文化逍遥。

良質な文化の紹介。

草刈場貝塚2023/12/30

2024年01月09日 | 考古・エッセイ
 元日の能登半島地震から一週間。被害状況が明らかになるにつれ、その深刻さは増すばかりだ。特に、交通インフラの破壊は深刻で、援助物資が避難所などに届いていない。そして、1月2日午後6時頃に羽田空港で起きた、被災地へ向かう海保機とJAL機の衝突事故。2011年の東日本大震災以降も、災害に対する対応力は貧しいままなのか、と感じている。もう少し危機感を共有したいものだ。


 さて、昨年暮れ12月30日に墓参の帰りに「草刈場貝塚」に寄って写真を撮ってきたので、紹介しておく。
 地元でもあまり知られておらず、注意していないと見つけるのに苦労する小さめの貝塚だ。位置的には千葉市貝塚町にあり、特別史跡の加曾利貝塚から1.5キロメートルほど、国史跡の荒屋敷貝塚からは3百メートルほどのところにある。


石碑が立っていて、その奥の草むら周辺まで貝塚のようだ。正確には、ここは「草刈場南貝塚」になり、縄文後期の遺跡になる。


どうしても電柱の影になってしまったが、石碑の日付は昭和45年と見える。写真の右上、道路を挟んで右側に少し開けた所が見えるが、そこが下の写真2枚の「草刈場(北)貝塚」で縄文後晩期の遺跡になる。


時代が比較的新しい貝塚は、貝が地中深くに埋もれることがなく、地表近くに多く観察できる。地面に白く見えるのが、全て貝になる。


地表の拡大写真。貝がはっきり見えている。


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千葉市「東寺山貝塚」2023/10/28

2023年10月31日 | 考古・エッセイ
 引き続き良い気候なので、自転車で町を散策しながら、ゆっくりと走っている。

 この日(10/28土)は、家から20分程のところにある「東寺山貝塚」へ。千葉市内だけでも120か所ほどの貝塚が確認されているが、その多くは未発掘。特別史跡の加曾利貝塚でさえ半分も調査が終わっておらず、現在も発掘調査が行われている。ここも他の貝塚と同じように、ほとんど発掘調査は行われていない。ただここは千葉県の指定史跡で、公園や神社内に位置していることもあり、宅地開発などで消滅してしまう心配はほぼ無いのが救いではある。貴重な土偶や土器などが土の中に眠っているのは確実なので、是非とも予算を付けて少しずづでも貴重な文化財の保存に努めてもらいたいものだ。



公園内にある1997年設置の案内板。県の史跡に指定されたのは、昭和55年(1980年)となっている。


こちらは、上の案内板がある場所から少し上がったところにある神社。


神社の境内を撮ったもの。白く見えるのは貝殻で、下の写真も同じ場所。二枚貝が多いようだ。



神社の隅にひっそりと建つ石碑。半世紀以上前の昭和46年(1971年)の日付が見える。

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千葉市荒屋敷貝塚2023/9/24

2023年09月26日 | 考古・エッセイ
 9/24(日)、墓参の帰りに国の史跡である荒屋敷貝塚に寄ってきた。千葉市貝塚町というところにあり、地名のとおりで多くの貝塚が集中し、どこを掘っても貝殻が出てくるところだ。ちなみに特別史跡の加曾利貝塚は、ここから直線距離で2Km程のところにある。縄文時代には貝塚を中心に「村」が形成されていたと考えられるので、時代が同じであれば「隣村」として多くの集落が存在していただろう。







 夏の終わりで、昼間にもかかわらず秋の虫の鳴き声が聞こえていた。ここは蛇も多いとかで、草むらの中には入らない方が無難、と言われている。

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縄文時代研究講座(第2回)2023.1.28

2023年02月02日 | 考古・エッセイ
 加曾利貝塚博物館が主催し、千葉市生涯教育センターの地下ホールで「縄文研究講座」というものが行われている。以下は、千葉市ホームページ内の案内より引用。
「加曽利貝塚や縄文時代について最近の研究成果を学びます。全6回の講座で、それぞれテーマが異なるオムニバス形式の講座です。一般の方向けの講座ですが、内容はやや専門的です。」


 千葉市内には、確認されているだけでも貝塚が120カ所あると言われてる。わたしも縄文文化に興味があるので、自転車で行けるところを訪ねて、見て回ったりしている。この日、1/28(土)第2回の講座は『北の大地の「周堤墓」と集落~「キウス」を例として~』だった。
 「キウス」というのは、北海道の地名で新千歳空港の近く。周堤墓(しゅうていぼ)というのは、レジメから引用で「堅穴を掘り周辺に土堤を円環状に巡らせて区画し複数の土坑墓を構築した、集団区画墓。縄文時代後期後葉の北海道石狩低地帯を中心に分布する」というもの。
 講師は阿部明義さんという方で、本来は、北海道埋蔵文化財センターに所属されているが、現在は千葉県内の発掘調査を手伝いに千葉に滞在しておられるとか。特別講義、といったところだろうか。
 内容は、ここに書いているとキリがないので書けないが、興味深く濃いものだった。聴衆も皆熱心に聴いていた為か、だんだん熱が入り予定時間を20分もオーバーし、会場のタイムリミットが迫ったらしく主催者側が何度も講師に時間を注意喚起するという、微笑ましい事態になった。結局、2時間近い講演だったが、個人的には時間を感じないほど興味深かった。

 コロナ感染を予防するため、座席配置は一つ置きで、収容人数の半分ほどしか入場できない状態。なので、聴くには事前の申し込みが必要で、応募多数の場合は抽選になる。今回は、たまたま参加できたが、もう少し広い会場で多くの人に聴いてもらえたらと感じた。


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加曾利貝塚2022.5.28

2022年05月31日 | 考古・エッセイ
 5月28日(土)、墓参の帰りに加曾利貝塚に寄ってきた。天気が良くて、ちょっと暑かったが、スッキリした空の青さが、なかなか気持ちよかった。


 国の特別史跡に指定されてから、発掘作業が再開されて今も続いている。この日は、土曜だったので作業は休みのようだった。シートが掛けられている下が、発掘調査されている所と思われる。

 未だ、貝塚全体の3割ほどしか発掘されていない、と聞いている。これからの作業で土器や土偶など、貴重な遺物が出てくるかもしれないと思うと、ワクワクする。


 ここは、大きな円を南北に二つ並べた様な、8の字型の貝塚になっている。写真中央に写っているのは、南貝塚にある貝の層を観察できる施設。


 復元された、縄文住居。ただし、これらはあくまで想像して復元されたもので、実際の縄文期の住居がどのようなものだったかは誰にもわからない。むしろ、各自で想像して、楽しみたい。なにしろ、鋸とか釘、金槌など、金属の道具は無いわけで、石の道具で建てたのだろうから。史跡を訪れ、遥か昔の人々の苦労を想うのも、また悪くはない。

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荒屋敷貝塚2021/10/23

2021年10月27日 | 考古・エッセイ
 急に気温が下がって、なんとなく冬を感じるようになってきた。墓参の帰りに、千葉市貝塚町にある荒屋敷貝塚に寄りスマホで何枚か写真を撮ってきた。


 町名のとおりで、この周辺には貝塚が多く、特別史跡の「加曾利貝塚」まで直線で1キロメートルほど。ここ荒屋敷貝塚も国の史跡になっている。


 この日のように穏やかで天気の良い日にここに来ると、気持ちが落ち着きホッとする。ここは、縄文中期の遺跡だが、さらに深い層にはそれ以前に人が暮らしていた痕跡がみられるという。太古の景色を彷彿とさせる、そんな光景が心をなごませてくれるのかもしれない。高速道路が、この下をトンネルで通っている。この史跡を保存するために尽力した人達の働きかけにより保存ができたという。史跡の保存に尽力してくれた先人たちに感謝したい。


 貝塚は、丸木舟で貝を運んだと推測され、千葉市内の貝塚には全て水系がある。ここは葭川の水源地のひとつで、写真では草むらにしか見えないが、今は調整池になっている。荒屋敷貝塚は、この右奥にあるが、周辺には20か所以上の貝塚が確認されており、以前にも書いたがここを発掘すれば間違いなく遺物が出ると言われている。今はススキが風になびいているだけだ。ちなみに、この周辺の貝塚は全て葭川水系に属している。が、ここから発する川の流れは、今は変えられていて千葉市の中心部手前で都川に注いでいる。

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岩屋古墳

2021年10月17日 | 考古・エッセイ
 10/14(木)、例によって友人夫妻のドライブに便乗。この日は、千葉県の成田市と印旛郡栄町にまたがる「房総風土記の丘」周辺。予備知識があまりなかったのと、時間の都合もあり、あまり多くは回れなかったが、岩屋古墳という全国でも指折りの大きい方形古墳を訪れることが出来た。


一辺が78メートルほどの四角い古墳で、3段に築かれており高さは13メートルある。かなり強い勢力を持った地方豪族が存在していたことが想像される。また、この近くには「龍角寺古墳群」という、前方後円墳を含む多数の古墳が存在する。




墓室の入り口。当然ながら、施錠されている。


岩屋古墳近くにある坂田ケ池。かなり施設、設備が整い、釣りなども楽しめる。

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荒屋敷貝塚2021/3/17

2021年03月18日 | 考古・エッセイ
 彼岸の入りだった17日(水)、墓参の帰りに千葉市若葉区にある荒屋敷貝塚に寄った。







 ここは、千葉市内に5か所ある国指定の史跡のひとつ。特別史跡の加曾利貝塚のように博物館や貝層が観察できる施設があるわけではないが、地表面をよく見ると白い貝が観察できる。夏になると草が伸びて草原になるが、蛇が出るということで迂闊に入らない方が良いと言われている。
 この周辺は貝塚町という所で、その名のとおり貝塚が20か所ほど確認されている。ここのように国の史跡に指定されているところは、好き勝手に造成したり出来ない。が、他のところは最近宅地化が進み、無残にも跡形もなくなっている所も多い。
 発掘するか否かは別にして、歴史を実感することが出来る場所が失われるのは「損失」以外の何物でもない。もったいないことだ。

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『ちばの縄文』

2020年12月14日 | 考古・エッセイ
 12/12(土)午後、千葉市中央区青葉町にある「千葉県立中央博物館」に行ってきた。昨日12/13までだったが、『ちばの縄文』という企画展が行われていた。


 ここまで、我が家から自転車で35分くらい。曇っていたが、気温は15度ほどで寒くはなかった。入館料は500円だが、23ページほどの小冊子をくれる。





 現在確認されている貝塚の3分の1は千葉県内にあり、その数では最多だ。その千葉県の貝塚から出土した様々な縄文期の遺物は、上野の国立博物館など県外の施設に所蔵されているものや個人蔵のものも多い。そんな、言わば「流出」した遺物の中から選りすぐりのものを、今回特別企画として「里帰り」させて展示されていた。
 特に、黒曜石の石器や土偶が素晴らしかった。土偶は手のひらに載るほどの小さなものばかりだったが、見ていると何か吸い込まれそうで、神聖なものに出会ったような気さえした。

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縄文の水場ー東寺山調整池

2020年05月28日 | 考古・エッセイ
 コロナウィルスの感染拡大により出ていた「緊急事態宣言」も5/26で全国解除になった。が、旧に復すのは段階的で、いましばらく様子を見るしかない。というわけで、相変わらず、運動がてら自転車で周辺の遺跡などを巡っている。


 千葉市東寺山調整池。豪雨の時などに雨水を一時的にここに溜めて、川が氾濫しないようにするための貯水池として利用されている場所。ここまで、左端に写り込んでいる自転車で家から15分くらい。
 葭川源流の水源地の一つで、周囲は遊歩道になっている。写真の右奥、少し高くなっている台地の奥には「東寺山貝塚」など複数の遺跡があり、やはり、ここまで丸木舟で貝などを運び、あるいは、生活用水を調達したと考えられる。


 写真からは景色しか見えない。が、鳥やカエルの鳴き声が聞こえ、草花が咲き、樹木から出る清涼な空気を感じ、自分が自然の一部であり、歴史の上に立っていることを実感できる。ここは、そんな場所だ。

 しかし、今回のコロナウィルスの蔓延で外出に制限がかかり、自分の家の近くに自然や歴史を感じられる場所が残っている有難さを、しみじみと感じた。外に出てリフレッシュできる場所があると無いでは精神的負荷がずいぶん違う。

 余談だが、若い頃仕事で東京を経めぐり、千葉から来たというと、ずいぶん馬鹿にされ、時に差別的な発言を投げかけられたりした。要するに、そういった発言を平気でする人たちは「根無し草」で、精神的に不安定だったのだ。今は、同情さえも感じる。実際、東京では自粛要請が出て以降、近隣のトラブルが多発、殺人事件までおきているという。狭い空間で「ステイホーム」を続けていれば、苛立ちがつのり、そのエネルギーが他者に向かってしまう。最近話題になっている「自粛警察」などといった異常な行動も、閉鎖空間に閉じ込められることによる精神的なストレスが原因のひとつなのかもしれない。このまま、コロナウィルスの感染が終息してくれることを願うばかりだ。

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作草部遺跡

2020年05月25日 | 考古・エッセイ
 我が家から歩いて7~8分のところに「作草部(さくさべ)神社」という古い社がある。境内を歩いていると、時に古い貝を見つけることがあり、その中には「イボキサゴ」という現代では食べない貝もあったりするので、ひょっとしたら貝塚ではないかと思っていた。そこで、インターネットで調べてみたところ、「千葉県文化財地図」というものに「作草部遺跡」として掲載されていることが分かった。この周辺からは縄文から平安時代までの遺跡がかなり確認されている。が、私有地にあるものに関しては、簡単な調査をした後地主に返還されたようで、今では宅地などになってしまっている場所も多い。その中でも「作草部遺跡」は、神社あるいは公園なので、今でも貝塚の一部を観察できる。


 作草部神社。左端に案内板が見え、下の写真はその一部を大きくとったもの。周辺の遺跡については書かれているが、当の「作草部遺跡」に関しては、書かれていないのが残念。



 境内には、こんな感じで貝が落ちているが、これだけだと誰かが捨てたものとしか見えない。


 こちらは、上の写真から少し離れたところだが、かなりな量の貝が確認できる。下の写真は、拡大して撮ったもの。白く見えているのが貝殻で、二枚貝が多いようだ。



 こちらは、作草部神社横にある「都賀公園」。平安時代の焼物である土師器(はじき)などが、ここから出土している。


 作草部神社から坂を下って、数分歩いたところにある葭川の支流。写真奥が下流方向で、現在では千葉市中心部を流れ下り、河口近くで都川と合流して東京湾に至る。しかし、縄文期は気候が温暖で、海が今より内陸に入り込んでいて川の流れも今とはかなり違っていたと考えられる。この辺りも、わたしが子供の頃は、この様な護岸工事はされておらず、周辺も湿地帯のようになっていた。フナ釣りなども出来たものだった。縄文期には、この川を利用して海から丸木舟で貝を運んだと考えられる。


 こちらは、上流方向。この先、水源地近くには、レッサーパンダの「風太」が立ち上がるとかで、一時話題になった「千葉市動物公園」がある。実は、そこも石器時代からの遺跡があり、考古学的には重要な場所。

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縄文の水場ー貝塚町調整池

2020年05月21日 | 考古・エッセイ
 先週5/15(金)自転車で墓参に行ったので、途中にある「縄文時代の水場」と考えられている場所の写真を携帯で撮ってきた。撮影場所まで、自転車で20分くらい。



 千葉市内にある貝塚は、ほぼ例外なく川の近くの丘のようになっている台地上にある。川を利用して海から丸木舟で貝を運び、土器で煮たりして加工したと考えられている。上の写真は、千葉市若葉区貝塚町にあり、現在は調整池となっている場所。谷底のような地形で、写真左端には水が枯れない場所もある。つまりは、自然の井戸とも言える所で、川の源となり「葭川(よしがわ)」という川に縄文期は合流していた。しかし、今は流れが変わっていて、従って水系も変化している。
 ここから特別史跡の「加曾利貝塚」までは直線で2キロメートル弱だが、加曾利貝塚は「坂月川(さかづきがわ)」という川を利用しており、都川水系になる。4/17のこのブログに書いた、国指定の史跡「荒屋敷貝塚」は、写真右上の方向にある。その他にも、大小20近くの貝塚がこの周辺に確認されていて、縄文期には、ここまで舟で貝を運び、あるいは、水を汲んだりしたと考えられている。

 この辺りは、貝塚町という地名のとおりで、何処を掘っても昔の貝が出てくるようなところだ。おそらく、上の写真に写り込んでいる高圧電線や鉄塔を除けば、この辺りの光景は縄文の昔からあまり変わっていないのではないかと思われる。

 ここも、本格的に発掘調査すれば、ほぼ確実に縄文期の遺物が出土すると言われている。が、現在は周辺に住宅等が多く建っており、時に粗大ごみがここに不法投棄されていたりする。地元の人に、特に子供たちには、この場所の歴史的な重要性をよく知ってもらい、自分たちの住んでいるところが太古の昔から多くの人々が生活を営んでいたのだと想像してもらえたら、と思っている。

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大塚古墳

2020年05月14日 | 考古・エッセイ
 相変わらず、運動のために自転車で近くにある遺跡などを巡っている。今回も、前回(5/11)に続いて、地元にある古墳を訪ねて来た話題。
 5/13(水)午前、行ってきたのは、千葉市若葉区にある「大塚古墳」。


 古墳の下にある案内板。道より高いところに設置されていて、普通に歩いていると気づきにくいように感じた。詳しい発掘調査が行われていないので、年代の特定等は出来ていない。


 古墳の上だけ樹々が生い茂っている。おそらく、土地の整備をするときに、遺跡の上だけそのままにしておいたのではないかと思われる。後方に見えているのは、千葉都市モノレールの「みつわ台」という駅。ここまで、自転車で家から25分くらい。この日は少し暑くて、黄砂の飛来も予想されていたが、それほどでもなく、まあまあ気持ちよく走れた。

 以下の写真は、ここから時計回り(右回り)に1周して撮ったもの。







 周辺は小高い丘になっていて、公園として整備されている。地元の人でも、この辺りに縄文時代からの遺跡などが多い事はあまり知られていない。なので、是非とも発掘調査して周辺住民に遺跡の重要性を知ってもらい、大切に保存にしてもらいたいところだ。

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戸張作遺跡

2020年05月11日 | 考古・エッセイ
 相変わらず、自転車で近隣の人の少ないところを走って体を動かす日々が続いている。

 5/9(土)午後、千葉市東寺山というところにある「戸張作(とばりさく)遺跡」に行ってきた。縄文時代の貝塚では、数・規模ともに全国でもっとも確認数が多い千葉だが、古墳時代の遺跡も結構ある。近畿地方のように大規模なものは確認されていないが、径20~30メートルの円墳が多いようだ。古墳時代に、かなりな地方豪族が存在していたということだろう。


 ここまで、我が家から自転車で10分くらい。元々は、9基の円墳があったというが、今は2基を残して公園になっている。小高い丘の上に位置しており、かなり遠くまで見渡せる。写真左端に案内板が見え、その奥に少し盛り上がっているのが1号墳。ちなみに、写りこんでいる自転車はわたしのもの。


 1号墳の拡大写真。少し調べてみたところ、ここでの発掘調査では石器時代の遺物、さらには弥生時代から奈良・平安時代頃までの住居跡などが確認されているという。


 案内板。古くなって、字がかすんでしまっている。


 こちら、写真左端に少し盛り上がって見えるのが2号墳。


 2号墳の拡大写真。


 遺跡の裏手を撮影したもの。かなり急な斜面で、あるいは、この上に城か櫓のようなものがあったのかもしれない。

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荒屋敷貝塚2020.4.15

2020年04月17日 | 考古・エッセイ
 4/15(水)午後、千葉市貝塚町にある荒屋敷貝塚に行ってきた。千葉市内には120ともいわれる貝塚があり、特別史跡の加曾利貝塚を含め5か所の貝塚が国指定の史跡となっている。ここ荒屋敷貝塚もその内の一つである。


 携帯で撮影。この辺りは、貝塚町というくらいで大小様々な貝塚が存在している。地表に白く見えているのは、全て貝殻。不思議なもので、貝塚に来ると何か気持ちが落ち着く。太古から続く人の営みを感じることができるからか、あるいは自然が残されているからか。いずれにしろ、大切にされていつまでも残されていることを願うばかりだ。欲を言えば、この辺りの貝塚群をすべて含めて世界遺産に登録して保護してもらえたら、と考えている。地元の贔屓(ひいき)目抜きにして、それだけの価値がある史跡なのだ、と感じる。古いところでは、縄文前期からの遺跡なので、1万年以上前からのメッセージが貝塚には込められている、と言える。文字による記録ではないため重要視されることは少ないが、メソポタミア文明などより遥かに古い人々の営みの記録が貝塚には確かにあるのだ。






 コロナウィルスの感染拡大で、活動できる範囲がかなり狭くなっているので、しばらくは自転車に乗って行ける範囲の史跡などを回ることにするしかないなあ。
 今のところ、感染が終息する兆しは見えない。東京の繫華街あたりでは、家賃が高いため閉店するライブハウスなどが出ている。現在のような状況が続けば、千葉の映画館やライブハウスも存続が難しくなる懸念がある。元々わたしは社交的な人間ではないので、家にいてギターを弾けていれば辛いことはない。が、千葉劇場やライブハウスが消えてしまうのは辛い。なんとか持ちこたえてもらいたいものだ。今は、コロナウィルスの感染が終息した後ライブハウスが再開されることを願いつつ、そこで良い演奏が出来る様にひたすら練習するしかない。

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