文化逍遥。

良質な文化の紹介。

葉室 麟著『曙光を旅する』2018年朝日新聞出版刊

2019年07月29日 | 本と雑誌
 図書館から借りて読んだ本の中から1冊。



 すぐれた歴史小説を多くものし、2017年12月に亡くなった葉室麟。これは、主に朝日新聞西部本社版に2015年4月から2018年3月まで連載された歴史紀行をまとめ1冊の本にしたもの。

 小倉生まれで、活動拠点も九州に置き、作品も主に九州を舞台にしたものが多かった。この紀行も、小倉から始まり、九州の史跡やそこで活動した、あるいは今でも活動している作家などを訪ねる形になっている。全体に、「さすがの感性」と思わせる優れた紀行文、と感じた。
 本文中の『「司馬さんの先」私たちの役目』というインタビューの中で次のように語っている。

 「人生は挫折したところから始まる」が、私の小説のテーマ。(p206)

 多作な作家で、生き急いだのか66歳で亡くなった。もっと長く生きて、さらなる深みに達した作品を読ませて欲しかった。残念だ。


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野島崎灯台

2019年07月26日 | 旅行記
 7/25(木)、友人夫妻がドライブに誘ってくれたので便乗させてもらい、千葉県の房総半島ほぼ南端にある野島崎灯台に行ってきた。蒸し暑い日だったが、海からの風は心地よく感じた。


 入館料200円払って上まであがった。入り口横には、小さいが史料館も併設されている。入館券には、地上から灯火まで26メートル。平均海面からは38メートルで、初点灯は1869年12月18日、となっている。

 余談だが、辞書では「野島」と出るが、入館券には「野島灯台」となっている。岬の意味で「崎」の字を当てることが多いと思うが、どちらが正しいのだろうか。ちなみに銚子の「犬吠埼」は、「埼」の字を当てることが多いようだ。まあ、どうでもいいけど。


北から東の方向を灯台の上から撮影。


同じく、ほぼの南方向。


こちらは、ほぼ西の方向。

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長雨続く

2019年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 関東は、例年なら梅雨が明けている頃なのに、今年は長雨が続いている。普段はエアコンに頼らない生活を心がけているが、こうなるとなんとか除湿しないと体にカビが生えそうで、ついついエアコンのスウィッチを入れてしまう。江戸の昔、庶民は「九尺二間」と云われる粗末な長屋で暮らす人も多かった。屋根は板葺き、窓は障子で、せいぜい雨戸しかない。雨戸を閉めてしまえば部屋はほぼ真っ暗。昔は、都市部の平均寿命は田舎より短かった、ということを最近聞いたが、さもありなん、と感じる。
 千葉市内の公立小中学校はエアコンがほとんど設置されていないため、今年から熱中症対策で1週間前倒しして夏休みに入っている。皮肉なもので、そんな年に限って梅雨寒が続いている。臨機応変に対応できないのが公務員。何事も、マニュアル通りにしか出来ない学校で勉強させられる子供は・・・と、嘆いてもどうにもならない。

 しかし、こうなると日照不足で農作物の生育に影響が出そうだ。スーパーなどで買い物をしていると、野菜や果物などの価格は、すでに高くなっているように感じる。西日本では、今年も大雨による被害が出ている。今週中にも関東では梅雨明けしそうだが、次は台風の季節でもある。他人事と思わず、非常時の対応を、心掛けておきたい。

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内田百閒著『百鬼園 戦前・戦中日記(下)』2019年慶応義塾大学出版会刊

2019年07月19日 | 本と雑誌
 自宅近くの千葉市立図書館から最近借りて読んだ本の中から一冊。内田百閒の昭和15年7月から19年10月まで、50代前半の日記になる。ただし、昭和17年分は欠丁で写本で一部を補っている。日記と云っても備忘録に近く、手帖にその日の出来事を羅列したようなものを元にしている。この続き、19年11月以降は『東京焼尽』に続く。

 内田百閒(本名は栄造、1889~1971)はドイツ語の教師だったが、夏目漱石の門下でもあった。特に旅行記などの随筆の名手でもあり、優れた幻想的小説なども残していて、わたしも若い頃愛読していた。鈴木清順監督の1980年作、映画『ツィゴイネルワイゼン』は、内田百閒の小説『サラサーテの盤』などを元にしている。さらに、内田百閒をモデルにしたといわれる黒沢明監督の1993年の映画『まあだだよ』などでも知られている。



 『まあだだよ』などでは、戦前から戦後にかけての百閒の日常と彼の教師時代の教え子との交流をユーモアたっぷりに描いている。が、実際に百閒の残した日記には、不整脈や喘息といった体の不調、質入れや原稿料の前借などの金銭的な困窮が記されている。いわば、生身の人間の苦悩が見え隠れし、その苦しみの中から優れた「作品」が生み出されていったことが良くわかる。百閒ファンにはお奨めの一冊。

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わたしのレコード棚―ブルース74、Buddy Boy Hawkins

2019年07月16日 | わたしのレコード棚
 前回「わたしのレコード棚―ブルース73」で取り上げたウィリアム・ハリスと同じCDになり、さらに、このブログ2018.3.9に紹介した記事と重複しているが、今回改めて聞き直したので別項として書いておくことにする。御容赦願いたい。

 バディボーイ・ホーキンス(Buddy Boy Hawkins)は、本名ウォルター・ホーキンス。生没年など、その生涯の詳しい事はわかっていない。ポール・オリバーによるCDの解説などには、ウィリアム・ハリスと同様にミシシッピーやアラバマなどの南部を巡回していた「黒人ミンストレルズ・ショー」あるいは「メディシン・ショー(薬を売るために人集めを目的としたショー)」で活動していた演奏家、だったとしている。


 オーストリーのレーベルDOCUMENTのCD5035。ウィリアム・ハリスとバデイボーイ・ホーキンスとのカップリングCD。1927―1929年の録音なので、おそらく二人とも19世紀後半の生まれなのではないだろうか。写真は、ハリスか。
 バディボーイ・ホーキンスは12曲を収録。1927年頃のシカゴでの録音が8曲。1929年6月14日、インディアナ州リッチモンドでの録音が4曲。これで、バディボーイ・ホーキンスの残した録音は全てらしい。そのリッチモンドでの録音の中の「Snatch It And Grab It」ではギターのみでヴォーカルは不明とされている。が、チャーリー・パットンの可能性がある、とCDジャケットはしている。確かに、その日に同じ場所でチャーリー・パットンは録音しているので、急なセッションで参加しても不思議ではないが、声が少し違うようにも聞こえる。

 バディボーイ・ホーキンスのヴォーカルのヴォイスコントロール、及びギターのテクニック及びスタイルは豊富で、メディシン・ショーなどで人を集め引き寄せる力量がそこに感じられる。さらに、音をコントロールする能力も高い。現代のギターリストでも影響を受けた人は多いのではないか、と感じた。特に1927年録音の「A Rag Blues」は、90年以上前に演奏されたとは感じられない曲で、いつか自分でもコピーして演奏したいと思っている。

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わたしのレコード棚―ブルース73、William Harris

2019年07月12日 | わたしのレコード棚
 このブログ、2018.3.9に紹介したCDと重複しているが、今回改めて聞き直したので別項として書いておくことにする。

 ウィリアム・ハリス(William Harris)は、生没年など、その生涯の詳しい事はわかっていない。ポール・オリバーによるCDの解説などには、ミシシッピーやアラバマなどの南部を巡回していた「黒人ミンストレルズ・ショー」で活動していた演奏家、としている。すなわち、ショー・ビジネスに加っていた演奏家だったという。


 オーストリーのレーベルDOCUMENTのCD5035。ウィリアム・ハリスとバデイボーイ・ホーキンスとのカップリングCD。1927―1929年の録音なので、おそらく二人とも19世紀後半の生まれなのではないだろうか。写真は、ハリスか。
 ウィリアム・ハリスは9曲を収録。レコードの原盤番号(マトリックスナンバー)などの記録からは14曲の録音を残していると推測されているが、残り5曲の録音は見つかっていない。

 かなり高い声を出せる美声の持ち主で、ギターもおそらく5フレットあたりにカポを付けてマンドリンの様な音を出している。特に複雑な演奏法は無く、むしろシンプルな奏法だ。リズムはシャフルと8ビートの中間的なもので、リズム感は抜群。音程も安定していて、安心して聴ける。ショーのバックを務めていたであろう演奏家の面目躍如といったところ。聞きどころは「Kansas City Blues」だろう。Jim Jacksonのオリジナルと云われているが、ハリスのものがポピュラーだ。我が家には、残念ながらオリジナルの録音は無いので比較できないが、ハリスが歌詞を足したらしく8番まである。その中には、現代のブルースマン達が使うフレーズも多く含まれており、後のブルースマン達への影響は大きいと感じられる。


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2019/7/6「ライト」ブルース・セッション

2019年07月08日 | ライブ
 7月6日、千葉にあるライブハウス「ライト」でのブルース・セッションに参加してきた。以前は第3日曜に行われていたが、今月から第1土曜に変更になった。

演奏曲は以下のとおり。

1.Stranger Blues
2.夜明け前の静けさの中で(オリジナル)

3.Crossroad Blues
4.Walk on


 左端で座って演奏しているのが、わたし。使っているギターは、マグネットのPUの他にピエゾPUも付いていてミックスして出力できる。アコースティックな音に近づけるために、太めの弦(1弦012で3弦はワウンド)を張り、親指と人差し指にフィンガー・ピックを付けて2フィンガーで弾いている。音質はかなり生ギターに近くなるが、なめらかなピッキングは困難になり、他の人のバッキングには向かなくなる。どこに妥協点を見出すか、常に試行錯誤を繰り返している。が、少なくとも自分が歌えている間は、音質重視でいくつもりではある。


 バックと息が合わないと、迷いが生じて納得のいく演奏が出来ない。経験不足なのだが、やはりそれぞれが手本にしてきた音楽が異なると、どうしても「手さぐり」でやらざるを得ない。そこに「おもしろみ」を感じてくれれば良いが、それは聴いてくれる人達に任せるしかない。リハーサルなしの「セッション」とはそういうものなのかもしれない。
 迷いや失敗があっても、何かが見えてくるまで続けられれば、とも思う。

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ディートリッヒ・ガルスカ著大川珠季訳『沈黙する教室』2019年アルファベータブックス刊

2019年07月03日 | 本と雑誌
 この本は、当ブログでも紹介した映画『僕達は希望という名の列車に乗った』の原作になる(映画のリビューはこちら)。今年の5月に刊行されたばかりで図書館にもまだない。これは、友人が貸してくれたもの。近頃は、本を買う予算も置く場所もないので、ありがたいかぎりだ。
 著者のディートリッヒ・ガルスカは1939年東ドイツに生まれ、シュトルコーという町の高校に通っていた。その頃、ハンガリー動乱の犠牲者に向けた黙祷を授業中に敢行したため国家への反逆とみなされ西ベルリンに脱出。後にはクラスの20人のうち16人も続き、そしてそれぞれの家族をも巻き込んでゆくことになる。この本は、当事者によるドキュメンタリーだが、ディートリッヒ・ガルスカ自身は三人称で書かれており、客観性を重視した静かな筆致になっている。翻訳も、かなりな工夫がみられる。東ドイツが無くなってからすでに30年近くが経過している。つまり、30歳以下の人には「東ドイツ」という国は、すでに歴史の中だけにある国なのだ。



 それにしても、個人的に感じたのは、東西に分裂していた頃のドイツ、特にベルリンの状況は思い描いていたものとずいぶん違う。どうしても、隣りの韓国・朝鮮と比較してしまうが、考えてみれば西ドイツはアメリカ、東ドイツはソ連の影響下にあったとはいえ「内戦」をしたわけではなかったのだった。その違いは、大きいものだったのだと、恥ずかしながら今更この本で認識を改めた次第だ。
 読み終わった後、本を読んだ実感と喜びを与えてくれる1冊。

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