蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

映画のこと  (bon)

2014-11-11 | 日々雑感、散策、旅行

 寅さんでお馴染みの、山田洋次監督のブロンズ胸像が、先ごろ葛飾柴又の “山田洋次ミュージアム” で除幕された
との報道がありました。 
寅さんシリーズは、ファンの一人で先月まで毎土曜日夕にBSでやっていましたので、楽しんでみていました。

 折しも、手元に届いた会報に、山田洋次監督の寄稿文が掲載されていました。 
会報には、この他、東宝の相談役・前社長の 高井英幸氏 の講演録もありましたが、来年(2015年)が映画誕生
120周年にあたるということなんですね。

 1895年12月にフランス人 リュミエール兄弟がパリのオペラ座そばの建物の地下サロンで、スクリーンを張り、
約100席の椅子を並べて映写機を設置し、1分弱の “シネマトグラフ” と呼ばれる映画を数本、有料で初めて
観客に見せた。 これが映画の誕生だったのですね。 キーワードは、“映写機” と “有料” なのだそうです。 
一方、エジソンもこれより早い時期に、アメリカで映画を開発していましたが、 箱型で、コインを入れてのぞき穴から
動く写真が見られる “キネトスコープ” というもので、“映画” が誕生したとは言われていないのですね。

 日本では、1897年(明治30年)といいますから、誕生から2年足らずで早くも導入され、大阪難波の “南地演舞場”に
スクリーンを張り、入場料を取って最初の映画興行が行われたそうです。

 誕生頃の映画は、もちろん映像だけで、列車が駅に到着するシーンだけの作品だったそうですが、迫ってくる機関車に
当時の観客は驚いて総立ちだったといいます。

 

 山田洋次監督の寄稿文は、「フイルムよさらば」 と題する、それほど長いものではありませんが、“カチンコ” という
映画の撮影の時に、フイルムをスタートする最初に映すアレのことから始まっています。 やはり、長年親しんできた、
監督ならではの愛着ではないでしょうか。 

               カチンコ
                  (アマゾンショップページより) 


 部分的に拾い読み(コピペですが)をしながら歴史の移り変わりを見てみたいと思います。

 『さて、映画のシンボルマークにもなっているこのカチンコが今、制作現場から消えようとしている。なぜかというと
今日の映画は殆どがフイルムを使用せずデジタルカメラによって撮影されているからである。』・・
『映画は機械に跨った芸術だ、という昔の人の言葉があるが、映画はまさに科学技術の落とし子のようにして、
今から120年前にフランスで誕生した。 最初は、歩いている人や走る機関車を写しただけの見世物だったが、
映像が動くというだけで観客は驚嘆にて入場料を払って小屋に殺到した。 しかし、この見世物が人間の感情を
豊かに表現する芸術に進化するのに長い年月を必要とはしなかった。 その20年後には喜劇王チャプリンが続々と
コメディフイルムを世に出して 世界中を笑いと涙で溢れさせ、映画は人間の心に感動を呼び覚ましうる芸術である
ことが立証された。 以後20世紀の科学技術の進歩は映画芸術に大きく貢献する。 初期のサイレント映画は
トーキーとなり、白黒フイルムがカラーになって、かの “風と共に去りぬ” の美しい画面が世界中の映画ファンを
熱狂させたのは1940年代であり、ハリウッドの映画産業は鉄鋼や自動車と並んでアメリカの基幹産業となった。
“ゴジラ” で代表される特殊撮影は映画の新しい表現ジャンルだが、コンピューターの時代になるとCGの技術が
発達して “ジュラシックパーク” のような、この世に存在しない生物をリアルに描くことが可能になる。』
『このように映画創造の現場で表現者たちがより豊かな表現を、という願いに科学技術が応える形で映画の表現力は
日進月歩で発展してきたのだが、さて今日のデジタル化はわれわれに何をもたらしたのか?』

 監督は、さらに話を進めて行くのですが、デジタル化によって観客を更に喜ばせることになったかというとそうではない
というのです。 今日の映画館の9割はフイルムで上映していないのに、そのことに気付く観客はほとんどいないし
製作者が見ても見分けることは難しいらしい。 彼はこのように言っています。
デジタル化は 『フイルム運搬の費用が劇的に安くなったこと、つまり興行における経費の面でデジタル化は大きく
プラスした。・・フイルム現像費用も大幅に削減された。データをコピーすればいい。』 『映画のデジタル化はより豊かな
表現を目指してということよりも効率化、より大きな利潤をという目的のために急速に進められたように僕には
思えてならない。』  『カンヌ、ベニス、ベルリンをはじめとする国際映画祭も今はデジタル上映が殆どである。・・
今年のベルリン映画祭に出品した僕の作品もフイルムで撮影したのをデジタルデータに移し替えての上映だった。』
『ぼくは、フイルムの奥行きのある味わいが好きだし、黒の発色はデジタルよりカラーフイルムの方が断然勝れている。
だからまもなくクランクインする次回作もフイルムで撮影する予定だ。』

 

 これらのくだりを読んでいるうちに、20年ほど前に、サンフランシスコからオークランドベイブリッジを渡ったすぐのところ
エメリーヴィルにある “ピクサー(Pixar)” という映画(アニメ)制作会社を訪問したことが想い出されました。 
ちょうど、“トイ・ストーリー” の発表直前のようでした。 デジタルそのもので、当時の先端を行っていて、
大量のデータを処理する “レンダリング” 装置なども開発されていました。 同じ頃、アポロ13号を制作した会社
(Imagine Entertainment)にも訪問しましたが、いわゆる特撮の流行で、実写とCGの合成映像を体験したりしました。 
案内してくれた制作担当者は、“デジタルよりもフイルムの方が「Rooks」があっていい。” といっていたのを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

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