蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

歎異抄から   (bon)

2013-04-02 | 日々雑感、散策、旅行
“さくら”の余韻に浸っている穏やかな雰囲気を遮る記事で申し訳けありません。
今日は、ハイキングの予定でしたが、生憎朝からの雨で中止となりました。


 先日のユニークなお坊様のお話にありました“歎異抄”・・以前にも読んだりしておりましたが、
この機会にもう一度抜き読みしてみました。 
宗教といってしまえばそれまでですが、これを何度も眺めていると、やはり“他力”のことが理解できそうです。

 かって、五木寛之の“他力”や“下山の思想”から、このブログでもちょっと書きましたら、
“こんな無気力な事は若者には言えない”、“夢も希望も、意気込みも”失せてしまう・・
というようなご意見を頂戴し、“なるほど~そうも言えるな!”とも思いましたが、ここでは、
そういう視点ではなく、人間本来の煩悩を解脱するということがどういうことか、そのようになるためにはどうすればよいか? 
そんなところを、ちょっとひも解いてみたいと思いました。

 
 人が救いを求めて、救われる、救われたい ためにはどのようにすればよいか、どのようにあればいいのか? 
当時、そんなことは、上流階級の人々のことであって、一般庶民(民)にとっては、かかわりのないこと、
あずかれないこと・・だったのでしょうね。 
宗教(救いを与えてくれる)も、これら上流階級の人々あるいはこれにかかわる関係者(修行僧など)
だけに対するいわゆる“小乗仏教”(密教)であった。 
たとえば、空海(真言宗)、最澄(天台宗)などがその代表でした。 それが、時代とともに、
鎌倉時代の混乱期あたりから、より広い一般の百姓などの庶民にまでを救いの対象とした“大乗仏教”へと広がり、
法然(浄土宗)や日蓮(日蓮宗)さらに親鸞(浄土真宗)などへと繋がっていくのでした。


 つまりは、上流階級や一部の専門階級に閉じられていた“仏教”思想というモノを広く人間全体を
対象とするようになり、それを広めるにはどのようにすればよいか?みたいな感じで捉えてみると、
難しい修行とか教典とかの学門・知識や行いを要求しても、貧しい人、教養のない人、時間の取れない人
などなどには無理であるから、
極端に言えば、何もわからずとも“ただ、念仏を唱えるだけで良い”“唱えようとするだけで良い”・・・
と諭す一方で、よくご存じの「悪人正機」の
“善人なをもて往生する、いわんや悪人をや・・”と、通常とは全く逆のことと思われる考え方を示しているのです。

ここでいう、“善人”、“悪人”は、当時の仏教界でいう表現で、今日でいう一般の善・悪とはちがっている。
すなわち、善人とは、「自力作善」の者で、自らの財力や能力を頼んで寺や社会に寄付をすることで
往生しようとする“善人ぶっている人”で、貴族、学者、特権僧侶、上級武士たちをさしているのです。
悪人とは、我々のような煩悩を具足のように身にまとった者が、どんなに行に励んでも迷いの人生から
解放されないでいる庶民をさしている。

 お寺への寄付をたくさんした、貢献した・・それが多ければ多いほど余計救われる(より良い往生が出来る)
などとの考え方が台頭し、この考えを利用して勢力を拡大するという誤った方向に進む傾向にあった。 
このことを嘆くとともに、このような風潮を否定し、後世に対して誤った軌道を正したのでした。

 
 もう一度、“善人なをもて往生する、いわんや悪人をや・・”の言わんとするところを考えてみますと、
結局、貴族や上層階級にある者が、財力を施したりして自力で信心したと思っている(こころから信心していないのに)、
そんな人でも救われるのだから、つね日頃、汗みどろになって食べ物や着るものを生産している庶民が、
その煩悩から抜け出すために心から念じている・・そんな人々こそ救われるのだ、といっているのですね。


当時の仏教思想が、根底から変革しようとしている、その流れをこのような形で鋭く言い切っているのですね。


 ほんの一部しかとらえていないので、これでは羊頭狗肉の感が否めませんが、
今回は、まぁ、チャレンジの一端としてお許しを願うばかりです。何やら中途半端な感じもしますが・・・。











コメント (1)
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