蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

たちまち  (bon)

2019-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

         今年のペルセウス座流星群も、13日当たりが極大を迎えましたが、
         あいにく明日(15日)が満月で、ここしばらくは月明かりで空が明るく、
     流星の観測は無理でした。ベランダは、深夜もモヮ~っと熱気があり、
     月が無くても明るいので、星の観測向きでないのですね。

 

 先日の新聞の書籍広告欄に、「たちまち 5刷」や「発売たちまち 3万部突破」が目に
止まり、「たちまち」というのは・・いったいどういう語源なのか?  似た言葉に、
「じき」「じきに」や「すぐ」「にわかに」「ちかじか」などがありますが、それぞれ
に微妙なニュアンスの違いがあり、ちょっと調べてみました。

  「たちまち」「忽ち」は、「わずかな時間で物事が進展する」「ある物事について、
予想以上の速さで状況が進み、事態があっという間に変わってしまった様子を表す」と
いう意味です。その語源は、『立ったまま事の成りを待つ意味の「立ち待ち」』に由来
する。とあり、もしやそうではないか?と思った通りでした。

      (ネット画像より)

 すなわち、昔、月を愛でる習慣があり、満月、十三夜、など、お馴染みですが、とくに
中秋の名月がその中心ですが、これに続いて、月を待つ風流な習慣がありました。
 陰暦15日の満月は、日の入りと同時に東から月が上ってきます。 16日は少し遅れて
「十六夜の月」、17日は更に遅く「立待月」。 月の出が、次第に遅くなるのですが、
立って待っているうちに出て来る。 18日は、立って待つより座って待つ「居待の月」、
さらに「寝待の月」など19日は、横に寝転んで待つ・・。

 いずれにしても、静かに月の出を待ちながら風流を楽しむ姿が想像されますが、江戸
時代あたりには、深夜から明け方の薄い三日月の上るのを待つ「二十六夜月」などが
あったそうです。こちらは、飲めや歌えの騒ぎであったそうです。(当ブログ「二十六
夜待ち」(2012.2.26)ご参照)

 月の出を 立って待つ時間は、現代のスピード 感覚で言えば、「短時間」とは言えま
せんが、昔のまゝの感覚が残っているのです。言葉というのは面白いですね。

“ 朝五時から焼き始めたパンが、開店と同時に忽ち売り切れた ”

 16日に出る月「十六夜=いざよい」は、ためらう、少し遅れるという意味から言うの
だそうです。 そして、立って待つの「立ち待ち」が、やがて思いがけず急に現れる
「たちまち」に変わり、現在の短時間で急速に変わる様子を表す「忽ち」になったと
ありました。


 また、「忽ち」は、「すぐに」という時間の速さ、短さという意味の他に、「衝動的
に」や「突然に」、あるいは「物事を軽くとらえて真剣に考えない」という 全然違う
解釈もあるとありました。

       

「じき」、「じきに」というのも、すぐという意味がありますね。漢字では「直」で
その意味は、  

① 時間や距離が近い・こと(さま)。 「 -にできます」 「頂上はもう-だ」
② 間に他のものが入らない・こと(さま)。直接。じか。 「 -の取引
③ 物事の関係がごく近い・こと(さま)。

とあり、 じき、すぐ・・も時間的に短時間のうちに、という意味ですが、単に時間が
短いということであって、たちまち のように、予期しない程早く短時間にという意味
合いの違いがあると思います。 さらに、似たような言葉を挙げてみますと、

「早晩」は、時間的に、それほど長くない「いつか」「そのうちに」の意味があります。
また「時期に早い遅いがあっても(近い将来には分かる)」という意味もあります。晩は、
この場合遅いという意味であり、それから言えば、遅かれ早かれ という言葉も良く使わ
れます。英語では、sooner or later ですね。

「いつか」「そのうち」は、はっきりとした期日は分かないが、それほど遠い将来では
ない、近い将来・・と言う時に使われ、上述の「早晩」のほか、
「近々」、「遠からず」、
「今日明日」なども使われますね。「おっつけ」などもあります。

 

 

 

 

 

コメント
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