さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

六郷の渡し

2023年11月15日 | 関東甲信越


京急大師線の終着駅、小島新田に戻ってきました。駅前のキヨスク、よく見ると
セブンイレブンじゃないか。いやセブンイレブンと思ったら、実はキヨスク?


昭和な感じの飲食店がありました。まだ酒を飲む時間には早い。これから六郷の渡しに
向かうので、大師線に乗って戻ります。


京急川崎駅ひとつ手前の港町駅で下車。


うわー、マンモス団地だー。だからさっき、ここで電車の乗客がゾロゾロ降りたんだ。
これ一棟で、過疎化が進んでいる町の住民全部が入るって感じか? こういうところね、
主に30代40代の人たちがローン組んで買うでしょ?できたばっかりの時期には子供が
たくさんいて賑やかなんです。でもね、あと30年も経つと、一斉に年よりばっかりに
なるんだよーwww


さて多摩川のほうに向かうと、六郷の渡しがあったところには六郷橋がかかって
います。これを渡って向こう側に行くと京急本線の六郷土手駅になるわけです。


東海道を行く人々は、みんなここで船に乗るしかなかったわけですな。両側に
お休み処があって、さらに渡しの船賃で川崎宿はだいぶ潤ったそうです。


橋を渡れば歩いてすぐ。考えてみれば便利なもんだよ。


京急の六郷土手に到着です。


こちらにも旧東海道がありました。古びた旅館がいまでも並んでいます。


こういう宿、いまも稼働しているのかしら?宿泊客はあまりいない気がするけれど。。。
でも簡易宿泊所が多かった私の故郷に近い南千住(山谷地区と呼ばれていました)
では、地方からの出稼ぎや日雇い労働者らがいなくなって一時はすたれましたが、
その後はインバウンドが増えてガイコツ人向けの安価な宿屋にリニューアルされて
いたりしますけれど。


夕日が当たるとノスタルジックな雰囲気が増しますねェ。


さてこちらは東海道本線。今宵飲む酒場はそのガード下にある「しなのや」です。
開店まであと15分ほどありました。


なのでその先にある公園でひと休みして待機。誰もいなくて寂しいぞ。


戻ったら酒場は開いていた^^


A君はいつも鶏の唐揚げ、天ぷら盛り合わせ、メンチカツなど揚げ物をズラズラと
注文します。私は鯵のたたきを注文。見事に嗜好が違います。私が定期的に酒を
一緒に飲む友人らは、考えてみればみんな揚げ物や肉類を何品も食べる大食い揃い。
たまたまなんだろうが。酒は私が一番飲むし、へべれけになるのも一番です。

ちなみにこのA君、エビフライには醤油をかけます。「これが一番合うんですよ!」と
力説。そのうちにとんかつにも「醤油だ」というので、「それじゃあお好み焼きは?」
と聞いても「醤油が合いますね」ときたもんだ。「それってただソースが嫌いで
醤油が好きなだけなんじゃねーの?」と聞いたら「いや、合うんですよ!」とあくまで
料理との相性の問題にしたいようでした。ちなみにソースが合う料理を聞いたら
無言でした。。。

続けて俺が「刺身定食ってあるけど、あれはランチじゃいけません。刺身は日本酒と
でないと食べるもんじゃない」と主張すると、「それはカステラを食べるとき、
ミルクじゃないといけないってのと同じですね」という切り返し。カステラは紅茶や
コーヒーじゃいけないんだそうです。 それってどうよ。。。(´・ω・)?


京急大師線の終点は川崎貨物駅

2023年11月14日 | 関東甲信越


乗り鉄のA君とここで合流し、京急川崎から大師線に乗って終着の小島新田駅へ向かい
ます。たった6駅の支線です。意外と乗客は多い。しかし次の港町という駅でたくさん
降りてすぐに空きましたw 大師橋駅のところは高速道路と交差するのですが、それを
避けるためでしょう、線路はいきなり地下に潜りました。


地下のトンネルから出てきたらもう終点の小島新田。


おお? 線路と同じ方向のベンチは初めて見ましたぞ。するとA君が言うには、
最近この形が増えているとか。その理由は、線路と平行にベンチを置くと、酔っ払い
などがフラフラと立ち上がると線路に落ちることがあるそうで、それを防ぐために
この方向にしたとか。これで事故の件数も減ったそうです。


駅舎はなんか工事中でした。


すると空に轟音。羽田空港のすぐ横だもんだから、飛行機がすぐ近くだ。


地図で見ると、小島新田駅のすぐ南に川崎貨物駅。すごい線路の数だー。こんなに
必要なの?


橋に上がると貨物列車が見えたぞー。


スイッチバックしてこやつは左の線路に移動しています。


たしかに線路は何本あるのか、すごいぞ。


うわー、頭の上を飛行機が飛んでくぞー。


ガタゴト戻ってきたー。運転手が見える。


橋の反対側に。あっちは羽田空港です。燃料を運んでいるんだな。


飛行機は5分おきに飛んでいく。こりゃ下に住んでる人はたまらんなー。しかし
まだ民間機だからいい。埼玉の航空自衛隊入間基地と米軍横田基地にはさまれた
あたりは、ひっきりなしに軍機が飛来しています。爆撃機みたいのが編隊で飛んで
いくとすごい轟音で、ヒジョーにストレスですぞ。


ここらは工場が多いので、こんな立ち飲み屋がありました。


おお、造船所もある。ちらりと船も見られました。しかしこの先の大きな工場群の
ほうには関係者以外入れない感じになっていました。まあそうだろうねェ。しかたなく
戻ることにw


東海道かわさき宿交流館

2023年11月13日 | 関東甲信越


川崎にやってきました。友人のA君とここから六郷土手まで散歩しようということに
なったのです。合流する前に、まずはひとりで街歩き。


なかなか賑やかです。考えてみれば地方都市を歩くことが多いから、人の多い商店街を
歩くとおお!となるわけだな。


ここが東海道。この間は品川宿を歩きましたねェ。


「東海道かわさき宿交流館」というのがあるので入ってみた。なかなか立派な建物だ。


東海道五十三次の宿場を盆栽に見立てて描いた浮世絵。六郷の渡しと川崎大師への
道標が川崎宿の特徴として描かれています。


ちょっと地図で説明。品川から東海道を進むと、多摩川にぶつかります。ここの橋は
たびたび増水で壊れたので、もう再建するのはあきらめて船の渡しにしたそうです。
川崎は江戸から近すぎてほとんど通過されてしまいます。しかしこの船の渡しで旅人は
一旦足止めを食うから、それで川崎が潤うようになったそうです。

このあとで乗り鉄の友人と合流し、京急のローカル支線である大師線に乗って、終点の
小島新田まで行く予定です。羽田空港のすぐ近く。埋立地には工場群があり、また
貨物線のターミナルもあるはずだ。


六郷の渡しでは人だけではなく荷物や馬まで運んでいました。


こちらは広重の作品。さすがにきれいだなあ。


東海道を旅した人たちの道具も展示されていました。右はもちろん小田原提灯。
左は携帯用の枕です。折り畳みだったんですねェ。


さてこれは何だかわかりますか?もちろん旅人の道具です。答えは最後に♪


上の蜘蛛の巣のような電線から電気を引いていたのですね。客のジイサンが自慢気に
「このトロリーバスはなあ、東京の●×にも走っていたんだぞ!」と係員に話して
いました。あのねー、一時期は東京のあちこちに網の目のように走ってたの!


おお、あとでこの大師線に乗りますぞ。


川崎宿の再現ジオラマ。


煙草屋さんにはわかりやすいようにこんな看板が掛けられていたそうです。


*さて問題の答えは。。。「ロウソク立て」でした(^益^)b


松本・長野の旅最後の晩

2023年11月12日 | 関東甲信越


松本城です。ガイコツ人がすごく多かったぞw


いつも行く「しづか」で、まずは信州サーモン♪


地酒には馬刺しが最高(^益^)b


続けていつもの「サイドカー」に。シャインマスカットのカクテルは、もうブドウが
終わりの時期なので「最後の一杯」でした。なんとラッキー!


ここに来たら「イチローズモルト」です。ここのオーナーの一押し!またもや
ワインカスクでいきました(=゜益゜):;*.’:;


伊那のバー「Ichinana」の話になり、「コーヒーカスク」の話をしたら、何やら
ブラインドで2杯のテイスティングをさせられました。

最初に飲んだのはコーヒーの味がしてウィスキーではない。もうひとつはコーヒーの
味も香らないウィスキー。ボトルを見せてくれると、最初のはアイリッシュウィスキー
のジェイムソンが出しているコーヒーとウィスキーを混ぜたリキュール。次に飲んだ
のは昨夜に伊那で飲んだ越百のコーヒーカスクでした。コーヒーがらみのお楽しみ
試飲でした^^


さて次は少し北のスモーキーなやつを勧めてもらったら、キルホーマンというアイラ島の
ウィスキー。これがただ煙臭いだけではなく、豊かに奥行きのある逸品。さすがここの
マスターが勧めるだけあるぜー(`・ω・´)

この夜はたまたま空いていて、マスターのウィスキーの話をゆっくりと聞けました♪
落ち着いていて話題が豊か、細やかな気配りをしてくれてとってもダンディー。
このバーは最高の店ですぞ。


ついに今回の旅も終わりましたー。


帰りは高速バスを使いました。例の岡谷の高架を通過するw 左に諏訪湖。


ホレ、あの高架を通過しているんですよ。「あんなもん作りやがって」と
思っていましたが、その恩恵に与ってしまいました。。。_| ̄|〇


途中で大渋滞。これがあるから車はヤなんだ。事故を起こした車が止まっていました。


おかげですっかり遅くなり、空には月が。。。


川島芳子やら工女宿やら

2023年11月11日 | 東北シリーズ


突然「シベリア抑留展示コーナー」がありました。


当時の服。着てたのはどんな人だったのかな。。。


もちろん生きて戻ってこられた人が持ち帰ったのでしょうw


「男装の麗人」川島芳子のコーナーもありました。清朝の王女様です。なぜここに
展示されているのか、、、話は長くなりますが。。。

松本藩士の川島良顕の長男・川島浪速(生まれたときに、父親が長州征討のために
大阪に出陣中だったからそんな名前になったそうです。いかがなものかとw)は、
明治時代になってありがちですが、東京外国語学校に入学して中国語を学びました。
エリートですから、日清戦争になると陸軍通訳官として従軍。義和団の乱でも派遣軍に
加わり、まあボロボロになった中国の支配階級となって、北京警務学堂の学長になります。
そこで清朝の皇族と近づきになり、辛亥革命で清朝が滅亡すると、粛親王を北京から
旅順に脱出させたりするのです。それで粛親王と義兄弟の契りを交わし、その王女を
養女としてもらい受け、この写真の川島芳子と名付けるのでした。

芳子さんは最初東京に住んでいましたが、一家は松本の浅間温泉に移住したので、
彼女は松本高等女学校に通学します。自宅からは馬に乗って通学したり、陸軍の少尉と
恋仲になったりしたんだって^^;

しかし17歳の時にピストル自殺未遂。そのあと「女を捨てる」と宣言して断髪、男装を
するようになりました。それが新聞に載って話題になり、「男装の麗人」と呼ばれる
ようになってアイドルのようにファンが増えたとか。


女を捨てる宣言から2年後、蒙古族将軍の次男と結婚するが3年ほどで離婚。上海に
渡って駐在武官の田中少佐と交際。そいつの諜報活動に関わることになったとか。
つまりスパイになったそうなのです。しかしそれのかなりの部分が謎のまま。

芳子さんは「東洋のマタ・ハリ」とか「満州のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれて
マスコミの寵児となり、ラジオ番組に出演してレコードも出したのです。しかし
関東軍の満州国での悪事や日本の対中政策を批判したりして(まっとうだったのですね)
軍部に監視されたりしました。

天津が日本軍に占領されると、当地で料亭の女将をしたとか。李香蘭とも仲がよかった
そうです。(李香蘭って、10年ほど前まで生きてたんですね!)

戦後、芳子さんは「国賊」「売国奴」として中国国民党軍に逮捕されて銃殺になり
ました。実に波乱に満ちた人生を送ったのですね。


注目を浴びたにもかかわらず謎も多い生涯でしたから、さまざまなメディアで
取り上げられ、ドラマや映画になったり本になったり。。。


さて最後に「工女宿 宝来屋」の建物です。江戸時代後期、野麦街道に建てられた
宿屋です。その街道は飛騨高山と松本を結んでいるので、諏訪や岡谷の製糸工場に
向かう工女たちが宿泊したのです。


なかなか大きな屋敷ですが、多い時には100人の工女が泊ったそうです。そんなときは
すんごくうるさかったとか。大教室の女子学生って感じか、いや修学旅行の女子高生
ってところでしょうね。


みんな一泊して翌日の朝4時には出発したそうです。そうすると握り飯を持たせ
なくてはならないので、宿屋の人はその準備に寝る暇もなかったとか。


さすがに風呂なんかは入らなかっただろうな。するとすんごい女臭かったと思われw


屋根裏部屋。ざっと見て回って、ここで100人ゆったらぎゅう詰めでしょうーw


この映画、むかし見て泣けましたねえ。。。 大竹しのぶ、似てないなwww


う、立派な部屋もありました。他ではぎゅう詰め、ここには偉い人がゆったり
だったのでしょう。。。


牛小屋もありましたw


ボンビーとはいえ、まだうら若い娘を働きに出すのは親も子も辛かったろう。。。