この時季、日本各地でお祭りが行われています。 四国の阿波踊りは、
巨額の赤字から、その運営に変化が生じて内部混乱のうちにも、壮麗な
踊りが展開されましたが・・
京都 夏の夜空に浮かぶ「五山送り火」は 昨夜、雨の心配がありましたが、無事、幽玄
ともいえる光景が繰り広げられました。 祇園祭とともに京の夏を彩る風物詩ですね。
五山送り火については、当ブログ2年前、2916.8.17に記事アップしていますので、ダブ
らないようにして 即物的側面も加味して拾い読みしてみたいと思います。
(ネット画像より)
一般に送り火というのは、お盆の翌日に行われる仏教的行事で、再び冥府に帰る精霊を
送るという意味ですが、室町時代のころ、この夜 松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を
見送るという風習に似せて、京都五山送り火は、これが山に点火されて行われたともいわれ
ているそうです。
江戸時代あたりでは、投げ上げたり、山の上でなく平地でもそのような風習が行われて
おり、今日でも旧家などでは、玄関先で焙烙に乗せた「おがら」を焚いて送ります。
このような送り火のほかに、灯篭流しや精霊流しなどもお盆の行事として各地で行われ
ていますね。
ところで、「お盆」というのは、どういうことか? ウイキペディアに・・
『お盆(おぼん)とは、夏に行われる日本の祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊
信仰と仏教が融合した行事である。 』とあります。
仏教では、盂蘭盆会のことで、『盂蘭盆経』に次のようなお話として説かれているのです。
すなわち・・
『安吾(僧侶が集団で修業)の最中、神通第一の目連尊者(釈迦の第1弟子)が亡くなっ
た母親の姿を探すと、餓鬼道(六道における餓鬼の世界)に堕ちているのを見つけた。
喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎と
なって、母親の口には入らなかった。哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、
「安居の最後の日にすべての比丘(修行者)に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端
が口に入るだろう」と答えた。 その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘
たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている
者たちにも伝わり、母親の口にも入った。』
このことから、お盆には、いろんなものをお供えしてお迎えするのですね。
私が子供のころ、家には大きな仏壇がありましたが、この時期、お花や果物などの
お供え物のほかに、ハスの葉の上に細いサツマイモや豆、野菜などを載せたものもお供え
していましたね。
この時に祖霊に供物を捧げる習俗が、いわゆる現代に伝わる「お中元」なのだそうですね。
中元とは、もともと道教の行事の『三元』で、一年に上元、中元、下元の3つの日があり、
中元は7月15日(新暦8月15日)とあります。
ところで、今夜(17日夜7:30)の「チコちゃん・・」の番組で、「お盆ってなぁ~
に?」と質問するようですね。
お話がそれてしまいましたが、京都五山送り火に戻り、この5つの火の大きさを調べて
みました。数字は約です。 かなり大がかりですね。
・大文字 一画 80m、二画 160m、 三画 120m 火床75基
(ネット画像より)
・妙法 妙 最長95m 火床103基 法 最長75m 火床63基
(ネット画像より)
・舟形 縦130m 横200m 火床79基
(ネット画像より)
・左大文字 一画48m 二画68m 三画59m 火床53基
(ネット画像より)
・鳥居形 縦76m 横72m 火床108基
(ネット画像より)
これらの5つは、午後8時に大文字が点火され、5分遅れごとに次々と点火されますが、
火床の多さ、山の斜面など裏方さんのご苦労は計り知れません。