長年仕事や読書で目を酷使してきた為か目の疲労が激しく、ドライアイもあり、以前のように文庫本などを読めなくなってきた。そこで、最近は図書館で大活字本を借りてきてゆっくりと本を読み進めている。当然、読める本は限られてくるので読書量は少なくなるが、それでも本と向き合う時間を持てるのはありがたい。
今回紹介するのは、そんな大活字本の中から印象に残った1冊。
著者の西田英史(にしだえいし)さんは、1975年生まれ。千葉県北部の進学校を卒業した年に「脳幹部グリオーマ」という脳腫瘍に侵され、その1993年の暮れに18歳11ヶ月で亡くなっている。この本は、彼の残した闘病記になる。ほぼ、1年間の記録だが、時を凝縮したような重い記述が続く。
わたしが印象的だったのは、彼が病を得て後、人に対する信頼感を得ていった事だった。理数系でとびぬけた頭脳を持ち、野球部にも所属してピッチャーもこなす活動的な青春時代を送っていた彼は、周囲の人に対して信頼しきれない気持ちが心の奥にあったようで、学友達に対しても常にライバルとしてしか見ていなかったようだ。これは、何事も数字で評価される理数系の人達が陥りがちな「人間不信」に近い状態と思われる。が、彼は病床で余命を知りながらも受験勉強を続けていく中で、かつてのクラスメイトや部活の仲間たちが教材などの援助を続けてくれ、彼は周囲の人達を信頼してゆくようになってゆく・・。
読後、自分が18歳の頃に比べてみて、恥ずかしくなった。こんな重い病の中で文章を書いていくことは、とてもではないが自分なら不可能だ、そう思った。
亡くなってからすでに30年近くたち、デジタル社会の中にいる今の学生達とは環境も大きく変化しているだろう。それでも、いや、それだからこそ、思春期にある人達に手に取ってほしい著作と感じた。
今回紹介するのは、そんな大活字本の中から印象に残った1冊。
著者の西田英史(にしだえいし)さんは、1975年生まれ。千葉県北部の進学校を卒業した年に「脳幹部グリオーマ」という脳腫瘍に侵され、その1993年の暮れに18歳11ヶ月で亡くなっている。この本は、彼の残した闘病記になる。ほぼ、1年間の記録だが、時を凝縮したような重い記述が続く。
わたしが印象的だったのは、彼が病を得て後、人に対する信頼感を得ていった事だった。理数系でとびぬけた頭脳を持ち、野球部にも所属してピッチャーもこなす活動的な青春時代を送っていた彼は、周囲の人に対して信頼しきれない気持ちが心の奥にあったようで、学友達に対しても常にライバルとしてしか見ていなかったようだ。これは、何事も数字で評価される理数系の人達が陥りがちな「人間不信」に近い状態と思われる。が、彼は病床で余命を知りながらも受験勉強を続けていく中で、かつてのクラスメイトや部活の仲間たちが教材などの援助を続けてくれ、彼は周囲の人達を信頼してゆくようになってゆく・・。
読後、自分が18歳の頃に比べてみて、恥ずかしくなった。こんな重い病の中で文章を書いていくことは、とてもではないが自分なら不可能だ、そう思った。
亡くなってからすでに30年近くたち、デジタル社会の中にいる今の学生達とは環境も大きく変化しているだろう。それでも、いや、それだからこそ、思春期にある人達に手に取ってほしい著作と感じた。