King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『ドクターストレンジ』鑑賞

2017年02月26日 23時55分58秒 | 映画
日曜日は地域のイベントや町内会の行事やら
目白押しで忙しく息つく暇もなく過ぎ、気が付けば
月末で色々な業務にも追われるという日でした。

そんな中、決算業務やら確定申告やらという一大
事務は何とか終え、ここのところの心の糧であり
文化的欲求でもあるところの映画を見たいという欲求が
あり、ラジオで聞いた映画紹介された作品などは
近くの上映館がなく、それでも気になっていた
『ドクターストレンジ』はまだかろうじてやっている
状態を知り、いつものように最終回にでかけて
やっと見ることができました。

テーマとしては野心と向上心に燃え一流の腕を持つ
外科医が事故から未来を絶たれてそれでも違う道から
再起するというものです。

その方法として用いられるのが古来からある魔法で
その活路を見出し、行きがかり上、地球を救う立場に
なっていくというものです。

もう見るとなんとも滑稽で映画の世界でしか成り立たない
子供向けの話に聞こえますが、この話に興味を持ったのは
主演のベネディクト・カンパーパンチということと予告編の
ビルが折りたたまれて地面に吸い込まれる映像とかマルチバース
の異次元の力とか今までの映画とは違うものを感じたから
です。

そもそも私ども世代はテレビでユリゲラーとかUFO特番とか
オーパーツの謎などがゴールデンタイムにバンバン流れて
いた時代の人間としては超能力など簡単に信じてしまうし、
反応もし、多くのかつて見たそれらの謎が実は嘘であり
デマ番組という事実を知るに至ってもこのマーベルとか
ディズニー映画の夢と魔法と冒険の世界というのは
やはり永遠のテーマなのです。

今や科学万能の世界で、多くの謎やら素粒子物理学など
まるで魔法のような世界も解明してきた人類は、その
解明が進むとまたその先に大きな謎が続いているという
現実を見てきました。

多くの発見が相次いだ世界でもいまだに魔法とか人知を
超えた世界は存在し、ダークマターやらダークエネルギー
といった私たちが知る通常物質よりはるかに多い未知の
物質に占められていてその行く末さえ想像もつかない
のです。

玄奘三蔵がインドに真の仏教を知るため旅だった記録に
インドの僧が鉢を飛ばして食事を得るシーンが出てきますが、
当時の僧にはそんな超常能力があったとされ多くの物語に
残されています。

座禅や瞑想により不思議な体験をした話は今でも紹介され
何らかの超能力が発揮されることは仏教修業ではあり得る
ように受け取られなんともそそられる話に感じます。

しかし、仏教というのは悟りを得るためのものであり、
それらの法力などは邪魔なもので排除されてきたとも
いいます。

古来の歴史書や物語にも超常的な力により物事が行われた
伝承や記述があり、それらは科学がまだ発展していない
物理法則も確立してない時代で幼稚な妄想というとらえ方
もされますが、なぜかそれだけでは済まないものをはらんで
いるのです。

というのは、現代でも多くの人が宗教がらみの儀式やら
祈祷の類は排除されず、大きな建物から自宅の建設の
前には神主がお祓いをしたり、普段神棚を拝まない人でも
初詣には出かけたりします。

先の玄奘三蔵もインドの僧が鉢を飛ばして自分の番が来た時に
中国では仏法が廃れ自分は鉢を飛ばす修業もしていないのでできないと
言い訳するとインドの僧は何をばかなことを言っているんだと
相手にせず僧ならできると飛ばすことを迫って困った玄奘三蔵
は故郷の方角に祈祷をして恥をかかせないでくださいと祈りを
上げると誰の鉢より早くとんで食事を運んだとその記録に書いて
います。

そんな事故で手が麻痺して医者としての未来が絶たれてしまった
ストレンジがたどり着いたのがネパールで、再起をかけることに
なるのですが、魔術の根源が異次元のマルチバースの力だという
のが切り口としては新しく、映像についてはNASAの協力があった
らしくエンドロールにNASAへ謝辞がありました。

ただ、現科学上マルチバースの証拠となるヒッグス粒子の質量は
観測された実験での数値と理論が合わず、その存在は証明に至って
ません。

もちろんネパールカトマンズに現在そんな魔術を教えている教団が
あるわけではなく香港とロンドンとニューヨークに結界を張る拠点
などもないわけです。

なぜ地球をダークエネルギーから守るのにニューヨークと
ロンドンと香港に拠点を置き結界を張るという必然というか
構造がよくわからないのですが、映像としてはその映像が
その魅力的な都市の映像がつながって現れることに目を奪われ
その意味よりとにかく地球を守ってほしいという見る側の気持ちも
重なります。

ところで仏教の結界の概念が西洋人にもあるのか。通じる
のかという疑問も沸きますが、西洋文化にも悪魔を呼び出す
のに魔法陣というものを書くという文化があり、なんらかの
ゲートということでとらえられているのかという感じもします。

また作品中、魔術で戦うのに負傷した人がニューヨークの
病院で治療されるというシーンやアストラル体として戦う
際に肉体に受けた電気ショックを使い攻撃するなどとんでも
シーンが多くて魔術としての深度とか世界観のもろさが目立ち
そこらへんは現代科学との整合性とかもっと練って世界観を
統一していかないとこれからのシリーズ化も視野に入れ
発展性が乏しくならないようにしてもらいたいと思いました。

映像としては今までにないもので、映画としては巻き戻し
というのは古い手法でそれらも取り入れられていたりと
今後の発展も楽しみなところもありました。

そんなあり得ないものとして楽しむ魔術なのかそれとも
実は現実にも侵入してくる世界なのかということも感じつつ
帰りました。
コメント
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