文化逍遥。

良質な文化の紹介。

カニサレス フラメンコ・クインテット

2018年09月29日 | 音楽
 9/28(金)、船橋市民文化ホールでの「カニサレス フラメンコ・クインテット」の公演に行ってきた。



 音のコントロールが抜群で、しかも音そのものも生き生きしている。技術力の高いプレーヤーは多くいるが、この二つを両立させられるギタリストは非常に少ない。船橋に来てくれた事に感謝したい。
 音楽については、基本的に伝統的なフラメンコの曲をカニサレス自身がアレンジしたものがほとんどで、クラシックあるいはジャズの要素をかなり取り入れた現代風な音楽になっていた。日ごろ民族音楽としてのフラメンコに馴染みのない人でも十分に楽しめるコンサートになっているな、と感じた。同時に、フラメンコのもつ奥深さが失われているかな、とも感じた。芸人は、常に道半ばだ。これからも、この人がどんな音楽を紡ぎだしてゆくのか、それを見守っていたい。

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カニサレス来日中

2018年09月27日 | 音楽
 スペインを代表するギタリスト、フアン・マニエル・カニサレスが来日して各地を巡回している。すでに終盤に近いが、明日28日(金)は千葉の船橋で公演がある。昨日、会場となる船橋市民文化ホールに問い合わせたところ、残席にはまだ余裕があるようだ。当日券でも入れそうだが、取りあえず予約をしておいた。
 カニサレスは基本的にはフラメンコのギターリストだが、オーケストラとの共演もあり、今では世界的に活躍する優れたミュージシャン。わたしは、もう20年ほども前になろうか、パコ・デ・ルシアのトリオの一員として来日した時に渋谷で一度聴いたことがある。うまい人だなあ、と感じたものだった。すでにパコ・デ・ルシアは亡く、時を経てどんな音楽を聞かせてくれるのか、楽しみだ。


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千葉市の貝塚―月ノ木貝塚

2018年09月22日 | 考古・エッセイ
 9/19(水)午後、千葉市中央区仁戸名という所にある「月ノ木貝塚」に行ってきた。自転車で市内にある貝塚を回って楽しんでいるが、夏の間は暑いので行けなかった。この日は、最高気温25度ほど、湿度は40%台まで下がった。ママチャリをゆっくり走らせていると風が心地よく、少し汗ばむ程度。
 月ノ木貝塚までは、我が家から35分程のサイクリング。縄文時代中期の貝塚で、東西150m南北200mの北側を開口部とする、かなり大規模な馬蹄形貝塚。貝層(貝が積み重なっている所)は深さ1.4mにもなる所があり、貝層の上部と下部は、ハマグリ、アサリ、シオフキ、中部はイボキサゴが多いという。1951年の発掘調査では、4軒の竪穴式住居が発掘され、土器や石器のほかに、貝輪、土製耳飾、タカラガイの加工品、クジラの骨などが出土している。



 千葉市には、特別史跡の加曾利貝塚を含め、国の史跡に指定されている貝塚が5カ所あるが、ここもその内のひとつ。他の貝塚と同じく、海から数キロ内陸に入り込んだ川の近くにある高台に位置している。丸木船の様なものを使い、河口で採取した貝や魚などを運んだと考えられている。ここは特に海から遠く、縄文期でもかなり運ぶのに大変だったのではないだろうか。今年は、大雨や高潮による災害が発生しているが、温暖だったと言われる縄文期もそのような災害が発生しやすかったとも考えられ、当時の人達は自然災害を避けるためわざわざ海から遠い高台を選び生活していたのかもしれない。


 この辺りが中心部だろうか。今は、草木に覆われている。


 貝塚に来ると、空気が胸の奥にまで自然に入ってくる気がする。樹木や、あるいは貝の出すイオンの様なものが作用するのか、と勝手に考えている。いずれにしろ、気持ちが落ち着く空間であることは間違いない。


 樹木の下に見える白いものはすべて貝の破片など。下の写真は拡大して撮ったもの。




 ハマグリやアサリ、小さい巻貝はイボキサゴ。


 市内のほぼ真ん中を流れて東京湾にそそぐ「都川(みやこがわ)」。写真奥が上流方向。
 市内の貝塚は、この川の支流近くに位置するところが多い。つまり、この川を中心にして所どころに集落が散在していたのが、縄文時代の村の風景といった感じか。昔の人達は、舟で行きかう時どんな挨拶を交わしていたのだろう。あるいは、挨拶どころではなく、収奪や略奪があったのだろうか。青森県の三内丸山などは、大規模な見張り台がある。なので、そこから推測すると決して安穏な生活を営んでいたわけではないだろう。が、わたしが子どもの頃、今の幕張メッセあたりの遠浅の海でアサリやハマグリなど貝類が無尽蔵と言ってよい程とれたし、貝塚の貝や魚・獣などの骨の種類・量の多さから考えて、他人のものを取る必要はなかったのではないか。個人的には、そう推測している。

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1926年アメリカ映画『モアナ』

2018年09月18日 | 映画
 9/15(土)、神保町の岩波ホールにて。

 映画の前に、カワセ楽器に寄った。マスターは、なんと店の中でゴルフのパッティングの練習をしていた。「なにやってんの?」と聞いたら、「いやー、ハハハハ・・」と苦笑い。おどろいたねえ、どうも。最近は、もっぱら修理工房の様相を呈し、実際に楽器を買い求める為に来る客はほとんどいないらしい。周辺に中古楽器を扱う店が多く、しかもかなり安く販売しているし、インターネット通販で買う人も多い。なので、必然的にそうなったらしい。新たに楽器を入荷することも、ほとんどしないという。これも時代の流れか。

 さて本題。



 この作品は、南太平洋のサモアで撮影されたドキュメンタリー映画。公開は、1926年。監督は、ロバート・フラハティ(Robert Flaherty)。公開時は当然音声のない無声映画だったが、その後1980年に娘のモニカ・フラハティー監督が現地で音を拾い民謡を録音し原作に音を合成、さらに2014年にデジタル技術を駆使してさらに修正したという。色付けまではされていないが、かなり自然で無理のない合成と感じた。
 「モアナ」とは、この作品の主人公とも云うべき青年の名で、このモアナの婚礼そして成人儀礼である刺青を施す場面、さらにタロイモを掘ったり魚を獲る様子が静かに映し出されてゆく。
 ただ、全体になんとなく演出っぽい個所があるように感じた。「やらせ」という程でもないだろうが、撮影の段階で多少の指示の様なものがあったのではないだろうか。さらに、50年以上たってから収録したという「民族音楽」も、明らかに西洋音楽の影響を受けたコーラスに聞こえた。それも無理からぬことだが、やはり少し残念。が、「民俗」に興味のある人には、貴重な作品とは言える。

 この日は、上映初日。午後1時過ぎからの回だったが、入場者数は30人余り。岩波ホールは、存続してゆけるのか。他人事ながら心配になってきた。10/13~26まで、創立50周年記念企画「ジョージア(グルジア)映画祭」として15本余りの作品が日替わりで上映されるので1日位は観に行きたいと思っている。

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2018年9月、加曾利貝塚

2018年09月14日 | 考古・エッセイ
 長く酷暑が続いた今年の夏もやっと終わりが見えてきた。なにしろ今年は関東で6月の下旬には梅雨が明けたので、平年より一ト月近く早く厳しい暑さがやって来たわけだ。しかもそれが記録的な高温で、熱中症で救急搬送される人も、亡くなる人も記録的な多さだった。
 というわけで、最高気温25度ほどになった9/13(木)、例によって墓参がてら加曾利貝塚に寄ってきた。


 特別史跡に指定されてから改めて発掘作業が始まり、今も継続中。まだ、全体の3割も終わっていないとされ、延々と続く。出土品を破損しないように手作業で行われる。根気のいる、気の遠くなるような仕事だが、世代を超えて引き継がれることだろう。


 こちらは、南北あるうちの南貝塚の断面が観察できる施設。


 中に進むと・・・


 内部は、こんな感じ。貝や魚の骨はもちろんのこと、獣骨なども散見できる。

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わたしのレコード棚―ブルース61、Muddy Wates

2018年09月10日 | わたしのレコード棚
 ブルースのみならず、広くポピュラー音楽にまで影響する音楽活動をしたマディ・ウォーターズ。ザ・バンドの解散コンサート(1976 年11月25日カリフォルニア州サンフランシスコ)を映画化した『ラスト・ワルツ』にも出てきて「Mannish boy」を歌い会場から喝さいを受けていたので、ロックファンにも馴染みがあるだろう。それゆえにか、ブルースファンからは、ブルースの持つ深みの欠ける演奏と受け取られ、ミュージシャンとしての晩期は否定的な評価も受けたようだ。が、個人的には、様々なミュージシャンと交流を持つ中で、新たな地平を切り開いてゆく試みはけっして悪い事とは思われない。たとえ、それが失敗に終わった、としてもだ。その試みが次の世代、あるいは世代を超えて受け継がれ、多様な文化を受け入れられる素地が出来るのなら、それはそれで良いのではないだろうか。
 本名マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)、生まれは1915年4月4日ミシシッピー州ローリングフォーク(Rolling Fork)、亡くなったのは1983年4月29日でシカゴだった。シカゴに出てきたのは1943年5月で、翌1944年にはエレキギターを入手したらしい。


 日本フォノグラムから1976年に出たLP二枚組。解説は高地明氏。1948年から1964年までのチェスレーベルでのセッション22曲に、1960年のニューポートジャズフェスでのライブ2曲(下のLPと同じ)を加えた、初期の24曲を収めた名盤。自身のスライド奏法ギターを中心に、ミシシッピーの香りとシカゴの都市の混濁した雰囲気が混ざり合ったブルースは、やはりブルースファンにとっては宝物といえる録音。出来れば、ライブの2曲以外、スタジオ録音分22曲は録音年代の順に編集して欲しかったが、まあしょうがないか。


 1960年7月3日、ニューポートジャズフェスティバルでのライブ録音。国内盤P-ヴァイン814。ピアノにオーティス・スパン、ギターにパット・ヘア、ハーモニカはジェームス・コットン、など。ジャケットの写真でも話題になった一枚。


 1963年シカゴでアコースティックな楽器を使った録音で、やはりチェスが1964年にリリースしたLP1483。ただし、これはMCAが後に再発したLP。バックは、ギターにバディ・ガイ、ベースに名手ウィリー・ディクソン、ドラムスにクリフトン・ジェームス。日本のブルースファンには、あまり評判が良くなかったようだが、個人的には好きな一枚。

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自然災害続く

2018年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム
 6日未明に発生した北海道の胆振地方地震。北海道全域で停電するという事態になり、現在でも一割ほどの地域で電気が通らないという。土砂崩れや、液状化により被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 今夏、西日本豪雨、台風21号、そして胆振地方地震と自然災害がつづき、日本のインフラの脆弱性を露呈した。バックアップシステムも、ほとんど無きに等しい。これで、先進国と言えるのか、大いに疑問。まるで、テレビのコマーシャルが演出している似非世界ようだ。意味も無い笑顔を振りまき明るい世界を演出しているが、一皮むけば危険極まりない薄っぺらなシステムがそこにあるだけだ。
 金をかけるべきところを、一庶民としても考えてみる必要がある。
 

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台風21号

2018年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム
 9/4(火)、四国から近畿を縦断した台風21号。関西空港などが海水に浸かり、激しい暴風雨で被害も大きかった。
 こちら千葉では、直撃は免れたものの、日付が変わって今日の未明ころから風雨激しく、停電こそ無かったものの寝苦しい夜で朝5時過ぎには震度3の地震。今午前10時前で、まだ風は強いものの台風一過の晴天で高音注意報が出ている。
 温暖化に伴い極地の氷などが融けるため海水が増加する。なので、予測されていた高潮の被害だった。が、まさか自分が生きている間に現実になるとは思っていなかった。認識が甘かったのか、温暖化のスピードが予想以上に早いのか。いずれにしろ、早急に対策を講じなければ次代に禍根を残すことになる。経済発展の優先は、時代遅れになっていることを認識すべき時がきている。それを今回の台風は暗示しているように感じた。

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わたしのレコード棚―ブルース60、Hubert Sumlin

2018年09月01日 | わたしのレコード棚
 ヒューバート・サムリンは、1931年11月16日にミシシッピー州グリーンウッドに生まれ、1954年頃シカゴへ移動したらしい。シカゴでは、ハウリンウルフのギタリストとして活躍。1976年にウルフが亡くなった後はソロとして独立しヴォーカルもとるようになった。亡くなったのは2011年12月ニュージャージーの病院だったという。
 この人は、1998年と2001年に来日しており、1998年の有楽町国際フォーラムでのコンサートをわたしも聴いている。その時は、運良く最前列で聞く事が出来、プレイヤーの表情や指の動きまでしっかりと見ることが出来た。正直言って、サムリンの歌はあまりうまいとは言えないが、ギタープレイはさすがに老練の域に達し、聴いていて安心感があった。さらに、ピアノのヘンリー・グレイの演奏は特筆すべきものだったし、ベースやドラムスのシンコペートする演奏はシカゴで長年プレイしてきたベテランだけが出来るもので、その夜はとても満足した気になったものだ。


 1998年、モントルー・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパン時の案内の切れはし。この時のコンサート最後に、日本のブルースマンたちと共演があり、ギターの小出斉さんやハーモニカの妹尾隆一郎(ウィーピングハープ・セノオ)さんらが加わって盛り上がった。その妹尾さんは昨年12月17日に亡くなっている。日本のブルースハープの第一人者と言われた人だった。わたしは面識はないが、残念であり、淋しくもある。


 ドイツのLRというレーベルから出たCD『Hubert Sumlin - Blues Anytime』。1964年ベルリンで、ベースのウィリー・ディクソン(Willie Dixon)、ピアノのサニーランド・スリム(Sunnyland Slim)、ドラムスのクリフトン・ジェームス(Clifton James)らとの録音12曲。サムリンの、アコースティックギターを使ったギターソロも聴ける。さらに1980年、やはりドイツ国内で、メンバーを換えた録音5曲を加えた全17曲を収録。わたしのお気に入りのCD。


 上のCDのジャケット内の写真。左上がサムリン。その右がベースのウィリー・ディクソン(1915-1992)。左下は、ピアノのサニーランド・スリム(1907-1995)で、その右がドラムスのクリフトン・ジェイムス。いずれも、技にたけたベテラン・ブルースマン。特にディクソンは、長年シカゴブルースのリズムを支え、メロディーメーカーでもあり、その功績は大きい。


 MCAから出たChessのシングルカットされたレコードを編集したハウリン・ウルフのCD『Change My Way』。


 WOLFレーベルからのCDで、1973年、ウルフ晩年のライブ録音。

 やはり、サムリンはハウリン・ウルフの横でギターを弾いた時に冴えが出るように感じる。だみ声のハウリン・ウルフのヴォーカルと相まって、曲の内容の深いところを理解して、タイミング良く間奏やリードを入れてゆく。簡単なようで、これがなかなか出来ない事なのだ。

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