文化逍遥。

良質な文化の紹介。

6月も終わり

2015年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日で、今年も半分が終わる。
 今年は年明け早々に椎間板ヘルニアにかかり、今では痛みはほぼ引いたものの痺れが少し残り、消化器系の不調も感じる。人の体は複雑だ。というわけで、やりたいこと、あるいはやらねばならないと思うことはけっこうあるのだが、ヘルニアの再発を想うと文字どおり腰が重くなってしまう。歳を重ねる、というのはこういうことかな、とも思う。一日、一日、大切に過ごしたい。
 家の建築中で、資料も段ボールに入れて積み上げてある状態なので、なかなかブログの更新もままならない。ここしばらくは、途切れがちな更新になりそうで、内容も浅いものになりそうだ。御容赦ねがいたい。

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自宅の新築工事

2015年06月25日 | 本と雑誌
 このところ自宅の新築工事中で、落ち着いてギターの練習をしているわけにもいかない。なので、図書館から借りてきた隆慶一郎の時代小説などを読んでいる。まあ、新築と言っても昨年相続した12坪の土地に、無理やり小さな家を建てて終の棲家にしようという訳で、それほど大仰なものでもない。
 なにしろ建坪7坪で、延べでも13坪ほどの極小住宅。しかし、一人で倹しく暮らすにはちょうどいいかな、とも思う。最低限の生活用品が置いてあるだけなら、13坪の家でもそれほど不便は感じないかもしれない。が、なにしろ道具というか、様々な荷物が多い。本にレコードにCD、最もかさ張るのがギターや録音機器などの楽器類。それでも、昨年から徐々に売れるものは売り、処分できるものは思い切って捨てた。本は、本棚にして3箱分くらいを、出身大学の「古本募金」や近くの古本店に出した。あと、フィルム・カメラや家具類など、売れるものはリサイクルショップに引き取ってもらったりもした。長年使いこんだ道具を手放すのも、けっこう辛いものがあり、決断するまで時間がかかった。置く場所に困る以上いつかは思いきるしかない。楽器類はダメだなあ。電気製品などと違い、一度手放すと二度と同じものを手に入れることは出来ないので、なかなか踏ん切りがつかない。連れ合いでもいたら喧嘩になりそうだが、幸か不幸か天涯孤独の身。なんとか、楽器類やCDなどの音源類は置き場所を確保して持っていられるだけ持っていたい。
 その小さな終の棲家も、今はまだ基礎が打ち終わったところだが秋には完成する予定。楽器や本などに占領された家になりそうだが、近くにお住まいの方は話のタネに見に来てください。

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千葉公園の花(蓮)―つづき

2015年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 千葉公園の蓮が、かなり開花してきたので先週につづき写真撮影してきた。撮ったのは6/17午前。







見てのとおりで、平日の午前中だというのに人が多い。
毎年見物する人が増える様な気がする。三脚を使って写真撮影する人も多い。自分も写真の仕事をしてきたので三脚を使いたい気持ちは良く分かるが、狭いところでは他人迷惑になりやすい。特に、車いすの人の通行を妨げるような三脚の使用は厳に慎みたいものである。

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エリック・サティのピアノ曲

2015年06月17日 | 音楽
 このところ、図書館からエリック・サティのピアノ曲のCDを借りてきて聴いている。ピアノはアルド・チッコリーニという人で、1983年11月から1986年4月にかけて録音されている。5枚組なので、全部聴くのに5時間以上かかる。
作曲されたのは19世紀末から20世紀初めの頃なので、100年以上前になる。が、まったく古さを感じない。それどころか、新しさを感じさせる。一応、クラシック音楽に分類されているようだが、モダンジャズやラグタイムの要素も感じられ、ジャンルを超えた音楽と言ってもいいだろう。

 世の中には、才能に恵まれた人もいるものだ。

ただ、才能に恵まれたからといって良い人生が送れるとは限らないのが面白い、と言うか不思議なところ。世に天才と言われる人で、その才能に苦しむ人も多いようだ。もっとも、才能の欠片もない自分には無縁な話なのだが・・。

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千葉公園の花

2015年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
 我が家から歩いて数分のところにある千葉公園。この時期は蓮の花が咲き、多くの人が訪れる。
他にも、四季折々「色」の変化があって気持ちが和む。春の桜、秋は紅葉、冬は葉を落とした木々の合間から洩れる陽光が美しい。というわけで、6/10(水)の夕方、写真撮影。


モニュメントの周りに植えられたハーブ類。


古代蓮。花はおもに午前中に開くので、朝のうちが見ごろだ。が、見物人も多く、落ち着いて撮影していられないので、すいている夕方来ている。





この時期は、銀杏も緑が濃く、木漏れ日までもが緑色に染まっているようにも見える。


風蝶草(クレオメ)。花の形が、蝶の舞っているように見えるので、この名があるとも。


ガクアジサイと蒸気機関車。


古典落語の名作「道灌」に出てくる山吹。梅雨時に咲くので、やはり噺も雨の季節のものか。


 昨年亡くなった母がまだ外出できた頃は、いっしょにこの公園を散歩した。認知症を患って記憶をなくしていっても、感情の豊かさは残っていたので、自然の豊かさに「きれいだねえ」と声をあげることも多かった。今思うと、家のすぐ近くに大きな公園があることは、介護する上で大いに助かった。そこで遊ぶ子供たちが母に声をかけてくれたり、時に手を握ってくれたりもした。野球の練習をする少年に向かって、母が「じょうず、じょうず」と言って声援を送った時、その子は帽子をとってペコリと頭を下げた。ささいなことだったが、老いの果てに向かう者にとっては、なによりの喜びだったろう。あれから何年たったろうか、あの子たちも青年期を迎えていることだろう。何の役にも立たないように思える幼い子供たちでも、時にこの上ない救いを与えてくれる事もある。人の価値は、その能力によって問うべきでなく、そのあり方を問うべきなのだ。

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梅雨入り

2015年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日6/8(月)、関東も梅雨入りした。
ジメジメした雨の日が続くと思うと毎年のことながらうんざりするが、今年は先月まで雨が少なく気温の高い日が続いたので、今月に入って気温が平年並みに落ち着いたのと潤うような雨でホッとした気分になっている。どうも天候が不順だし、地震や火山活動も活発だ。政治も国内・外ともに流動的で落ち着かない。とはいえ、自分はというと、さしたる予定も無く読書三昧の日々。隠遁生活にならないようにしたいが、根が愚鈍なので世のスピードについていけない。まあ、還暦近いのだからそれもいいだろう。

 先週5日(金)、FM放送で聴いた高橋アキ(ピアノ)のライブは良かった。収録は、2014年12月20日、東京文化会館小ホール。現代音楽の名手だが、ステージ後半に演奏されたシューベルトのピアノ・ソナタも良かった。
シューベルトというと学校の音楽室に肖像があったので、すぐにそれが思い出され、「才能が認められた高名な音楽家」というイメージがある。が、生前その作品が認められることは無く、貧困と病の中で31歳で亡くなっている。高橋アキの演奏は繊細で、静かに語りかけてくるようで、奥が深いものに感じられた。とても、70歳とは思えない安定した演奏だった。

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『Louis Armstrong play W.C.Handy』 columbia/ck64925

2015年06月05日 | わたしのレコード棚
 このところ、「クラッシック・ブルース」といわれているW.C.ハンディの曲ををルイ・アームストロングの演奏で聴いている。



 わたしが演奏するような「ブルース」は主にカントリー・ブルースなどで、小節数が8とか12と少なくコード進行もシンプルなものがほとんどだ。が、ハンディの曲などは、転調があったりコードもマイナー・コードを使ってみたりと複雑な構成で、聴いた感じもモダンで洒落たものになる。曲の構成は、ビッグバンドでの演奏を念頭に作られている。当然、演奏者は作曲家の書いた譜面に指定された音、あるいはリズムで演奏する。なので、そこに即興演奏の入り込む余地はほとんど無い、とも言える。その演奏形態は、どちらかというとフォークロアではなくクラッシック音楽に近くなるので「クラッシック・ブルース」と呼ばれるのだろう。

 このCDを聴くと、サッチモ(ルイ・アームストロング)という人はトランペットであれヴォーカルであれ音楽的才能の豊かな人だったんだなあ、と改めて感じる。録音は、1954年。ハンディは、晩年の15年間くらい目が見えなかったと言われている。亡くなったのは1958年なので、このCD制作時は、ジャケットの写真にも杖が見えるように、全盲だったと思われる。二人のすぐれたミュージシャンの自然な笑顔が印象的だが、時代は公民権運動がやっと始まろうとしている頃に当たる。まだまだ差別が当たり前だった時代に、これだけの音楽を残せたミュージシャン達に敬意を表したい。

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