私が利用するスーパーでは山積みで売られていたので気が付きませんでしたが、
ネットではハッシュタグ付きでパスタが売り切れていたというのがあり、納豆、
ホットケーキミックス、小麦粉に続きパスタも売り切れ商品となっていたのです。
かつてはところてんも健康番組で取り上げられてなくなったことがありましたが、
最近は人気がないのか肩身の狭い置かれ方をされています。
パスタやカレーという外食で定番のメニューをSNSで見ているとやたら食べたくなったり
銀座にまた新しい店ができたとかとても気になる情報ばかりです。そんな中、そういう料理を
載せるSNSにひときわ興味がわいたのはバシルがびっしりと茂っている様を乗せた人がいて
これでジェノベーゼを作るというだけでよだれが出るかのようでした。
我が家の庭もいろいろなハーブを増やしているところでこれからバシルの区画も作ろうかと
思いました。
外食も自分で作るのもよいですが、どうしても行きたいとか行きたくても店がなくなったあの味とか
予約が取れない店とかお金があっても果たせない味というのはあります。
一方珈琲というのは裏切りなくいつも必ず癒しと豊かな時間を与えてくれます。
それが毎日味わえるという贅沢です。
極上の珈琲とか希少な豆とか人は良く高くて手に入らないものをあげつらいますが、そんな
ものでも珈琲に限っては高級料亭での食事や予約の取れないレストランでの食事代からすれば
実に安いものです。
コーヒーハンターのシャンパンボトルに入った豆とかコピルアクとか高くて希少な豆を
人に贈ったり、コンテストの入賞豆とか有名喫茶店の豆を買って贈る人がいますが、
果たしてそれ等が払った対価ほどに相手に感動を与えるかというのはまた別の話です。
ただ、ある程度の納得とか高いものを送る必要な人というのはいつもいてたとえば私の
家へ手土産を持っていくとなり、いつも私が虎屋のようかんの話をしているからと虎屋の
ようかんを持ってくる営業の人は良くいます。お使い物にこれを上げたら喜ばれるとか
あの人のお気に入りだからと調査して持っていくのも相手に感動を与えたいというこころ
積もりでしょう。
その一端が高いものであり、並ばないと買えないものです。ですが、それがおいしいかと
いうことと感動を与えられるかというのはまた別な話です。
珈琲の場合も酸味が苦手でという人が自分はコーヒーが大好きだからと当店にも訪れますが、
贅沢な珈琲とかおいしい珈琲の定義は持っていないことがほとんどで何が贅沢な気分にさせてくれるかも
定かではありません。
しかし、私は毎日それを味わい、毎日ブラジルサントスNO2を飲んでさえ非常に贅沢な気分に
浸れます。つまりはお金でそれら贅沢な時間が贅沢にお金を使うことで得られると考えるのが
そもそも貧相な考え方でそんな事しか浮かばないでコピルアクを買ったりお店の人に勧められる
というのは実に不幸なことに思います。