蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

午(ご)にまつわるお話   (bon)

2013-05-06 | 日々雑感、散策、旅行
昨日、5月5日の記事で、端午の節句をあげた時、“午”についてもう少し調べてみたくなりました。

干支でいう“午”は、動物では“馬”を当てていますが、その昔、中国秦の時代には、
“午”は“鹿”で、“未”が“馬”を当てていたとありました。

 で、“午”について気になったのは、“正午”、“子午線”、“午前・午後”、“午餐”、“午睡”など、
時刻や方角などに関する言葉がたくさんあり、それがどのようなことでそのようになっているか・・?でした。


 やはりこれは、何と言っても干支のことですから、図のように干支を時計回りに描いてそれに
時刻をあてはめてみますと、

(ネットから)

十二支のそれぞれが2時間刻みであることから、“子”は、23~01時、“丑”は、2~4時・・という風に進んで、
“午”は、11~13時となりその中心が12時(昼の12時)で“正午”その前が、午前で後は午後・・当然ですね。
午餐、午睡は、午後のことなんですね。

 話は飛んで、am、pmは、ご存じのとおり、ギリシャ語で午前はante meridiemで、午後は post meridiemの
それぞれ略字です。


ついでに、“丑三つ時”というのがありました。 〽・・東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・〽 
徳川夢声でも出て来そうな語りですが、この“丑三つ”は、図から“丑”が1~3時で、その間(2時間=120分)を
4等分しますから、“三つ”は、30×3で、午前2時半頃を指しているのです。
だから、草木も眠る~。


 また、方位では、“鬼門”というのがありますが、これは、丑のような角を生やし寅のような皮の褌をしている
“鬼”と見立てて、“丑寅”の方向、つまり北東を指していますし、
粋なところで“辰巳芸者”という言葉が聞かれますが、これは、江戸城から見て深川あたりが“辰巳”の方角、つまり南東にあたるから。
ウイキペディアには、「辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。
この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。
幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけていた・・」 
「舞妓・芸妓が京の“華”なら、辰巳芸者は江戸の“いき”の象徴」とも・・。



“子午線”というのは、図から“子”と“午”を結ぶ線で、地球の北極と南極を結ぶ線を言っているのです。
赤道方向のことは“卯酉(ぼうゆう)線”となるが、あまり言いませんね。

イギリスのグリニッジ天文台(1675年設立で現在は史跡)を通過する子午線を経度0度として、
それを基準に、日本では明石を通過する“東経135度”が日本の標準時と定められていますね。

(グリニッジ天文台 ネットより)

おおむね180度の太平洋上が日付変更線とされています。
昔、この線を飛行機で通過した時、機内で“日付変更線通過記念”の色紙をいただいたことがありました。
のどかな時代でしたね。



干支の話に戻れば・・
 新しく復元された東京駅丸の内駅舎の北口、南口にあるドームの天井内側、円周に添って、
十二支のレリーフが飾られていますが、東西南北を示す四つの干支(卯、酉、午、子)は、外されています。
つまり、東京駅舎の8角形ドームには、この4つの干支以外のレリーフが飾られているのです。
残る4つはどうしたのか?
東京駅丸の内北口ドーム天井
      

実は、設計者である辰野金吾の出身地、佐賀県にある、国の重要文化財、武雄温泉楼門(佐賀県武雄市)に
施されている四つの干支のレリーフが、残る四つの干支(卯、酉、午、子)で飾られているのだそうです。
同じ建築家の作品で建築時期も近い(1914~5年)、双方を合わせると十二支が完成する・・
設計者の“遊び心”かも知れないといわれているのです。
 


 最後に、ウイキペディアに面白い話が出ていましたので、そのまま引用させていただきました・・・

「いつ頃生まれた話かは不明であるが、十二支の動物に関しての逸話がある。そのいきさつとしては次の2通りの逸話がある。
 •お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てた。
 •十二支の動物を指定日に挨拶に来た順番に決定する、というお釈迦様の招集により集まった。

そして次のような結果がもたらされたという話になっている。
 •牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だった。
 •鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたため。
 •鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、
猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。
 •猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。
顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。
 •13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、毎月の最初の日を
「ついたち」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源はこの逸話からではない。
また、13番目の動物はカエルやシカであったという逸話もある。」
















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