蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ラグビー  (bon)

2019-08-18 | 日々雑感、散策、旅行

 もう1か月もすれば、日本中がラグビーの熱気で埋められているかもしれません。
9月20日に、初めて日本で、ラグビーワールドカップが行われるのです。第9回となる
『ラグビーワールドカップ2019日本大会』は、日本の12の競技場で、20の国と地域の
チームの熱い戦いが行われるのですね。 
 来週、29日には、日本代表メンバーが発表されるそうです。

      ウエブ・エリス・カップ(優勝トロフィー)
       (ウイキペディアより)

 

 競技会場は以下の通りで、開催地域では、すでにいろいろと盛り上がっていることで
しょう。

   ・札幌ドーム
   ・釜石鵜住居復興スタジアム
   ・熊谷ラグビー場
   ・東京スタジアム
   ・横浜国際総合競技場
   ・小笠山総合運動公園エコバスタジアム(静岡県)
   ・豊田スタジアム
   ・東大阪市花園ラグビー場
   ・神戸市御崎公園球戯場
   ・東平尾公園博多の森球戯場
   ・熊本県民総合運動公園陸上競技場
   ・大分スポーツ公園総合競技場


  日本チームは、第1回から参加していますが、これまで、全て予選リーグで敗退し、
前回の第8回(2015年)のイングランド大会では、3勝1敗の好成績でしたが、勝点の差
で惜しくも決勝トーナメントに進めなかったのです。 今回は、自国大会でもあり、
先の、パシフィック・ネーションズ2019では全勝で優勝しており、何としても決勝に
進みたいとの意気込みであるそうです。

 今回の予選プール組み合わせは次のようになっています。(ネットから)

     予選プール組み合わせ
      

 日本は、プールAで予選を戦いますが、これまで 3回優勝のニュージーランドは、プー
ルB、優勝2回の南アフリカも同じプールB、オーストラリアはプールD、優勝1回のイング
ランドはプールCで、各プールの上位2チームが決勝トーナメント進出ですから大いに期待
できそうです。

 日本での試合会場は全国12の競技場に別れて行われます。優勝まで全48試合が行われ
ますが、昨日の新聞に、競技期間中に台風や地震などの災害が発生した場合の試合の処置
など安全と全試合日程などを考慮した議論がなされたと報じていました。
 ちょうど、台風10号での交通機関不通による大きな混乱があったばかりですしね。今回
はアジアでの初めての開催なので、この時期、のような事前準備も重要なことですね。

 

 ラグビーW杯は、1987年にニュージーランド、オーストラリア共催で第1回が開催され、
4年ごとに開催され今回が第9回ということです。

 ラグビーの歴史は、12世紀頃にイギリスで民衆の間で行われていたフットボールにその
起源を求められるとありました。多数の人々が参加する大規模な民族競技として、祝日の
行事として実施されていたようです。

 19世紀ころには、各学校が「校庭のフットボール」として、それぞれ特色のあるフット
ボールを行っていたようで、その一つであるラグビー校において、1823年のこと、ウイリ
アム・ウエブ・エリス君が当時のフットボールのルールを無視し、「ボールを腕に抱えて
走り出し」、ラグビーゲームの独特の形をつくりだしたそうです。
 今も、ラグビー校校庭の碑石に、このことが刻まれているそうです。

 当時のフットボールは、キックを中心としたキッキングゲームと、ボールを持って走る
ことを認めるランニングゲームとに大別され、前者を支持するグループは1863年にフット
ボール・アソシエーション(イングランド・サッカー協会)を設立し、後者は、1871年に
ラグビー・フットボール・ユニオン(イングランド・ラグビー協会)が設立され、今日、
サッカーとラグビーは完全にそれぞれの道を歩むことになったのだそうです。
 ラグビーボールは、持ちやすくするために楕円型になっているのですね。

 

 ついでに、ラグビーには、15人制と7人制(セブンズ)の2つがあり、日本に15人制ラグ
ビーが伝わったのは1899年で、その後1930年にセブンズの大会が国内で初めて行われた
そうです。
 15人制ラグビーは4年に1度、ラグビー世界一を決める大会「ラグビーワールドカップ」
が男女とも行われ、セブンズも4年に1度「ラグビーワールドカップ・セブンズ」が行わ
れ、男女共にオリンピックの正式競技となっています。

 

 日本では、1899年(明治32)に慶応義塾大学の学生に対し初めてラグビーの指導が行
われ、1910年、京都の第三高等学校にラグビー部が誕生し、翌1911年慶応対三高の試合が
行われ、同年同志社大学にもラグビー部が誕生して、この3校による定期戦が日本ラグ
ビーの草分けとなったとありました。

 大正時代に入り、関東では早稲田大学、東京帝国大学、明治大学、東京商科大学、立教
大学、法政大学、東京高等師範、中央大学、北海道帝国大学など、関西では京都帝国大学、
大阪高等商業学校、大阪高等学校、関西大学、関西学院などが次々にラグビー部を設立。
中学(旧制)の部やクラブも次第に増え、1924年(大正13)関東ラグビー蹴球協会(現、
関東ラグビーフットボール協会)、1925年西部ラグビー蹴球協会(現、関西ラグビーフッ
トボール協会)、1926年に日本ラグビー蹴球協会(現、日本ラグビーフットボール協会
)が設立されたのだそうです。(コトバンクより)

 戦後、西部ラグビー蹴球協会から九州ラグビー蹴球協会(現、九州ラグビーフットボー
ル協会)が独立し、三地域協会体制が整い、今日の発展に繋がっているとありました。

 

 テレビ観戦ですが、大いに楽しみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

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