King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

こんな天気でも走るんですか

2018年07月18日 09時16分21秒 | ジョギング

よい鮮魚店がある町は文化度が高いとは以前私が勤めていた会社の上司が

述べた仮説です。

まあつまりはのん兵衛の発想ですが、なかなか無視はできないものがあります。

 

特に昨今起こったり聞いたりする事件はそんなことを改めて考えさせます。

 

色々なイベントの情報は当店にも入りますが、その中で出張移住カフェなる

イベントがあると聞き、最近移住して小屋に住んだ人がやたらマスコミ登場したり

秩父は移住者にやさしくて寛大であるという説が最近有力ですが、私には

そうも思えず、そういうことにしておきたい人たちの思惑の方が強いと

思われます。

 

最近話題の優生保護法下での断種手術とかニュースで日本でもあった事と

報道されていますが、さて、ナチの民族浄化や移民排斥、差別などが悪いこと

と認識されドイツの敗戦とともに悪は滅びたとされた認識は世界の共通認識と

してあるようですが、それがなぜか理解している人はどれだけいるでしょうか。

 

そんなわけで、アーリア人が世界最高の進化した人種でそれが交雑するのは

文化や国の衰退につながるとしたナチは未曽有の殺戮を繰り広げたのは遠い過去の

過ちではなく、内戦や紛争で各地で未だに多くの人種差別や民族紛争は続いて

いて、米のトランプ政権の政策などまた元の道に戻ろうかという動きは各所に

見られるのです。

 

ナチが行ったのはユダヤ人の殺戮だけでなく、障碍者の処刑や断種、ふたごの

実験など科学とも呼べないようなものの下に実行されたことで真の科学では

多様性こそが進化の涵養で、障碍者や同性愛者も同じ人間であり、それらの

遺伝子がそろって次の進化も生まれるのです。

 

とはいえ、今安泰な社会があり、それがよそ者の増加で脅かされるとしたら

誰でもちょっと待ってということになるでしょう。

 

ただ、本質のところでの議論というのが実際はされていないだけという感じも

あり、変なイベントは余計目立つのでしょう。

 

私としては、また秩父にもおいしい鮮魚店が生まれるようにと願っています。

それはおいしいものが解る人が増えるということでもあり、文化の多様性の

基本となる豊かな生活を送る人が増えるということでもあります。

 

珈琲豆がおいしい店と鮮魚店やとれたて地元野菜の店はやはり必須の様な

気もします。それと無添加の焼きたてパン屋さんも欠かせません。

そんなに難しい要求でもありません。

 

後はモノがおいしく感じるには健康を維持しおなかをすかせることも必須。

ですから毎日のランニングも必須。なのです。暑かろうが寒かろうが。

 

 

 

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夏フェス恋し、滝見と逆回り川越え

2018年07月13日 11時43分25秒 | ジョギング

毎日のランニングで公園橋をコースに加えるのは

上り下りの険しいコースになるということを意味します。

先日の旅ラン10Kでもつるの剛士さんが走りましたが、

彼は秩父映画祭で舞台あいさつに登壇したりして秩父は

なじみ深い人です。その割に番組では彼に声をかける人や

ファンに取り囲まれるというシーンはありませんでした。

ネットで6月8日に目撃情報があり、一か月以上前の撮影

だったようです。

ですが、画面では汗をぼたぼたと流すシーンがあり、口には

出さないまでもいつものお散歩気分の旅ランとは違い険しい

道のりだったのは想像できます。

 

秩父駅からまっすぐ公園橋に向かう道は下りですが、公園橋自体は

上り坂でかなりの坂です。そして、上り切り左の上流方面ら向かうと

だらだらと長い下り坂です。

 

ここは道路沿いに家がなく、歩道があっても草は伸び放題で走りづらく

なっています。

 

ウォーキングやジョギングの人くらいしか通らないので除草もあまりされない

ようです。

 

すれ違いにはランナー同士ならあまり気づかいもなく歩道上ですれ違いますが、

歩きの人は気を使い歩道から出て通したりしてくれます。

 

危害を加えられるという恐怖心でもないでしょうが、よけられるのです。

 

でも暑くなった今ではすれ違う人もいません。

 

下り切り桜橋ですが、ここでこのまま帰っても6Kくらいになります。

ですが、このままさらに上流の巴川橋に行きます。ここは昔つり橋で

かなりスリリングなところでした。

今では歩道の付いた立派な橋です。

桜橋からここまでは上り坂です。ここまで来てしまえば終わったような

ものです。

影森中学のところから国道を越え踏切を渡り突き当たって左に行けば自宅

まで一本道で緩やかな下りでスピードに乗って最後走れます。

これで大体10Kです。

 

これを逆回りに走る日もあり、これは登りの時間が長く覚悟がいります。

昨日走りながら考えたのはずっと休みらしい休みもないのでどこかに

いこうかということです。

 

実は四万温泉に行こうという案もあったのですが、一泊する余裕がいま

ないので、昨年行った尻焼き温泉から万座温泉で見られなかった滝の事

とか、夏になるとお誘いのある夏フェスとか果たせない約束の数々を

思わずにはいられませんでした。

 

夏は野音によく行きましたが、最近ライブなどには縁がなく出店要請は

あるもののお祭りにも縁遠い感じです。

 

行ってみたいところは多く、この暑さを避けてしばらく休みたいと

感じるのでした。

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日暮れる前に

2018年05月16日 09時47分19秒 | ジョギング

色々な野鳥の声が聞こえるこの頃。

いつも暗くなってから走りに行くのですが、せっかくの日差しを

楽しみたくなり、昨日はいつもの公園を明るいうちに走ることに

しました。

ミューズパークでは来月プロ転向を発表した川内優輝をゲストランナーに

迎えロードレースが行われます。

私にもボランティアとして参加要請がありましたが、仕事があるので

そんな長い時間参加できません。

ついこの間までシャクナゲが咲き乱れていた公園は次にはヘメロカリス、

アジサイ、百日紅と次々と季節の花が咲く公園であることはあまり知られて

いません。

私としてはもっと薔薇の群落があってもいいのではと思いますがそれは

好みの問題ですから、なんともしがたいところで、それでもこの公園が

目指そうとしているところは色々といつも気になります。

というのも私はこの公園を端から端まで走るのですが、途中に大きなプールと

テニスコートがあり、その近くには宿泊施設と入浴施設、アスレチックと

ゴーカートと色々と遊具施設があります。昨年あたりからレーザーライフルの

射撃場もできたらしく、これはアスレチックの外注で味を占め、マテリアル系の

施設でさらなる集客をということなのだと思いますが、やはり自然とスポーツと

音楽というテーマで年間計画的な集客をしてこそ定期的なファンや観光客の集客が

できるのではと考えます。

私がほしいのはランニングステーション的なカフェとかスキー場です。

西武秩父駅からミューズパークまでゴンドラを作り、祭りの湯はホテルとマンションに

して行く。人工スキー場は年中滑走可能なグラススキーとマットのスキーといろいろと

そろえコブ練習がいつでもできて、冬には人口雪のゲレンデもあるという風にして

西武秩父から直接ゴンドラでアクセスできればこれは首都圏に一番近いスキー場として

かなりのインパクトとなります。フリークライミングの壁とか次々に浮かんできます。

 

そんなものがなくても私のようにここに通う人は多く、それぞれに魅力を感じている

のです。

 

季節ごとの森の香りと鳥の鳴き声と星空やら夜景やら車の侵入もなく、ただ走ることに

集中して時間により人に会いたくない時には孤独に走れ、他にも走っている人の刺激が

ほしい時には同じ趣味の人や色々な犬を連れた人を眺められたりもすると変化があり、

後は施設的にシャワーが浴びられたらいうことはないのです。

 

 

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疲労物質現る

2018年04月10日 10時41分17秒 | ジョギング

最近のランニング事情を書いておくと走る回数が落ちてから二月三月と

とにかく週5回に戻すように努力し、さらに今月は一回の走りを10Kに短縮。

そのタイムを50分というかつてのペースに戻すよう努めています。

 

それがなかなか短くしたからと言ってすんなりかつてのペースに戻すことができず、

60分がやっとという感じです。すんなり走れてかつてのランニングペースでジョギングを

脱出したと思えた日でも結局60分を切るに至らず、しみついただらだら走りのくせが

抜けずにいます。

 

昨日は公園橋から巴川橋を渡るコースに進んだところあまりの高低差に膝やらふくらはぎやら

が悲鳴を上げ途中に歩きが入り、巴川に行くのを回避して桜橋で戻りました。

なんともだらしない走りだったのですが、帰ってから体に異変が起き、まず足のあちこちで

かゆみが出て、なにやらリンパやら静脈に変なものが流れているのではという違和感が

走り、ストレッチとマッサージをするも筋肉の変な凝りがあるのは確かで使うところが

坂道ランで一気に変化して変な筋肉痛が変な体液まで流出させたのではと感じます。

 

ある程度ランニングモードも毎日走りさえすれば直ぐにまたかつてのペースをとりもどすと

思われたのも幻想で、何か確たる目標とテーマを定めて努力しないとこのままだらだらと

走って終わり、あちこちに変な故障を抱えることになるのではとまともなことは考えない

のでした。

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冬のランニングに

2018年02月18日 23時54分21秒 | ジョギング

この時期のランニングは今までも何度も書いてきたとおり、

寒さに縮こまる心が現れ、とかく走ればよいとか、寒いからという言い訳が

先に立つのです。

しかし、昨日気が付いたのですが、寒さに負けジョギングで走ったり歩いたり

ゆっくりと走るのではランニングモードでいつもの13Kほど走るのでは全然

効果が違うと感じるのです。

ゆっくりと走ったり歩いたりする10Kであったり、6.5Kでは実際に外にいる

時間は同じでも、体に受ける感じはまるで違うのです。

例えば、ランモードで走ると余計疲れるかといえばそれは逆で速く走った方が

体の負担が少なく楽なのはよく感じることなのです。

ただ、気持ちが今日はゆっくり走ればいいやという最初からくじけた感じに

なってしまうのが非常に多くわかっているのに走る気になれないのです。

いつもこの寒さの中でもウォーキングを続けている人を見ますが、歩いても

得られる効果はいかばかりかという思いをいつも抱くのです。

歩いたりゆっくりとジョギングすると寒さのダメージを余計長く受け、同じ時間

走った場合顔とか手の寒さでかじかんだ感じもゆっくりの方が強く感じるのです。

そして走った場合には、いろいろと体の機能でスイッチが入る感覚があり、普段使わない

機能とか機関に回路が開く感覚があります。これはヨガとか宗教上の悟りに近いもので

一時間以上ランモードで走らないと感じられないものです。また重要なものとして睡眠の深さ

というのがあり、理想として一度も目が覚めず深く夢も見ずというものがそう簡単に

できるものでなく走って体力を削ることだけがその理想に近づけるものでもないようです。

そういう意味でランモードというは体の根源的な意味で色々とリセットしてくれる機能が

あり、事務仕事などのストレスや精神的なものも頭の中の凝りもリセットし、違うものが

体のもやもやも次々に分解解消していく感じがあります。それはゆっくりと走ったり、歩いて

では感じ得ないものなのです。これはバスケットのゲームなどでも感じます。練習をしていも

市民リーグなどの試合に参加するのと練習でゲーム形式でやるのではいろいろと感じることが違うのです。

試合を積み重ねてわかることとか試合でしか出ない能力とかがあり、無意識で体が

動いたりというのは体だけでなく頭だったり神経だったり普段鍛え得ないものが使えるか

とかそれをどれだけ頭で制御するとか無意識と意識の体使いなどいろいろと考えが

及びます。そんな身体体験と意識について経験すると何かがその結果に見えてくるのでは

ないかとまで考えます。

季節感と珈琲と味についてももちろん走ることバスケットでゲームすることすべて繋がって

いて作られていると考えずにはいられません。

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真夏のジョギング事情

2017年08月21日 11時19分20秒 | ジョギング
ここのところのジョギング関連のことを書いておきます。

走る時間がなくて昨年は一日6K程度ランを週二日するくらい
の走量まで落ち込みました。

そのくらいが普通の成人男性の健康を保つ運動量だろうと
それに甘んじていましたが、昨年末に体のバランスとか
体力的な違和感があり、意識的に走る量を増やしてきました。

とはいえなかなか時間はなく、それに何より走力も衰えて
いて、かつてペースが保てなくなりました。

つまりいまでは本当にジョギング程度の速度しかだせない
のです。

それでも週五日毎日走ればかつての速度が取り戻せるという
野望も抱いていて、果たせていないフルマラソン出場、完走
も今後の果たすべき人生の課題として残っています。

今でもただ完走するだけなら可能かと思いますが、走る以上
ランペースの速力を保ち、すなわち四時間以内の完走が
目標です。

ハーフでは達成しており、あとは30Kランを増やして距離への
耐性ができればよいかという段階だったのですが、あせらず
いつか果たせばよいという気持ちと別にもっと時間を回して
という優先度の変更などあり、今の形になりましたが、あと
残された時間を思うといろいろと考えることがあります。

まず困ったことに今までは時間があればぜひ一目この目で
見ておきたいという場所もテレビで紹介される事実と現場
などのニュースやドキュメンタリーなどをみるといまさら
自分の目で確かめて何があるだろうかという気になることも
多々あり、もっと自分の時間とやるべきことが迫ってくる
のでした。

厄介な問題はその他多々あり、突如襲って来てそれを思うと
やっておかねばという事案も出てきます。

そんなこともあり、最近は格安のコンテスト受賞豆とか
出物と聞けば買い込んだり、希少品と聞けば試さずには
いられなかったのでやたら買い込む豆が積みあがっていま
したが、いろいろな内情やら流通の裏側を知り、確かな
品質の豆と出来上がりの味を意識すればそろえる豆も
おのずと知れるようになり、何でもかんで買って試すと
いう必要もなくなりました。

逆に試してくれという豆は多々送られてきて、その
大手流通に乗せられない豆たちの内幕はいろいろな
事情がありまだいろいろ見極めをしないといけない
課題でもあります。

それら迫られる選択と課題をじっくりと検証し、さらに
自分の置かれた状況を見極めるのに走っている最中に
つらつらと考えるのは重要な時間となっていると思え
ます。

とはいえ、本来ならこの夏の間の醍醐味としては午前中
のミューズパークのまだ露気のある空気の中、だらだらと
汗をかき、それがみるみる乾燥して塩をウェアに白くしながら
走るというのがあります。

今ではほとんど夜しか走れませんが、この夏の醍醐味は
夏にしか得られないランニング感覚で、意識も飛びそうな
ぎりぎりの中で特別の対流の中、自分の中にたまっていた
古い細胞群や脂肪の底にたまっていたものから意識の隅に
あったもろもろのもやもやまですべて燃やし流し去って
くれるようなすがすがしくさっぱりして生まれ変わった
ような気分になれます。

そして、温泉に入ってそうめんなどの軽い食事のあと
昼寝をするというゴールデンコンボで過ごすという
避暑地の夏のような過ごし方です。

また、福島や松島あたりのまっすぐな海外線をただ走る
というのもありますが、かつて海沿いを走った経験から
海外線のランはあまり快適ではありませんでした。

昨日久しぶりに自宅から走り出し、秩父橋を渡り桜橋を
渡って帰ってくるというロングコースを走りましたが、
秩父橋の上の涼しい川風が活力を与えてくれる感じが
とても気持ち良かったです。

最近できた公園橋やこの桜橋などは旧市内からだと
坂道を下ることになり、帰りはかなり上りの長い
コースになります。

それに信号待ちが加わりいったん止まると続く坂道を
走り出すことが困難になり最後はあるってしまうと
いうこともしばしばです。


人生もしかりで、いつも川風に涼やかに吹かれて走る爽快感と
そのあとの長い坂道を駆け降りる疾走感を夢見ているものの
実際にはだらだらとした坂道をのろのろと上り、時に歩いたり
止まったりしているのではと。

と考えるのでした。
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森が寝入るとき

2017年06月20日 15時33分43秒 | ジョギング
ここのところガソリンを使ってもわざわざ
ミューズパークでランニングをするわけですが、
梅雨に入りまたその森の風情が変わってきた感じが
します。

まずやたらとうるさかった野鳥の声ですが、それに
変化があります。

ホトトギスやウグイスといったのど自慢が競って鳴いて
いたのがまだ夕焼けが残る7時にはピタッと静かになる
時間帯があるのです。

そうすると森には何の音もない無音の状態が暗闇とともに
広がります。

夜には夜で虫の鳴き音だったりカエルの鳴き音がしますが、
その切り替りの一定時間は全くの無音の静寂と徐々に増す
闇だけが積み重なるのです。

かつて音楽堂の裏の林が一番闇の濃いところでしたが、
最近伐採され多目的ホールまでの坂道が木立のトンネルと
なり続く斜面の闇とともに吸い込まれるような無音帯に
入り、自分が切る空気の音と後ろから追いかける自分の
走る音をききつつ、時に動物が下の谷をかける音などを
聞くと不思議なアンサンブルを醸し出したような雰囲気です。

サイクリングロードには照明がついていて闇と光の当たった
まだら模様の道になるのですが、全く光のないところもあり、
一番暗かった音楽堂に裏には独特の闇の濃さがありました。

別に足元が暗くなっても走るのには支障はないのですが、
予期せぬ対向者があったり、虫がいきなり顔に当たったり
するのには閉口します。

とは言え滅多にはないのです。

全く暗くなってからはそうならないようにサイクリング
ロードをさけインターロイキン敷きの方を走ります。

こちらの方が広いので対向者がいても苦になりません。

ただ、インターロイキンは走るには固く滑りやすいので
やはりあまり暗くならないうちにサイクリングロードを
行きたいものです。

今まで何年もここを走っていますが、この無音の時間帯が
あるのが妙に感じて何かしら自然の音と気配があったのが
こうまで静まり返るときがあるのかと訝りました。

深夜まで誰かしら訪れて街灯があり、人が行き来している
のにもかかわらず森はそんなのと関係なく静まり返る一時が
あるという妙な時間帯です。

それもある一部分の木のトンネルを抜ける場所だけなのかも
しれません。

そんなしじまのトンネルを走り抜けられるのも正に一興では
あります。
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また戻った理由

2017年06月15日 11時10分56秒 | ジョギング
ここのところランニングはミューズパークの
サイクリングロードを二往復しています。

このミューズパークというのは秩父の盆地を
はさむ低い尾根筋であり、当店のすぐ上の
羊山と反対に位置する山の上を北から南の
遡るコースになります。

大体片道3キロあまりで上りの時には19分から
21分下りで18分というペースです。

コースレコードとしては二往復で1時間4分という
のがあります。

最近は、一時間20分前後です。

以前は抜かれることはなかったのですが、最近は
抜かれることも多くなりました。

とはいえ、こちらは二往復しているので、抜いた人が
止まってもまだ走っているのでなんか抜きかえした
ような気にもなります。

今の時期だと様々な花の香りや草木の香りと色々な犬を
連れた人やいつも挨拶する人やそんな行き来のほかに
カエルや鳥の鳴き声も楽しめます。

やたらとうるさい鳥で、何かをしきりにがなり立てていて
もしその内容を理解できたらひょっとしたら隠れた宝でも
発見できるのではという空想を抱くもののその鳥の名さえ
解らなかったのですが、サイクリングロードに出てきて
その姿をとらえると特徴的な目の周りの白抜きの形で名が
解りました。

名が解ると秘密の宝のありかの話し声もただうるさいしつこい
リフレインにもどり、あまり耳を貸さなくなりました。

反面最近気にかかるのが、昔小話などによく登場した
東京特許許可局と例えられるホトトギスです。これは
歌の名手としてその鳴き声がよく例えられるのですが、
ここミューズパークで聞かれる歌声はちょっとくぐもって
低めの声でトトトキョキョと鳴いており、なんでトウキョウ
トッキョキョキャキョクと聞こえるのだろうと不思議に思います。

あと鶯などもよく鳴いていますが、これだけ色々な鳥の鳴き声
が聞けて気持ちのいい公園なのに秩父に野鳥観察に来たとか
夕暮れを見に来たという人はいません。

当店の庭から毎日鷹がカラスに追われる光景がみられたり、
秩父神社の周辺ではフクロウの鳴き声まで聞けます。

そんな自然の風景より人々は日々の労苦に追われ気が付くことも
なく暮らしているのを見ると人間の傍若無人な暮らしぶりに
愚かで哀れなものを感じます。

とはいえ自分が子供の時分、よく釣りに出かけた姿の池などは
今は冬になると色々な種類のカモがいたりしますが、昔はそんな
ことはなくカワセミを見かけるぐらいでした。

当店の屋根に大きなアオサギが止まっていたりするようになった
のも最近のできごとです。

野鳥が簡単に見れるようになったのは人が少なくなってきたのか
前より自然が豊かになったのか複雑な思いがします。
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森のランニングにて

2017年05月18日 13時32分15秒 | ジョギング
このブログの二年前の記述と最近の体力状況を
考えよいよできなくなることが増え老いというものを
実感していると感じる日々だったのですが、それも
ちょっと待てよということが最近のランニングで
解りました。

最近は、週二回最低10Kのランニングを目標として
います。

これは全ての体力の源泉であり、自分の今の獲得した
もののペースとなる物という確信があったからです。

ちょっと前のできごとでもろもろの自身のアイデンティティ
を支えるものに少し揺らぎを齎す出来事があり、そのランニングにも
少し不安を抱えていたのですが、それも幻想にすぎないという
決定を昨日はしました。

元々ランニングを始めるきっかけになったのがミューズパークの
サイクリングコースです。

ここは車や信号に邪魔されずトイレもたくさんあり走るには
いいコースです。

ですからいつ行っても他に走る人がいます。

最近はそういった他の走る人から途中抜かされることもしばしばで
それは走る回数も減り体力的に衰えてきたからだという諦めにも似た
思いを抱き始めていたのですが、いや待てよという気持ちが起きたのが
昨日の走りです。

ここをよく走っていた頃はキロ5分台のランニングペースで走り
一回の端から端までのラップは15分から16分で下りが多い南から
北コースだとそんな時間です。ですが、上りとなると20分を越えて
しまうこともしばしばです。

震災以降このコースにガソリンを使いわざわざ走りに来ることに
疑問を持つようになり、自宅からのコースを持つようになるの
ですが、最近はまたいくつかの理由でここを走るようになりました。

ただ、冬以降ランニングのペースがジョギング並みになり、その
速度をなかなか抜け出せない状況でした。

これは体力が落ちたせいだと思っていたのですが、昨日走ってみて
足の筋肉の感じからして今までと違い、足裏の感じも違っていました。

そして、タイムも久しぶりに片道20分を切りランニングペースに
入ったのです。

もろもろを考えてみるとどうやら冬の縮こまったランニングから
やっと本来の走りに切り替わったのではと思えたのです。

つまりは全ては寒さに縮こまった冬の走りからやっと衣替えして
ランニングモードに切り替わり、何の気兼ねもなく思い切り走り
それについて体力だとか規制となるものはなく思いのままに気持ち
よく走りぬくことが今でも問題なくできることを確認しました。

今でもあと一回かぐらなり渋峠なりで最後のスキーをすることを
考えるのですが、もうスキーでなくずっとランニングだけでも
いいと思える楽しさを感じこれから次のスキーができない寂しさも
ランニングで楽しさを満喫できると納得したのです。

それでもまた今シーズンのスキーを全くあきらめたわけではなく、
何かの機会がまだあり、温泉とスキーの旅ができないかという
模索をしたりします。

以前はスキーのオフトレとして代替スポーツなどをやりましたが、
いつの間にか夏には夏で色々やることがあり、サマーゲレンデなんか
にも出かけることはありませんでした。

何とか秩父にもそれらの施設ができないか考えましたが、冬の人工スキー
場から夏場のコブスキーコースとインラインスケートなどのコースに
スケボーのコースなど一連のスポーツ施設とすればまったくできない
ことでなく、新たな秩父の魅力発信にもつながるのではと考えます。

また一つのスポーツとかレジャーとしての秩父より生活の地として
考える考え方が本当は重要で、このミューズパークの魅力も自然の
豊かさで、森を抜ける空気感とか花の香りと鳥の鳴き声などたくさんの
魅力があるのにもかかわらず、秩父に住む人がそれを知らないため
発信もできないという現状を感じます。

誰か有名人に頼ったりとか芸術家の足跡とか過去の偉人の足跡とか、
とかくそれら有名なものに頼った考え方をす捨て市井の人の喜びを
高めそれをお互いたたえる心から生活者の豊かさにつなげることが
今後の地方の抱える問題を解決するものにつながると思います。
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今どきのランニング

2016年12月01日 14時00分07秒 | ジョギング
最近はなかなか走る時間が取れず、もろもろの事情で
夕方週一回はミューズパークを走ります。

それもかつての半分の距離の一往復のみとなっていて
これはこれで色々忸怩たる思いがにじみます。

それでも走るのはやはり走る効果に勝るものが少ない
ということです。

今でもこの公園には多くのウォーカーの人がいますが、
多くは医者の恫喝にも似たこのままでは死にますよという
運動の勧めで歩き始めたようです。

でもそれは果たしてどれだけの効果があるかという疑問は
かねてからあり、ダイエットや血中コレステロールのために
歩いているのでしょうが、長年歩き続けている人はまれで
続いている人も却って前より太っているような人ばかり
目立ちます。

私が公園を走っていた時にもよく声をかけてきたり話を
する人もひと月、ふた月といつの間にか顔を見なくなり
必ず毎日顔を合わせるのは同じように走っている人だけ
だったのです。

私は大震災以来、ガソリンを使ってコースまで来るのに
疑問を持ち、自宅から走り出すようになってしばらく公園は
走っていませんでした。

そしてまた今週一度になりましたが、走るとかつて顔を
合わせた人たちとは違う人と毎回顔を合わせます。

歩いている人はかつてより増えたようです。

走っている人も増え前とは違う感じになっています。

すっかり葉の落ちた木々の間と吹きだまった落ち葉を
蹴散らして乾いた空気と落ち葉から上がる湿った香りの
中、枯葉はリズムカルな乾いた音でリズムに答えます。

この音もランナーの熟度で変わり、近づく音でどんなランナー
が来るのか知れます。

また、この蹴立てる音で冷たい空気の中走る勇気とエネルギー
が積み重なるエールとなるのです。

それは動物も子供も同じでわざわざ落ち葉だまりに走りこむ
犬や子供を見かけます。

踏まれた落ち葉は粉粉になりより風に運びやすくされ、森の
中に運ばれてまた土にかえります。

空気は乾燥して、咽喉や肺を研ぎ、この時期に走りこむことにより
風邪にかかりにくい体にもなります。

また走りこむことにより体温が上がりもろもろの循環が促され
普通では得難い体への変化を起こします。

特にこの森を走る感じのミューズパークでの感覚は特別なものがあり、
この距離を信号や車を気にすることなく走れるのはここだけです。

特に日の落ちるのが早いこの時期は暗くなって走るとまた星空の
中のランニングはまた趣があります。

この尾根と盆地の底では温度や気候の差があり、また、この尾根の
北と南でも差を感じたりと自然の変化をより感じられるのも魅力
です。

それらの変化を感じることは自分の心の変化も感じやすくなり、
走っているうちに色々な問題を解決したりできることも考えが
まとまったりすることもあります。

特に厳しい季節の時期は気持ちの変化と客観的な思考の変化を
起こしやすいのです。

ただ、やはり寒さは走るのに辛いので走り出すまで時間がかかったり
走り出すまで勇気を振り絞ったりという過程が必要になります。

それでも得られるものの多さから走っているわけで皆様にもぜひ
走ることをお勧めすることになります。
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久しぶりのフルメタルジャケット感

2016年10月27日 13時14分24秒 | ジョギング

奥秩父では紅葉祭が始まり、最後の観光シーズンを
迎えました。

それでもまだ暖かい日があったり、十分冷え込みもないのか
紅葉はまだまだの感じの様です。

この冷え込んだ夜に出てくるのがオリオン座でそれを見ると
恐怖に似た感覚を持つのは私だけでしょうか。

まあそれでもこの星座の出るころは星空もきれいでそれを
眺めながら走るのも気持ちのいいものです。

最近走るのに時間がなかなかなく長い距離を走る機会が
なく、毎年コースレコードを更新していたかつての走りも
ジョギング並みの速度になっています。

そんな中久しぶりに昨日は走り、私のレギュラーコースである
影森コースを走りました。

これは自宅からただ南に一直線に走り、影森の旧通り走り
キヤノンの通りに降りて、金仙寺原を巡り、元の通りを自宅に
戻るという単純な田舎道のコースです。

それも幹線道路を避けた閑散とした道ばかりで、夜走るのが
慣れていない人や女性では走るのを躊躇してしまうような道です。

大概走る人や歩きの人は懐中電灯を持参しています。

しかし、ある程度の速度で走る人には邪魔なものですし、暗闇
で慣れた目には照明はまぶしくて邪魔になることもあります。

星明りで星を眺めながら走るのは楽しいし、何か宇宙の力に
抱かれて何かのパワーを受信しているような感じもします。

ただ、この影森コースの難点はだらだら坂道とも言えないような
わずかな傾斜がずっとなれない走りや間隔が開いたときにこの
傾斜が体の不調のように感じたり、走りがやたら辛く感じたり
するのです。

いつもより重力を感じて心地よさという感じは全くなく、走りとは
こんな苦行だったのかと思わせます。

さらにこれからの季節は寒々しい風が体温を奪い辛さに拍車を
かけます。

それも材木屋が連なる道にまで来ると体と呼吸が整い、やっと
走る状態に体が慣れてかつてのペースも辛さも克服し、戻ってきたと
感じだします。

しかし、実際に無敵感に満たされるのはこのコースの影森駅の
踏切を越え墓地を左折したあたりから飛ぶように走りペースを
上げて今までと違うスピード感に達した時です。

今までは汗を手で拭いながらハアハアと苦しみあがきながらの走りが
完全なフルメタルジャケット感に達しると地球の重力から逃れて
飛んでいるかのように暗闇を切り裂きながら進んでいるような滑らかな
波の上をスリムな船が行くようなイメージでいっきに走れるのです。

こうなると走っている最中から体中の細胞が活性化し、全ての機能に
スイッチが入った感じがします。

人生を生きるとはこういうことであるとさえ思えます。

人にウォーキングでなく走ることを勧めるのもこの感覚を
知ってもらいたいからでもあります。

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ランニング境地

2015年11月13日 13時56分33秒 | ジョギング
最近友人がやせたのでがんになったのかと思い
心配して聞いてみたらウォーキングでやせたと言います。

私の経験上、それはあり得ないことです。

というのもミューズパークを走り出して何年も通って
いる間、当然同じコースを歩いている人にも多く会いました。

結構多くの人が歩いていて、友人知人にも会いました。

続けて顔を合わせるようになってもそれが一年以上続く人はなく、
結局それきり会わなくなるのです。

つまり継続性はランニングの人ほど多くないのです。

それに走っている人にメタボ体型の人は居ませんが、歩いている
人にはやせ形の人は居ないのです。

それが歩いて痩せたなあとその変化を見せる人もいないのです。

しかし、なんらか病気でやせた人はその顔色の悪さや雰囲気で
解ります。

癌でやせるというのはすでに末期であると言います。

癌患者を見分ける様々な新方法が開発されていると報告があり、
今まで見つけにくかったすい臓がんも血液検査だけで解ったり、
呼気から胃がんや消化器咽頭癌などが解ると言います。

外見が変わるというのは露骨に病気の可能性があり、私も
インラインスケートを始めてひと月で5Kやせたときは健康診断で
医師の診断を受けるようにと診断の列に入れられました。

それから私はインラインスケートからランニングに移行する
のですが、世の中は歩きから入ると思われているようで、
メタボのうちはまずは走らないで歩きなさいといわれている
ようです。

しかしながら歩きから入って走りまで移行した人が周りで
いないのが現状です。

最近増えた輪行の人をみると結構メタボ体型の人もいます。

彼らがやせるために自転車に乗っているとも思えませんが、
歩きよりは効果的なことは確かです。

走るという行為は人間の進化と深く関係があり、二足歩行と
脳の発達、その後の進化に運命づけられていたといえます。

ここで走るのをやめるとその後の進化もないのではないかと
もいえますが、それ以上に、走ることとは地球の重力から
自由になることでもあります。

歩いている時にはどちらか片足が常に着いている状態ですが
走っているときは空中にいる時間があるのです。

つまり走り続けるとは浮いている時間を長く保っている状態とも
いえます。

これは多くの人がはしリ続ける理由と境地なのではないでしょうか。
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ガタガタのかなた

2015年09月11日 11時53分41秒 | ジョギング
ジムの次の日、テレビのニュースは泥水に浸かる家の
映像ばかりになり、他のニュースは一切入らなくなり、
それでも何度も繰り返される救出映像を見続けて
しまいました。

さて、という事で夜、まだ小雨が降る中走りに出ました。

いつもの影森コースです。

このコースは自宅を出てまっすぐ影森まで走ってただ
帰ってくるだけですが、最初からゆるくずっと登りが
続き、これがかなり久しぶりのランニングを気持から
挫く力を持っています。

それを調子が出るまでどうにか苦しくとも頑張って
色々なことを考えてこらえます。

当然、帰りは下りですから加速とスピードに乗った
走りが楽しめます。

昨日は小雨混じりながら同じように走っている人が
何人かいてまた最近増えているようです。

散歩やウォーキングの人はこういう日にはいません。

行の時に南の空がオレンジ色なのが目に入ります。

どうやら武甲山の上でライトをつけているためのようですが
雲に隠れてよく見えません。

そんな怪しい雰囲気の夜も無事走り終え、体中の痛みが
増す中体の調子が正常に近づいた感じを得て即ランニングの
効果を噛み締めるのでした。
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今時のランニング事情

2015年07月19日 12時45分18秒 | ジョギング
ここのところ雨ばかりだったので、ジムで
いつものメニューをこなしておわりという
日々ですが、ジムでのメニューもランニング
タイムがあったのですが、一周400m弱のこの
コースをかつては13周ただ走るジョギングタイム
でした。

それがここのところではよりハードにしようと
インターバルトレーニングに変えました。

これは最初の8周はジョギングですが、残りの
5周はジョグとダッシュで周ります。

このダッシュが普段全速力で走る習慣がなくなる
大人にとっては大変な運動量で、多分何年も全速力
で走ったことがない人だとまず呼吸筋が痛くなり、
下手をすれば足がもつれて転倒は必至です。

私も冬の間悪天候のときはランニングをとりやめ
インターバルトレーニングとか坂道ダッシュを
やるのですが、これは普段バスケットの試合をして
いても純粋に100mダッシュするというのはかなり
応えます。

そもそもジムのメニューの最初のストレッチの後に
取り組むエアバイク30分がとにかくきつく、足もお尻も
ガクガクになった後、腹筋台の後二階のジョギング
コースに行ってインターバルトレーニングをするので
ガクガクになった足を元に戻してランニングの呼吸に
慣らしてから、おもむろに全速力するのです。

すると、ランニングでは得られないクルージング感
を感じます。

ランニング時の風切音や独特な意識感からさらに
刹那的なライブ感を持った感覚があります。

ランニングでもそうなのですが、初心者の頃は
ただ苦しいという意識しかなかったものが、全能感
にも似た超越した感覚と目から見えている以上の
独特な視覚野を感じるようになります。

これはこのダッシュ時にも感じるようになり、ただ
苦しい一杯一杯だというトレーニングだから苦しい
という意識もやがて自分の感覚段階の切り替わりを
はっきりと自覚するようになるとその変化の面白味が
味わえるようになり、意識も変わってくるのです。

これは瞑想などの超意識の世界と似たものがあります。

考えないで考えているような自分の無意識をさらに
観察し、より無意識を深める効果があるのです。

最近のプロフェッショナルの仕事の流儀のような
ドキュメンタリー番組で名人の技を紹介する番組
はよくありますが、その職人や仕事人の精神面に
踏み込んだものはありません。

これは番組の制作者サイドでそういったものを持った
人がいないせいなのではないかとよく思います。

何かを極めた人は普通の人には見えないものが
見えているという視点の番組はかつてはあった
のです。

それはプロが知るプロの高見というもので通じる
観念があるのでしょう。

それが今では何でもマニュアル化してしまい、最初から
言葉でつまびらかにしてそれで効率重視という世の中で
結果は数字でのみ判断される世界で、失われていった世界観
やプロの意識なんてロマン的なことはもはや必要とれない
ものなのでしょう。

まあなんでそんなことを思ったかというと最近漱石の
本ばかりを読み、テレビは海外ドラマをDlifeでみると
いう生活なので、そのギャブの中でより情緒的な意識が
こんなことを書かせたのでしょう。

走ることにもそんな情緒的なことを必要とする自分を
発見するのでした。
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ドブの臭いとフジの香りの夜

2015年04月30日 23時56分33秒 | ジョギング
すっかり週二回のランニングになってしまいました。

それも夜遅くに走ることになりますが、すっかり夏のような
気温が続く今は走るには気持ちいい温度です。

本当ならこの月末はスキー旅行のはずでした。

数日前なぜか突如公開された愛子様のスキー姿を
みて私も本来ならこの奥志賀に行くはずだったのにと
いう思いが募りました。

月末の業務に加え突如舞い込んできた大量注文や
積み重なっていた睡眠不足と疲労感と家族の不参加
などが重なり旅行は取りやめになり、その代替に
久しぶりのフルサイズのランニングをしました。

これは自宅から横瀬高篠大野原とまわる13Kのランニングです。

ここのところ雨も降っていなくて暑くなったためか
高篠の側溝の蓋の間からは久しぶりに嗅ぐどぶの臭いが
強く立ち上っていました。

それと夜になっても強い香りのフジの花が重なってとっても
刺激的な香りでした。

フジの花の香りからはそれよりも強い甘い香りのアカシヤの
香りを思い出させ強い官能的な思いをふと連想させます。

いやな香りというのは走るときにもストレスになるもの
ですが、花の香りはときに強烈な意識活性になり、苦しい
時などはそれにより走りが甦ったりします。

ドブの香りと花の香りが交互に現れたりするとこれも
刺激が色々で走りも活性化した感じになりました。

平素はない刺激というのはリフレッシュとなるものです。

まだ、志賀高原への思いは消えませんが、連休中に休みは
ないし、この混雑の中出かける気にもなれないので、あとは
かぐらだけとなったわけで、果たしてそれが果たせるのか
段々手に入る物が少なくなる中、それを実行するために必要
なのは何なのかを考えるのでした。
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