昨日(27日)、横浜本牧にある三溪園に紅葉をお目当てに行ってまいりました。
連日の冷たい雨は、この日、打って変わって 抜けるような晴天に恵まれました。
三溪園には、過去に同窓会の計画がありましたが、この時は都合で参加できませんでしたから、
初めて訪れました。 今回は、園芸友の会 屋外秋の特別例会でした。
三溪園とは、原三溪(富太郎)が造園し、明治39年(1906年)に一般に公開された庭園で、
そこには、京都、和歌山、神奈川などから移築建造された、重要文化財など17棟に及ぶ建物が、
敷地の起伏に合わせ 立派な庭園として構成されています。 実業家、茶人としても知られている、
三溪は、文化芸術にも造詣が深く、美術品などの収集も多く、この事業は後世にまで一つの歴史を
継承している意義深いものと伝わってきました。
三溪園 大池から三重塔を望む
富三郎(三溪)は、もともと岐阜の生まれで、上京し専門学校(早稲田大学)を卒業後 教師
(跡見女学校)を務めますが、横浜の豪商 原善三郎の孫娘と結婚し、原家に入り、製糸業、
絹貿易により財を築いたとあります。 本牧のこの地は、養祖父が購入していたところに、三溪が
各地から建造物等を移築し見ごとな庭園を造ったのですね。
過去に、財閥,富豪による文化財がたくさんありますが、ここに見られるような、さらに古い時代の
文化財などの建造物を購入し、この場に移築して構成しているというのは珍しいかもしれません。
単に、各地から集めた・・だけではなく、それらに目を付け、地形に合わせて配置するなど独自の
造形美を構築しています。 個人レベルで、このような偉業を成せるには、もちろん巨万の財が
裏付けられている必要がありますが、その人の価値観、美意識がなければできないことですから、
やはり大した人であるのですね。
園内の紅葉は、生憎これといったスポットには恵まれませんでしたが、ウイークデーというのに、
多くの人出で賑わっていました。 新郎新婦が、打掛、羽織はかま姿でプロカメラマンを従えて、
園内撮影をしていました。1時間ほどの間に7組も初々しい幸せ真っ最中のカップルに出会いました。
ボランティアガイドさんをお願いして、園内を詳しく説明していただきましたので、ひときわ感銘深く
観賞できたようでした。 鑑賞後、園内「待春軒」でお昼をして、ひととき談笑に花が咲きました。
食後は、任意に展望台「松風閣」などに足を延ばし、海岸を走る首都高速道路(湾岸線)、コンビナート等対照的な風景をそこに見、遥かには、煙突の間にくっきりと大きい富士山が
見渡せたのでした。
いくつか、印象に残ったところを・・
臨春閣(和歌山より1917年移築) 聴秋閣(京都二条城より1922年移築)
聴秋閣周りの紅葉 春草蘆(茶室)
三重塔(京都 燈明寺より1914年移築) 展望台より富士山を望む
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