ロバート・クレイ(Robert Cray)は、1953年8月1日ジョージア州コロンバスに生まれ、生後11ヶ月で軍人だった父親の転勤のため西部ワシントン州タコマへ移住したという。彼の音楽はブルース・ソウルという枠から出て、自由奔放さを感じるが、あるいは西海岸の都市で成長期を過ごしたことに遠因があるのかもしれない。1974年に自己のバンドを結成。アルバート・コリンズのバックなども務めている。今年2024年で71歳ということになるが、すでにブルースの殿堂入りを果たしており、現役の優れたギタリスト・ヴォーカリストである。ギタリストとしての評価が高いので、どうしてもギターのテクニックが注目されがちだが、彼のヴォーカルは音程が安定しており、ファルセットを効果的に使う技術は高く、表現力豊かだ。音楽的な才能に恵まれた人なので、これからも元気に活躍してもらいたい。
わたしは、ロバート・クレイの演奏を2度聞いている。1度めは、1984年にジョン・リー・フッカー共に来日公演した時で、東京芝の郵便貯金会館だった。この時がクレイの初来日。ブルース界期待の若手だったクレイは31歳で、前座という触れ込みだった。が、下のチケットを見て分かるように、フッカーのバックを務めた「The Coast To Coast Bluesband」との共演、だった。当時、ネームヴァリューがあまりにも違うので、「大物ブルースマン」ジョン・リー・フッカーの陰に隠れたような扱い方をされたのかもしれいが、けっして若手の未熟な演奏ではなく、むしろすでに完成された音楽、に近かった。後に、クレイはフッカーのアルバム『The Healer』(1989年)及び『Mr. Lucky』(1991年)にも参加している。
2度めは、1987年にエリック・クラプトンと共に来日し、日本武道館での公演だった。この時は、自分のバンドを率いての演奏だったが、ほぼ満員の武道館はほとんどがロックファンで埋め尽くされていたように感じた。先入観というのは恐ろしいもので、偉大なロックミュージシャンの前座くらいにしか思っていない者には、どんなに良い演奏をしても「良い前座」という捉え方しかされなかったようだ。もっとも、それが修行になって、後の演奏活動の肥やしになれば、それはそれで良いのかもしれない。
2012年にビクターエンタテイメントから出たCDで、VICP75083『Nothing But Love』。タイトルが示すように、全体にソウルに近い洒落た音作りになっている。
わたしは、ロバート・クレイの演奏を2度聞いている。1度めは、1984年にジョン・リー・フッカー共に来日公演した時で、東京芝の郵便貯金会館だった。この時がクレイの初来日。ブルース界期待の若手だったクレイは31歳で、前座という触れ込みだった。が、下のチケットを見て分かるように、フッカーのバックを務めた「The Coast To Coast Bluesband」との共演、だった。当時、ネームヴァリューがあまりにも違うので、「大物ブルースマン」ジョン・リー・フッカーの陰に隠れたような扱い方をされたのかもしれいが、けっして若手の未熟な演奏ではなく、むしろすでに完成された音楽、に近かった。後に、クレイはフッカーのアルバム『The Healer』(1989年)及び『Mr. Lucky』(1991年)にも参加している。
2度めは、1987年にエリック・クラプトンと共に来日し、日本武道館での公演だった。この時は、自分のバンドを率いての演奏だったが、ほぼ満員の武道館はほとんどがロックファンで埋め尽くされていたように感じた。先入観というのは恐ろしいもので、偉大なロックミュージシャンの前座くらいにしか思っていない者には、どんなに良い演奏をしても「良い前座」という捉え方しかされなかったようだ。もっとも、それが修行になって、後の演奏活動の肥やしになれば、それはそれで良いのかもしれない。
2012年にビクターエンタテイメントから出たCDで、VICP75083『Nothing But Love』。タイトルが示すように、全体にソウルに近い洒落た音作りになっている。