蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ブログ100日目ー癒しの音楽

2010-12-27 | 音楽、Romantics Stream
我らのブログは年末で100日目を迎える。なんだかんだといえ、よく続いてきたものである。 ブログとは何ぞや、何が魅力なのか、まだ分からない。しかし、今や日常の生活に入り込み座を占めている。空気のような、麻薬のような、兎も角、毎日付き合いたくなるのである。 書いたり、コメントしたり、題材はなんでもよい。皆と過ごした楽しい時を思い出したり、庭の花に思いをはせたり、散歩の時に見た夜景に感動したり、政治家の行動に鬱憤を晴らしたりなどなど。そこに味付けのごとく音楽が添われる。 さて、今日は美しい調べに、癒されよう。 Percy Faith - Theme From A Summer Place

癒しのミュージックといえばPercy Faithです。ちょっと癒されましょう。


マントヴァー二ーもいいですよ。"Come Prima"


しつこく・・ポールモーリア エーゲ海の真珠。


PERCY FAITH - A WALTZ FOR CYNTHIA パーシーフェイス~シンシアのワルツ
Chaplinの作曲になる映画主題歌、55年ぐらい前に親父と一緒に見た映画、今でも親父のことを思い出す。
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元気になる話ー2002 小澤征爾An der sch醇rnen, blauen Donau

2010-12-27 | 音楽、Romantics Stream
2002 小澤征爾 美しき青きドナウーーヨハンシュトラウス二世の作曲、最も人気の有るワルツ。
 2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。このコンサートは世界中に同時生中継された。美しきアオキドナウはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートのアンコールの定番曲でもあり、この曲の序奏部を少し奏した後、拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている。


日本人で世界へ飛び立ち活躍した人は多々いると思うが、小澤征爾の人生はロマンに満ちたものであった。
世界のクラシックファンなら小澤の名目を知らない人はいないぐらい、世界的トップ10人の指揮者の一人に数えられる其の名誉に栄誉を与えたい。

其の足跡を見てみよう。若干20歳のときスクーター、ギターとともに貨物船で単身渡仏。数年後の24歳の時、1959年パリ滞在中に国際指揮者コンクールで優勝。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年アメリカボストン郊外で開催されたタングルウッド音楽祭で受賞。34歳1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。1964年シカゴ交響楽団によるラヴィニア音楽祭の音楽監督として音楽祭を成功に収めた。小澤の名声は全米に知れ渡る。日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシックの曲の録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。1973年、38歳のときに、アメリカ5大オーケストラの一つであるボストン交響楽団の音楽監督に就任。その後ウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで30年い亘り務めた。
2002年2010年1月、食道癌のため食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。
今後さらに音楽への夢を追い続けるであろう。まさに、ロマンチックな人生を追い続けてきたといえる。


ラデツキー行進曲もアップしますね!


それでは、ご要望に応えて今年のウイーンからもう1曲。

コメント (3)
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