蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ベランダの小さな秋  (bon)

2014-11-23 | 花鳥風月

といっても、もう晩秋、今日は11月も23日です。 勤労感謝の日、昔(昭和21年までは、新嘗祭)で3連休のなか日です。

齢を取ると月日の過ぎるのが早く感じるのはなぜでしょうか? 
来し方のいろいろが、それだけ多く、頭の中や体に埋め込まれていて、思いがめぐる・・また、それらが種となって
関連する事柄に飛び火したり、潜在的にあれこれと半ば無意識的に気が巡るためなのでしょう。

 ま、そんなことはどうでもよく、今年も小さなベランダの秋も終わろうとしています。
鉢植えの花木は春先には、それなりの花を咲かせ、葉も繁り、暑い過酷な夏の盛りを耐え、今、静かに紅葉を
楽しませてくれる・・ 毎年この繰り返しを誠実に守ってくれている。
人とは違って、その繰り返しの中のいろいろをどこかに偲ばせて記憶することは無いのでしょうね。いや、ひょっとして
記憶しているのかもしれません。 花付きが、その年によって違うとか、先祖がえりのような葉っぱや枝が出たりする
ことがあります。 植物は、動くことができない。 生命維持のためには、根と葉がその任に当たり、種の保存には、
花を咲かせ、虫を寄せ媒介させる術、そしてそのタネを鳥などによって遠くに運ばせている。 胞子のように、
風の力をかりたり、種子に羽を付けたのもあります。

 よく、ランなどの栽培で、水やりを極端に少なくして、ランを追い込むと、ランは “もうこれまでか” なんて思って、
必死に子孫を残すために花を咲かせるのだ、と聞くことがありますが、一般にそうなんですね。水も肥料も十分すぎると、
いわゆる “栄養成長” で、葉っぱばかりが大きく育ち花の姿が見られないといった現象が起きるのですね。

最近も、豊かさの陰で、小型犬が大量に捨てられていたり、メガソーラーの送電線の純銅が何トンも盗まれたり、
僅か3歳の女児が衰弱して死亡したが、胃からは、ローソクやタマネギの皮などが出て来た・・など、誠に痛ましい、
許しがたい事件が後を絶たたず、やるせない思いが引きずられます。

こんなことを思いながら、風もなく良いお天気なのでいくつかの花木の今をパチリとして、載せてみます。

 めぐすりの木                        さくら
    
 

どうだん                           さざんか
    

 

来年用に、ポット播きしました、ツタンカーメンのえんどうです。少し芽が出ています。
                    


 

定番
 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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