・・・・・・
Alcohol don't kill me Lord, I'll never die [Alcohol And Jake Blues]

オレは、酒に殺されそうだよ、カミサマ・・・
酒さえなけりゃ、ずっと長く生きられそうなのによ・・・
  
(「密造酒のブルース」1929年12月ウィスコンシン州グラフトンにて録音)



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わたしのレコード棚―ブルース24、Jack Owens,

2011年07月09日 | わたしのレコード棚
 ジャック・オーウェンス(Jack Owens,1904Bentonia,Miss~1997)は極めて重要なカントリー・ブルースマンの一人だ、と声を大にして言いたい。この人の録音が地に埋もれてしまうようなことがあってはならない、と思う。が、現実にはCDは入手困難なようで、中古CDが驚くような高値でネットで売られている。かなり以前だが、P-vineにオーウェンスのCDを出してくれるようにお願いしてみた事があるのだが・・・残念無念。
 さて、オーウェンスがデイビッド・エヴァンス(ブログ2011/7/2のハミー・ミクソン参照)によって見出されたのは1966年で、その時すでにオーウェンスは60歳を過ぎていた事になる。エヴァンスによるLP解説によると、1966年の春にベントニアでスキップ・ジェイムスにインタヴューした際、他に良いミュージシャンがいたらということでコーネリアス・ブライト(Cornelius Bright)という若手のブルースマンを教えてもらい、さらにそのブライトからジャック・オーウェンスにたどり着いたらしい。
 オーウェンスがギター・プレイを教わったのは父と叔父からで、その二人はヘンリー・スタッキー(Henry Stuckey)、アダム・スラター(Adam Slater)、リッチ・グリフィン(Rich Griffin)らとスタッキー・ブラザーズ(The Stuckey Brothers)というグループで活動していたらしい。ベントニア・スタイルギターとでも言うべきオープン・Eマイナー・チューニングは、このスタッキー・ブラザーズから出たのかもしれない。

Jackowens
TESTAMENTのLP,T-2222『It Must Have Been The Devil』。1970年ベントニアにて、エヴァンスの手による録音6曲を収録した名盤。オーウェンスのヴォーカルとギター、バド・スパイアーズ(Benjamin "Bad" Spires1931~、ビッグ・ボーイ・スパイアーズの息子)のブルースハープ。オーウェンスのヴォーカルはジェイムスのようにファルセットではなくストレートでかなり力強い。またギター奏法もジェイムスと同じオープンEマイナーが多いが、オーウェンスは低音側をオールタネイトで弾き、それに高音側のリードに近い音を絡ませる安定感のある奏法で、ジェイムスとはまた違った味わいがある。
 ジャケットの写真を見ると、ほんとに昼間でもお化けが出てきそうな所だなあ。こわくて、一人じゃ絶対行けそうにない。
まあ、それはそれとして、エヴァンスは、このLPの解説で次のように言っている。

「Not only did Jack Owens play blues like Skip James,he played and sang better ! And I had considered James to be one of the greatest country bluesman.」
意訳してみる。
「スキップ・ジェイムスはもっともすぐれたカントリー・ブルースマンの一人とそれまで考えていたのだが、ジャック・オーウェンスのブルースはそれに勝るとも劣らない。」

 音楽はスポーツのように記録やスピードを競うものでは無いので、ミュージシャンの比較はあまり意味が無い、と常々思っている。しかし、このLPを最初に聴いた時には、わたしもそう感じたですよ、ホントに。


Wolf120911
こちらは、オーストリーのWOLFレーベルから出たオムニバスLP、120.911『Giants Of Country Blues Guitar 1967-81』。オーウェンスは、1981年6月の4曲を収録。他には、Son House,Sam Chatmon,Eugine Powell,Furry Lowis,Mager Johnson,Mott Willis,などを収録。

 オーウェンスは自宅の一部をライブができるスペース(ジューク・ハウスJuke house)にして、週末にバド・スパイアーズと共に演奏していたという。あとは、素朴な農民であり、ときに労働者だった。そこに、本来あるべきミュージシャンの姿を見るような気がするが、どうだろう。1997年2月、オーウェンスは、92歳の天寿を全うしたのだった。


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わたしのレコード棚―ブルース23、Skip James,

2011年07月06日 | わたしのレコード棚
 ミシッシッピーのベントニア・ブルースを代表するスキップ・ジェームス。といっても、ベントニア地方なんて行ったことも無いのでどの辺に在るのか知らないし、地図にも載っていないので想像もつかない。が、以前観たヴィデオで「昼間でもお化けが出そうなところ」という紹介フレーズがあったので、かなり鄙(ひな)びたところであることは間違いなさそうだ。資料によると位置的にはデルタ地方の南東、ヤズー・シティーとジャクソンの中間あたりにあるらしい。そんなベントニアに昔ヘンリー・スタッキー(Henry Stuckey資料によってはStarkneyとなっている)というギターリストがいたという。録音も残っていないので、どんなプレーヤーだったか詳しい事は全くわからないが、独自の音使いを残した天才的な人だったと思われる。そのスタッキーの影響下で、ギター・プレイを習得し、後に貴重な録音を残したのがスキップ・ジェイムスとジャック・オーウェンスの二人だ。今回は、ジェイムスを取り上げる。

 スキップ・ジェイムス(Skip James,1902Bentonia,Miss~1969Philadelphia,Pa)、本名はNehemiah James。Nehemiahとは、旧約聖書の「ネヒミア記」に由来すると思われる名前で、実際スキップ・ジェイムスの父は牧師だったらしい。ただし、米式の発音はネヒミアではなくニーアイアーになる。

Skipjames2
P-VINEのCD2263。1931年、ウィスコンシン州グラフトンでの歴史的録音18曲を収めている。内4曲では、ギターではなくピアノを弾いている。繊細さの中にもどこか硬直な芯が通った演奏は聞き応え十分。ブルース・ファンには、スキップ・ジェイムスは苦手と言う人も多いが、わたしはブルース史上忘れてはならないミュージシャンの一人だと思っている。この録音はあまり売れなかったためかジェイムスはこの後ブルースの演奏をやめて、テキサスに移りゴスペルを歌っていたらしい。さらに、その後には自身も牧師になったという。1940年代から20年以上音楽活動から遠ざかっていたジェイムスだが、彼を尊崇するギターリストのジョン・フェイ(John Fahey)らにより1964年に見つけ出され、ふたたびブルースを演奏するにいたった。

Skipjames1
BiographのLP12016。再発見された1964年の12月に録音された9曲を収録。この頃、ジェイムスはすでに体調を崩していたといわれ、そのためか声の張りを失っている。が、ギター・プレイは「さすが」と思わせるタイミングの絶妙さがある。この後、1967年にはエリック・クラプトンのいたクリームがジェイムスの[I'm So Grad]をカヴァーしてヒット・チャートにのせ、そのロイヤルティーで病気の治療をしたとも言われている。

Skipjames3
Skipjames4
DOCUMENTのCD5633・5634。1968年3月、インディアナ州ブルーミングトンで行われたコンサートの模様をスピーチを含めて収録。インディアナ大学のフォークソング・クラブの招きで行われたもので、若い聴衆を前にリラックスした好演奏をしている。ジェイムスのあたたかい人柄が、スピーチや演奏に表われているように感じられて、わたしの愛聴盤である。
 ジェイムスの音楽は、「マイナー・ブルース」とも言われる。確かに、ギターのチューニングをノーマルから4弦5弦を一音上げて弾く曲は「オープンEマイナー・チューニング」にはなるが、実際は3弦1フレットをほとんど押さえて弾いているので、厳密にはマイナーとは言えないだろう。この1弦から3弦まではノーマルと同じ押弦で弾けるオープン・チューニングにより、ジェイムスは独特の情感を表現し、ファルセットでのヴォーカルと相まって他のブルース・マンとは違う世界を作り上げている。
 この録音の翌年、1969年10月にジェイムスは癌のためフィラデルフィアで亡くなった。その翌年の1970年に、ベントニアのギターを受け継いでいたもう一人のジャック・オーウェンスは録音をレコードにすることになった。彼は、デイヴィッド・エヴァンスにより1966年に見出されていたのだった。次回は、そのオーウェンスを取り上げよう。


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わたしのレコード棚―ブルース22、Hammie Nixon,Yank Rachel,

2011年07月02日 | わたしのレコード棚
 前回取りげたスリーピー・ジョン・エステスと共に演奏活動をした二人のブルースマン、ハミー・ニクソンとヤンク・レイチェルについて書いておこう。

 ハミー・ニクソン(Hammie Nixon,1908Brownsvill,Tenn~1984Memphis,Tenn)は、戦前戦後を通じてハーピストとしてエステスと共に活躍した。演奏スタイルは、メンフィスのジャグ・バンド風の素朴なスタイルとシカゴの都会的なスタイルを併せ持った人で、わたしの好きなハ―ピストの一人だ。実際、以前紹介したキャノンズ・ジャグ・ストンパースのハーピスト、ノア・ルイスを聞きその影響のもとハーモニカを覚え、エステスと共にシカゴに行った折にはサニーボーイ・ウィリアムソンの影響を受けたらしく、双方の要素をあわせ持っていたのも自然な事と言える。





HIGHWATERの1003。1984年1月にメンフィス大学(Memphis State University)のスタジオでディヴィット・エヴァンス(David Evans)の制作・ギターで録音されたもの。ヴォーカルもハーモニカの音も生き生きとしている名盤。ニクソンは、この年の8月に亡くなるのでこれが最後の録音と思われる。
 ディヴィット・エヴァンスは、優れたギターリストであるだけでなく、研究者でもある。下は、エヴァンスが中心となったグループ[Last Chance Jug Band]が1997年に出したCD。アクが無い演奏で、ブルース・ファンには物足りないかもしれないが、個人的には好きな一枚である。まあ、都会に生まれ住んでいるものが民謡の小節をそれらしく歌えないようなもので、仕方の無い部分もあるだろう。むしろ、異なる要素をあわせ持っている文化を楽しむ余裕を持ちたいものである。
Lastchancejugband

 
 ヤンク・レイチェル(James "Yank" Rachell,1910Brownsville,Tenn~1997Indianapolis)も戦前からエステスと共に演奏していたマンドリン・プレーヤーだが、他にもシカゴでかなりなセッションに参加している優れたミュージシャンである。戦前のエステスとの録音は、下の『RCAブルースの古典』および『続RCAブルースの古典』の中に収められている。
Bluebirdblues1

Bluebirdblues2


Yankrachell
 こちらは、シカゴで録音されたシカゴ・ブルースのスタイルでの演奏。くわしいデータは無いが、発売は1987年となっている。
ドラムスは、1985年にロバート・ロックウッド・ジュニァーと共に来日し、すばらしいシカゴのリズムを聞かせてくれたオーディ・ペイン(Odie Payne)。ギターは、フロイド・ジョーンズ(Floyd Jones)。べースは、ピート・クロフォード(Pete Crawford)。
 レイチェルは詩人としてもすぐれ、今もシカゴで歌われているレイチェルのフレーズも多いらしい。かの、B・B・キングもレイチェルのファンだという。


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