文化逍遥。

良質な文化の紹介。

千葉市「中島書店」閉店

2019年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 千葉銀座商店街にある「中島書店」が今月末、つまり明日で閉店する。
 
 かつて、千葉の街にも大型の書店が多かった。今は無きセントラルプラザ内にあった「多田屋」は県内資本で今でも場所を替えて営業しているが、セントラルプラザ内にあった店舗は今と比べ物にならないくらい大きな売り場面積があり、人文系の書籍も充実していた。やはり今は無きパルコの中にも「改造社書店」が入っていた。その二つの大型書店は歩いても数分の距離で、その中間くらいの所ににあったのが「中島書店」だった。中規模の書店だが、地元に根付いた品揃えで、わたしもこの本屋さんが好きだった。創業は、1931(昭和6)というから、88年の歴史に幕を下ろすということになる。
 売り上げは、ピーク時の5分の1にまで落ち込んでいるという。本はネット通販で買い、雑誌などはコンビニで買う、という消費形態に短期間で大きくシフトしている。さらに「蔵書文化」と云うべき、個々人で大切に思う本を身近に置いて必要に応じて読み返す、ということをする人も少なくなった。

 時代の流れだが、大学で文学部だった者の一人としては、やはり寂しい気がする。

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五街道雲助『双蝶々』

2019年08月27日 | 落語
 やっと、朝晩に涼風が吹くようになってきた。夏バテ気味。

 前回と同じく、近くの図書館で借りた落語のDVDで、五街道雲助の『双蝶々(ふたつちょうちょう)』。この人は、十代目金原亭馬生の弟子で、前回の桃月庵白酒の師匠に当たる人。1948年生まれというから、私よりほぼ一回り上になり、ことし71歳。DVD収録は2008年2月、ビクター落語界より。この頃、桃月庵白酒と共に「親子会」と称して長演の落語をかけていたようだ。



 『双蝶々』はいわゆる芝居噺の大ネタで、このDVDでも通しで1時間40分ほど。ただし、全体を3部に分けた時の「長屋」「権九郎殺し」を65分程で一度高座を下り。その後「雪の子別れ」を33分程で演じられている。芝居噺だけに、しぐさも細やかさと大胆さが求められ、相当の気力と体力がなければ出来ない噺だ。この時雲助師匠60歳のはずだが、見た目も若々しく無駄のない噺ぶりは、みごと、という他ない。おそらく、この映像は、後の噺家さん達のお手本になるのではないだろうか。

 笑えるところのほとんど無い、重いテーマの長い噺だが、古典落語のひとつの「極」がここにある。「寄席」では、テレビのバラエティー番組の延長の様なことをやっていると思っている人達に、このようなDVDを一度見てもらいたいものだ。認識が変ることだろう。ただし、平日の寄席では、出演者各人の時間が割り当てられており、『双蝶々』のような長演はまずかからない。かかったとしても、前半部分を端折って「雪の子別れ」が真打ちでかかるくらいだ。本格的な長い噺を聴くには、落語会や独演会に足を運ぶ必要がある。

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桃月庵白酒、落語二席

2019年08月23日 | 落語
 このところ、東京の寄席まで行くのもしんどいので、近くの図書館から落語のDVDを借りて楽しんでいた。



 桃月庵白酒の「松曳き」と「山崎屋」の二席。2008年9月のビクター落語界からの収録なので、少し古いが白酒40歳の充実した高座だ。

 若い頃からけっこう落語に親しんできて、最近感じることがある。噺家には、芸人としての人生の中で3度ほど山があるようだ。1度目は噺家になりたての頃で、各人の師匠の話し方そのままに語ることが出来る時。これは、多く入門したての頃で、この時は聴いていても「若いのにけっこう上手いなあ」と感じる。この山を超えた人達は「二つ目」に昇進するようだ。しかし、山の次には谷があり、師匠のコピーから自分なりに噺を昇華し、独自色が出て完全に自分の芸になるまで試行錯誤に苦しむ期間が来る。これを超えた人達は「真打ち」と呼ばれるようになり、独り立ちして活動できるようになる。これが、2度目の山。この2度の山を超えられずに、かなりの人達が廃業するのだろう。
 そして3度目の山は、長い芸人生活の最後に近く、その人の人間性がそのままに出るような芸に至る時。「名人」と呼ばれる人たちだが、ここに至るのはごくわずかな人達だ。また、世間では名人と言われた人の中でも、実際に高座を聴いてがっかりしたことも少なくない。これは、客を呼ぶために意図的に「名人」にされた、あるいは自ら評判を作り上げた噺家もいるということだ。
 まあ、それはそれとして、古典でも新作でも、なかなか現代の生活に慣れた人達には理解できないことも多い。聴く方にかなりな想像力が必要だからだ。ITの発展と共に「便利さ」を得ることで、失われたものも多い。それは、一言でいえばやはり「想像力」。「言霊」と言ってもいい。落語の中に「心の豊かさ」を込められる、そんな噺家さんが増えれば良いと思う。

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1953年日本映画『ひろしま』

2019年08月20日 | 映画
 8/17(土)午前0時からETVで放映されたもの。わたしも、この作品を知らなかったが、先行して8/10に放送された「ETV特集」で取り上げられ、その存在を知った。その後、映像をデジタル化してノイズを除去した後、作品そのものを深夜に放送したもの。広島での被爆から戦後の朝鮮戦争による特需の頃までを、静かに描いている。

 監督は関川秀雄、監督助手に熊井啓など、脚本は八木保太郎で基にしたのは長田新著『原爆の子』。主な出演俳優は、岡田英次、山田五十鈴、月岡夢路、加藤嘉、などでその他の被爆者等に当時の広島市民85000人余り、となっている。企画・制作は「日本教職員組合」、すなわち「日教組」だった。ここが大きなポイントになるが、個々の組合員から募金を募り制作されたのがこの作品だったのだ。この作品が注目されることがなく、長く「不遇」とも云える運命をたどることになった大きな要因がここにあった。すなわち、日本が独立した昭和27(1952)年以降、レッドパージとも云える動きがあり、出演した一般の人達も「ETV特集」で語っていたところによると、周囲の反応が冷たく、暗に「止めた方がいい」と言われたりしたという。
 完成した後も、大手の配給会社は取り上げず、地方の独立系映画館がわずかに放映した後、国立フィルムセンターに眠っていたらしい。数奇な運命、というほかは無い。

 実際に作品を観てみると、組合活動への理解を求めるような場面すらなく、ましてや共産主義思想を称賛するような場面もない。当時の風潮とは言え、これだけの作品が埋もれていたことは、あまりに惜しいことだった、と言わざるを得ない。
 しかし、再びこのように注目されてきたことは「作品の質の高さ」ゆえにだろう。また、昭和28年に撮影されているので、原爆のシーンなどはセットだが、その他は当時の街並みの様子がそのまま写っている。その意味でも貴重と言える。この後、一部の映画館での上映も予定されているという。これを観たアメリカの映画監督オリバー・ストーンは、インタビューで「詩的要素をまで含んでいる」と語っている。国内のみならず広く世界で、多くの人に観てもらいたい作品。

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わたしのレコード棚―ブルース77、Jack Kelly

2019年08月16日 | わたしのレコード棚
 ジャック・ケリー(Jack Kelly)は、音程の安定した力強いヴォーカルと、独特のヴォイシング(音使い)のギターで「サウス・メンフィス・ジャグバンド」を引きいたプレーヤーだ。P-VINEのCD『The Story Of Pre-War Blues』の中山義雄氏の解説によると、ケリーは1905年頃ミシシッピー北部の生まれで、メンフィスの大きなホテル「ピーボディ・ホテル」に出演して稼いでいた、という。実際に聴いた感じでも、ブルースと云うより、エンターテナーの色合いが強く、日本では演芸場に出演するような「ボーイズ」に近い音作りに聞こえる。
 1930年頃のメンバーは、ジャック・ケリーの他に、ヴァイオリンにウィル・バッツ(Will Battts)、ギターにダン・セイン(Dan Sane)、ジャグには“ドクター”D・Mヒッグス("Doctor" D M Higgs)など。



 おそらく、彼のステージにふれた人達は、ニコニコしながらゆっくりとウィスキーなどを傾けていたのではないだろうか。そんな想像をさせるのが、上のCDだ。オーストリーのRSTというレーベルで、編集はジョニー・パース(Johnny Parth)。CDジャケットの写真は、ヴァイオリンをかまえているのでウィル・バッツだろうか。曲のメロディーは、「Brownsville Blues」タイプのものが多いが、言葉も豊富で多様性も持っている。ただ、ダン・セインのギターの音が聞き取りにくいのが、少し残念ではある。

 ちなみに、ジャグ(jug)というのは、大きめのビンや缶などを使った楽器で、ラッパを吹く様な感じで口元を少し離してブッ・ブッっと低音に近いところを鳴らす。本来は、楽器を買えない貧しさの中から生まれた工夫だったと考えられるが、しだいにメンフィス辺りでヴォードビルの要素を持つようになっていったと思われる。うまい人が演奏すると、きちんとした音階が出せる。わたしも、以前ウィスキーの大びんを使って録音してみたことがあるが、基音(トニック・ノート)をねらって音を出すのが精いっぱいだった。


 上の写真は、メンフィス・ジャグ・バンドのジャグを演奏している人(ジャブ・ジョーンズのはず)を拡大してみたもの。写真下側に写っているのがジャグで、上の人はカズーのようだ。

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2018年イギリス映画『風をつかまえた少年』

2019年08月13日 | 映画
 このところの暑さで、なかなか映画館に足を運べなかったが、8/12(月)午前、曇っていて少し涼しかったので自転車で千葉劇場にいってきた。
 原題は『The Boy Who Harnessed the Wind』。事実に基づいた作品。原作はウィリアム・カムクワンバで、日本語にも翻訳されていて『風をつかまえた少年』として文芸春秋から刊行されている。監督・脚本そして自ら父親役で出演したのは、キウェテル・イジョフォー。少年ウィリアム役にマックスウェル・シンバ。言語は、基本的にマラウイの公用語である英語だが、民族語が混じり、訛りもあってあまり聞きとれなかった。





 2001年、アメリカでは同時多発テロが起こった年、アフリカ南東部の内陸に位置する国マラウイでは深刻な干ばつに見舞われていた。貧困のために学費を払えず退学になったウィリアムは、それでも電気に関する知識を得ようとなんとか学校の図書館を利用して勉強し、自転車ついているライトの発電機(ダイナモ)を使って風力発電しポンプを動かして水を汲み上げる灌漑設備を作ろうとする・・・。

 ストーリーは単純で、感動的な良い結末に終わる作品だ。が、乾燥した台地や、農民達が僅かのお金のために木を売り払ったために保水性を失った土地が画面いっぱいに広がった時、あるいは食糧の略奪が起こるシーンでは、いずれやってくる温暖化した環境を垣間見る気がして、正直ゾッとした。実際、インドなどでは地下水に塩分が強くなり農業用水として使えず、どんどん深いところから汲み上げている、という。実話を基にしたこの映画も、ハッピーエンドに終わる。しかし、将来的に予想される水質の悪化や地下水位の低下で、同じような方法で灌漑できるとは限らない。あるいは、この映画は「未来への警告」を込めた作品なのではないだろうか。その視点から観れば佳作と云っても良いように感じた。

 さらに、葬儀の場面で、民族の伝統的な衣装を身に付けた踊りと歌が出てくる。それが、暗示するものは広い意味での「死」だったのではないか。そんな気もする。

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わたしのレコード棚―ブルース76、Blind Willie Davis

2019年08月09日 | わたしのレコード棚
 このところ、ゴスペルのオムニバスLPなど聴いていて気がついた事がある。世俗の音楽というイメージの強いブルースの歌詞の中にも伝統的宗教音楽であるゴスペルの言葉をそのまま流用しているものが少なくない。

 例えば、ブラインド・ウィリー・デイビス(Blind Willie Davis)が1930年にグラフトンで録音した『I Believe I'll Go Back Home』。これは、そのままのフレーズで、ロバート・ジョンソンやエルモア・ジェイムスの『Dust My Broom』に出てくる。ゴスペルの言葉として「Home」は、「神の家=天国」を意味しているのだろう。そう考えると、浮気な恋人に「家に帰ったら、おまえはおとなしくなるさ」といった程の意味だと思われたブルースの言葉も、「この世の心変りも天に召されれば静まることだろう」と解釈することもできる。

 さらにもうひとつ。同じくウィリー・デイビスの『I've Got A Key To The Kingdom』。これは、「天国に入る鍵を持っている」という程の意味だろう。ブルースの方では、『Key To the Highway』という私もレパートリーに入れているビッグ・ビル・ブルーンジーやブラウニー・マギーの曲に通じるものがあるように思われる。『Key To the Highway』は旅をテーマにした曲で、ここでの「Key」はブラウニー・マギーによると「旅心」のようなものという。そこを拡大解釈して、「Highway」を「神の国」に通じる道、と捉えることも出来ないことはない。言葉を、単に辞書の上だけで解釈していては、表面的な理解しか出来ない、ということだ。ブルースとゴスペルの言葉、その共通点を見つけ出すことにより、さらに深い意味を見出して、それを自分が演奏する時にも生かしていきたい。

 さて、ブラインド・ウィリー・デイビス(Blind Willie Davis)という人も、生年および没年など詳しいことはわからない。我が家にある録音は、YAZOOレーベルのオムニバスLPなどに入っている『I've Got A Key To The Kingdom』と『Your Enemy Cannot Harm You』の2曲とAUTOGRAMレーベルのオムニバスLPに入っている『I Believe I'll Go Back Home』、合計3曲のみだ。全て1930年に録音されたらしいので、20世紀初め頃に生まれた人だった可能性が高い。


 YAZOOレーベルのオムニバスLP、L-1022。他に、チャ-リー・パットン、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ジェイバード・コールマンなどを含む14曲を収録。名盤。

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酷暑続く

2019年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
 今年は長い梅雨寒が続いた関東も、7月下旬になってやっと梅雨明け。その後は、「災害並み」と気象庁が注意喚起する程の厳しい暑さ。実際に熱中症で救急搬送されたり、亡くなっている人も多い。
 千葉では、夜もこのところ26度~27度位までしか気温が下がらない。エアコンを入れて寝るしかないが、やはり徐々に疲れがたまってゆく。そんなわけで、この危険な暑さが通り過ぎるまで省エネを考慮して、おとなしくしていることにした。今月のブルース・セッションも不参加。暑い夜に冷房をギンギンに入れて、エレキギターを鳴らすのは、考えてみればかなりなエネルギーの無駄遣い、と言える。
 さまざまな商業施設では、台風のような災害では休みにする店も多いが、「災害並みの暑さ」と云われてもなかなか休みにくい。まあ、その分営業できなくて利益が出せないわけだから、分からないでもない。が、長い目で見れば思い切って営業を縮小する位の省エネあるいは熱中症対策をとった方が良いのではないだろうか。たとえば、夏の午後の暑い時間は店を閉めて従業員は昼寝をする、とかね。スペインやイタリアでは「シエスタ」という昼寝の習慣があると聞く。日本でもそんな慣例を作ってみたらどうだろう。暑い中を扇風機やエアコンを買いに行って熱中症で具合が悪くなったのでは、シャレにもならない。

 我が家では冷房の設定温度を、室温が28度位になるように高めしているが、それでもギターの練習をしていると汗が出る。ただ、28度といっても、昼過ぎには外気温が34度程の日が続いているので、6度下げていることになる。北関東の内陸部では38度近くまであがっているので10度下げているわけだ。それだけでも、全体的にかなりなエネルギー消費になる。環境問題として捉え、エネルギーの浪費は避け、さらなる省エネに心掛けたい。

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わたしのレコード棚―ブルース75 、Kid Prince Moore

2019年08月02日 | わたしのレコード棚
 およそカントリー・ブルースと云われる音楽を演奏した人達の中で、レコードやCDなどを残すことが出来たのは1割ほどだろう、とも言われている。つまり、10人のブルースマンがいたとすると、その中で1人しか録音の機会に恵まれなかったことになる。残りの9割のブルースマンは、ひたすら演奏しつつ、おもにアメリカ南部を彷徨っていたことになる。
 キッド・プリンス・ムーア(Kid Prince Moore、ヴォーカルとギター)は、ピアニストのショーティー・ボブ・パーカー(Shorty Bob Parker)と共に録音を残せた幸運なブルースマンだった、と言えるだろう。1936年にニューヨークで7曲、1938年にノース・キャロライナで12曲を吹き込んでいる。その19曲がキッド・プリンス・ムーアの残した全ての録音だ。ギター・スタイルはブラインド・ブレイクに近い東部のものだ。ポール・オリバーのLP(WSE126)解説などにもあるように、おそらくイースト・コーストで活動していたと思われるが、詳しい事績はわかっていない。録音年から考えると、ブラインド・ブレイクより1世代ほど若い、20世紀初頭に生まれた人だったのではないだろうか。
 ギターやヴォーカルに派手さは無いが、しっかりしたピッキングで無駄がなく、ピアノのバックに回ってもシンプルだがしっかりピアノを引き立てている。個人的には好きなミュージシャンだ。おそらく週末などに演奏するソング・スターで、またゴスペルナンバーも含まれているので、教会などでも演奏していたのかもしれない。なんとなく「素人臭さ」を感じさせるところも、親近感が湧いてくる。陰に隠れて目立たないが、その人が生きた時代の息吹を感じさせてくれる。そんなミュージシャンの録音が残っていることに驚きを禁じ得ないが、またこういったLPを出してくれているSPレコードのコレクターにも感謝したい。


 オーストリーのWOLFレーベルのLP、WSE126。録音順に全19曲を収録。


 YAZOOレーベルのオムニバスLP、L-1022「Ten Years Of Black Country Religion 1926-1936」。その名のとおり、田舎の黒人によるゴスペルナンバー14曲を収録。キッド・プリンス・ムーアは、『Church Bells』と『Sign Of Judgement』の2曲。


 ドイツのレーベルAUTOGRAMのLP、TLP-1003「Guitar Evangelist」。「Evangelist」とは、「伝道者」ほどの意味になろうか。上のLPと同じく黒人ゴスペル16曲を集めたオムニバス盤。ムーアは、やはり上のLPと同じ2曲が入っている。しかし、LPジャケットの写真は合成されたものだろうが、意味が伝わってこない。ギターリストの顔の部分にキリストの磔像を合成したのだろうか。

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