すぐれたマンドリン奏者・ヴォ-カリストであるヤンク・レイチェル(James "Yank" Rachell)は、1910年3月16日テネシー州ブラウンズビル(Brownsville)の生まれ、というから1911年生まれのロバート・ジョンソンと同世代といえる。亡くなったのは1997年4月9日インディアナポリス(Indianapolis)で、早世したジョンソンに比べて、長く演奏活動をした長寿の人だった。
10代からマンドリンの演奏を始め、ハウスパーティーなどでハンボーン・ウィリー・ニューバーン(Hambone Willie Newbern)と共に活動、スリーピー・ジョン・エステスに出会ったのは1920年代の初めころ頃らしく、まだ10代の初めだったことになる。1920年代の終わり頃に、エステスにジャブ・ジョーンズ(Jab Jones)を加えて、3人で「Three J's Jug Band」としてメンフィス周辺で演奏活動をしたという。エステスとの演奏は、大恐慌などで中断したものの、彼エステスが亡くなる1977年まで続くことになる。
1929年のエステスとの録音「The Girl I Love,She Got A Long Curly Hair」は、下の『RCAブルースの古典』および『続RCAブルースの古典』で聴ける。この曲で、ジャブ・ジョーンズはピアノを弾いてる。
その後の大恐慌で、レイチェルもブラウンズビルの農場に戻らざるを得なかったらしい。が、演奏活動は続け、ハーモニカのサニーボーイ・ウィリアムソン#1などとも演奏・録音している。インディアナポリスに移動したのは1958年で、それ以降は様々なミュージシャンと共演し、あるいは中心になって活動している。
サニーボーイ・ウィリアムソン#1の名アルバムで、ARHOOLIEレーベルのBC3。この中で、1938年にレイチェルがマンドリンで加わった2曲が聴ける。写真のギタリストは、ビッグ・ビル・ブルーンジー。
DELMARKレーベルのLPでDS649。シカゴで録音されたシカゴ・ブルースのスタイルでの演奏。くわしいデータは無いが、発売は1987年となっている。
ドラムスは、1985年にロバート・ロックウッド・ジュニァーと共に来日し、すばらしいシカゴのリズムを聞かせてくれたオーディ・ペイン(Odie Payne)。ギターは、フロイド・ジョーンズ(Floyd Jones)。べースは、ピート・クロフォード(Pete Crawford)。この録音時あるいは下のビデオ映像時も、すでに70代半ばのはずだが、声に張りがあり年齢を感じさせない演奏だ。
1985年発売のビデオフィルム『Louie Bluie』よりの映像。後ろでバンジョーを弾いているのはIkey Robinson、その後ろにこのビデオの主役でバイオリンを弾いているHoward "Louie Bluie" Armstrong、ギターリストは見えていないがTed Bogan。
上の写真と同じビデオだが、使用しているマンドリンを大きく撮ってみた。ご覧の通り、フラットマンドリンにピックアップを付けた「エレクトリック・マンドリン」だ。
レイチェルは詩人としてもすぐれ、今もシカゴで歌われているレイチェルのフレーズも多いらしい。かの、B・B・キングもレイチェルのファンだという。
10代からマンドリンの演奏を始め、ハウスパーティーなどでハンボーン・ウィリー・ニューバーン(Hambone Willie Newbern)と共に活動、スリーピー・ジョン・エステスに出会ったのは1920年代の初めころ頃らしく、まだ10代の初めだったことになる。1920年代の終わり頃に、エステスにジャブ・ジョーンズ(Jab Jones)を加えて、3人で「Three J's Jug Band」としてメンフィス周辺で演奏活動をしたという。エステスとの演奏は、大恐慌などで中断したものの、彼エステスが亡くなる1977年まで続くことになる。
1929年のエステスとの録音「The Girl I Love,She Got A Long Curly Hair」は、下の『RCAブルースの古典』および『続RCAブルースの古典』で聴ける。この曲で、ジャブ・ジョーンズはピアノを弾いてる。
その後の大恐慌で、レイチェルもブラウンズビルの農場に戻らざるを得なかったらしい。が、演奏活動は続け、ハーモニカのサニーボーイ・ウィリアムソン#1などとも演奏・録音している。インディアナポリスに移動したのは1958年で、それ以降は様々なミュージシャンと共演し、あるいは中心になって活動している。
サニーボーイ・ウィリアムソン#1の名アルバムで、ARHOOLIEレーベルのBC3。この中で、1938年にレイチェルがマンドリンで加わった2曲が聴ける。写真のギタリストは、ビッグ・ビル・ブルーンジー。
DELMARKレーベルのLPでDS649。シカゴで録音されたシカゴ・ブルースのスタイルでの演奏。くわしいデータは無いが、発売は1987年となっている。
ドラムスは、1985年にロバート・ロックウッド・ジュニァーと共に来日し、すばらしいシカゴのリズムを聞かせてくれたオーディ・ペイン(Odie Payne)。ギターは、フロイド・ジョーンズ(Floyd Jones)。べースは、ピート・クロフォード(Pete Crawford)。この録音時あるいは下のビデオ映像時も、すでに70代半ばのはずだが、声に張りがあり年齢を感じさせない演奏だ。
1985年発売のビデオフィルム『Louie Bluie』よりの映像。後ろでバンジョーを弾いているのはIkey Robinson、その後ろにこのビデオの主役でバイオリンを弾いているHoward "Louie Bluie" Armstrong、ギターリストは見えていないがTed Bogan。
上の写真と同じビデオだが、使用しているマンドリンを大きく撮ってみた。ご覧の通り、フラットマンドリンにピックアップを付けた「エレクトリック・マンドリン」だ。
レイチェルは詩人としてもすぐれ、今もシカゴで歌われているレイチェルのフレーズも多いらしい。かの、B・B・キングもレイチェルのファンだという。