このほど、強毒を持つヒアリやアカカミアリが発見されたニュースが
報じられています。これらは、特定外来生物に指定されているアリですが、
まず神戸港で発見され、その後名古屋港、大阪南港、大井ふ頭、と次々と
貨物船から陸揚げされたコンテナから見つかっています。名古屋港から
運ばれたコンテナについて内陸部の春日井市でも見つかったといってい
ます。まさに、検疫の大切さを改めて知ることとなりました。
先のブログ記事「貿易記念日」(6月28日)は、江戸末期安政6年(1859年6月28日:
旧暦安政6年5月28日)に、横浜、長崎、函館で、正式に自由貿易を開始した、すなわち
これまでの長い鎖国を「開国」したことを記念した日なのです。と同時に、この日から
海洋は欧米や東アジアとの交易によって、急性感染症の流入という環境面での問題が
発生することになったのですね。 当然ながら・・。
話は飛びますが、日本では、何度もコレラが発生し大きな被害を出した記録がありま
す。最初のコレラ発生は、1822年のことで経路などはわかっていませんが大きな被害を
出したそうです。 次に、1855年(安政5年)には、3年にわたり大流行したとあり、
九州から東海道に広まったようです。そして、1862年には3回目の大流行となり56万人も
の患者が出たとされています。
いづれの大流行も江戸までは入ってこなかったといわれているようですが、これは、
箱根その他の関所により防疫がとられたためと考えられているようです。 人の往来を
制限できたからなんでしょうね。明治維新になって、明治政府が箱根の関所を廃止すると、
その後は2~3年間隔で数万人単位の患者を出す流行が続いたといわれています。 1879年
(明治12年)と1886年(明治19年)には死者が10万人の大台を超え、日本各地に避病院
(伝染病専門病院)の設置が進んだとあります。
で、1879年(明治12年)7月14日に、日本初の伝染病予防の法令「海港虎列刺病(コレ
ラ)伝染予防規則」が公布されたのでした。 後(昭和36年)に、厚生省(現在の厚生
労働省)と日本検疫衛生協会がこの日を「検疫記念日」に制定し、14~20日を「港の
衛生週間」とし、検疫の大切さをPRする催しなどが実施されているそうです。
明治12年に初めて制定されたこの法令「海港虎列刺病(コレラ)伝染予防規則」は、
その後、1897年(明治30年)に「伝染病予防法」、1899年(明治32年)に「海港検疫法」、
1927年(昭和2年)に「航空検疫規則」が次々と制定されました。そして、1951年(昭和
26年)に海港検疫法と航空検疫規則が改正され、新しく「検疫法」が制定され現在至っ
ているのです。
ちなみに検疫法第1条には「国内に常在しない感染症の病原体が船舶・航空機を介して
国内に侵入することの防止と、船舶・航空機に関し感染症の予防に必要な措置を講じる
こと」とあります。
(ネット画像より)
脚光を浴びる業務ではないかもしれませんが、検疫の仕事は重要な業務であることが
再認識させられました。 最近では、デング熱やエボラ出血熱などが記憶に新しいとこ
ろですね。
また、この日はアメリカ、ペリー提督が浦賀に上陸した記念日ともされているそうです。
1853年の7月14日(旧暦嘉永6年6月9日)、マシュー・ペリー提督率いる黒船艦隊4隻が
江戸湾の浦賀に来航したのです。
ネットにはこのことを『蒸気船をお茶の銘柄の上喜撰にかけて「泰平の眠りを覚ます
上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」と狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となった。』
とありましたが、この黒船をきっかけとして、6年後に米国総領事ハリスとの通商条約調印
により鎖国が解かれるのですね。
サスケハナ号(蒸気外輪フリゲート)
(ウイキペディアより)
さらに、7月14日といえば、パリ祭があります。
1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃・占領し、フランス革命が始まっ
たのでした。フランスでは「フランス革命記念日」または「建国記念日」として、1880年
から国民の祝日となったとあり、この日には、フランス各地で一日中花火が打ち上げられ、
パリでは軍事パレードが開催されるとありますが、昨今のテロや花火事故などからみて、
今日のパリはどうでしょうか?
日本では、1932年(昭和7年)の映画『Le Quatorze Juillet(7月14日)』の邦題が
『巴里祭』であったことから、この日を「パリ祭」と呼ばれるようになったとか。