さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

下田から神津島への船は出る

2023年11月20日 | 関東甲信越


朝9:30出航の船に乗るために、ホテルを出て波止場へ向かっています。


途中ペリーの像がありました。


昨日見た日本人が描いた肖像画はすごかったけどなあ^^; これはイイ男。


そう、ここ下田は日本初の開港地なのです。江戸幕府は陸路では江戸まで4日ほども
かかる少し遠いところを指定したのです。


下田は昔から風待ちの港でした。


これが乗るフェリー。月水金は下田から神津島→式根島→新島→利島と回って下田に
帰ってきます。火木金は逆のコース。なので神津島に直行する月曜を選びました。


乗客はひとり者とカップル、全部で4組しかいませんでした。2等席のエリアは
4つに分かれていたので、自然とそれぞれ分かれていきました。つまり俺はこの
エリアにひとり。出航までさっそく横になる。大間から函館に行くときもみんな
さっさと寝たからなあ^^


出航の時間になったので、デッキに出てみました。やはり排気ガスの臭いがするぞw
横には海上保安庁の船がありました。


さあて出航です。遊覧船の黒船が見えた。外輪は装飾だけ^^;


切符売り場の職員さんたちがお見送りに出てきましたよ。


水上オートバイが団体で走って行きました。


さあ船が離れていくぞ。職員さんたちが手を振っています。


アップにすると見えますね^^ みなさん並んでずっと手を振ってくれました。


すぐに昨夜泊った黒船ホテルが見えました。真ん中のピンクの建物です。


朝、窓から湾を写しました。ちょうどフェリーは建物に隠れていますが、あの
海上保安庁の船の隣にあったんです。それが出て行ったわけだ。


下田の夜

2023年11月19日 | 関東甲信越


ホテルに入って温泉に入らねば。その名も「黒船ホテル」。


なまこ壁を見ながら歩いて行く。宿は徒歩圏内で酒場にも近くないとねw


昭和な温泉ホテルでした。ロビーは広いしレトロなゲームコーナーもあるし、
ノスタルジックな風情があって、スタッフも感じいいし是非頑張ってほしい。
こういう宿がどんどんなくなってチェーン店が増えているからなあ。


全室オーシャンヴューでした。大浴場にはガイコツ人親子が入ってきたぞ。


夜の酒は「後宴酒場」というところにしました。魚が旨そうだ。俺の好きな「なめろう」
が、鯵と金目の2種類。迷った末に王道の鯵を選ぶ。青唐辛子入り。静岡ではよく
なめろうに入れてピリ辛にするんですよね。これが大好き(^益^)b


変な当て字の「黒船マシュー」という酒を飲んでみる。まあ旨かったけれど、この
名前じゃ県外には出ないんじゃ?


「天使のエビ」という名前。うしろの小上りが、10人くらいの若者たちで大騒ぎ。
酒場なんですから、それもいい。こっちはオッサンひとりでカウンターw
横に美女でも来ないかな


次も下田の地酒を飲む。静岡の酒はさっぱりしていて悪くないねえ。


こっちに来たら金目を食べないとなあ。さらにシマアジとのコンビネーション♪
なんと贅沢な (´っ・ω・)っ


さてさて酒場を出ると、隣はオサレなジェラート屋。店名はAmore💗ときたもんだ。
酒のあとだから食べていくことにした^^ 値段もそこそこ立派だがクォリティは
とても高い。秋だから栗とさつまいもをチョイス。

先ほど後ろの小上りで賑やかだった10人ほどのグループもやってきた。ほぼ一緒に
食べだしたが、そのうち帰って行った。俺がひとりでベンチに残ると、店主は「あれ?
別だったんですかー」と笑って隣に座り、話が始まった。オーナーさんはこちらの
古民家を買っての移住組だそうです。経営は大変でしょうが、頑張って根付いて
いければいいでしょうねェ。まわりの地元の人たちと仲良くできるかが大事だと思います。


了仙寺とペリーロード

2023年11月18日 | 関東甲信越


了仙寺では、ペリーと幕府の交渉が行われました。開国に気の進まない幕府の
ダラダラ引き延ばしにペリーはいらいらしたそうです。


そこにはMoBS 黒船ミュージアムがあります。入ってみましょう。


お、ここにも唐人お吉の遺品が。


おやまあ、ミレーの「オフィーリア」みたいだ。


いろいろ残っているものですね。


ペリーの本の初版本がありました。こりゃあ希少本だあ。右の写真は、ここ了仙寺
です。


当時の世界地図を生き物に見立てた絵。タコのロシアがウクライナに足を延ばして
いますねェ。。。 このあと、小さい島国の日本が東アジア全体に足を延ばすわけ
ですがw

1階ではビデオ放映がありました。印象的だったのは、日本は米国の圧倒的武力の
前に無理矢理開国させられたというイメージだったのが、実はわりと日本の要求通りの
条約を結ぶことができたということでした。当時米国はたくさん捕鯨船が来ていたから、
水や燃料の補給をさせてほしいということ、もし難破など困ったときは助けてほしいと
いうこと、さらに通商貿易をさせてくれないか、という要求だったのですが、日本は
それならわかった、開港は下田と函館などに限定と、一応それを飲ませたのです。

まあそのあとに本格的な開国を迫られていくことになるのですが。。。


さて風情あるペリーロード。ペリーは黒船に滞在していたそうですが、交渉のために
了仙寺に行くときに通った道だからそう名付けられたとか。


ここを何度も往復したわけです。


なまこ壁。






正面がカフヱでした。窓からお客が見えて、その客がちょうど出て行くときに前を
通りました。すると店員のおばちゃんが俺に「いまなら貸し切りですよ!」と
声をかけてきました。しかしまもなくホテルのチェックインタイム。温泉宿なので
早速風呂に入りたいから折角のお誘いですがスルーしましたー。






正面のなまこ壁は旧澤村邸。無料で中を見物できるとか。ううむ、それより早く
風呂に入りたい、が勝ったのでした(^益^)w


下田開国博物館

2023年11月17日 | 関東甲信越


いわゆる「黒船」の模型がありました。当時の日本船にはペンキやタールを塗る
技術がありませんでしたので、木の色でない黒いやつが来たのが印象的だったので
しょう。さらに蒸気船で大きな外輪が回っているのにも驚いたでしょうねェ。
あ、それと江戸時代ずっと、幕府は帆をひとつしか認めていなかったので、たくさんの
帆にもびっくりしたのでは。


ペリー上陸の図です。よく見ると大砲を運んでいます。試射して国力、技術の大きな
差を見せつけたのでは。


なにせ日本は長らく鎖国していた未知の国でしたから、ペリーは日本に関する詳細な
記録を残しました。その本は西欧中で読まれたそうです。世界中の人々の好奇心を
くすぐったのでしょう。その貴重な本がここで見られますよ^^


なかでも有名なのがこのページ。男女混浴の図です。「恥を知らない」「野蛮」という
わけです。たしか明治期に来たイザベラ・バードが、「日本の女性は足首が少し見えた
だけで恥じらうのに、平気で人前で授乳をする」と驚いていました。私は東洋人として、
西洋人女性は素肌が露出過度だったり、下着が見えても平気なのかィと思ったりします。
つまり文化の違いによって恥の概念がそれぞれ違うってことですよね。


日本には遠洋航海の習慣がほとんどなかったから、望遠鏡(レンズ)は発達しなかった
のでしょうね。


米国人に提供された舟形の弁当箱。シャレオツじゃん(^益^)w


こちら江戸幕府勘定奉行の川路さん。ロシアのプチャーチンとの交渉役で、左の
グラスを贈り物として受け取ったりしました。しかし江戸幕府が崩壊すると同時に
割腹&ピストル自殺の最後だったとか。それってどうよ。。。


そのロシア、ペテルブルグからやてきた帆船ディアナ号。これは安政の大津波で
大破。修理のために移動させているときに富士市付近で沈没。近隣の漁師たちが
荒海に飛び込んで命がけでロシア将兵全員を助けて艦の備品も陸揚げしたとか。
あっぱれ!


ロシアからもらった品々も展示されていました。


プチャーチンの使っていたカバン。よく集めてここに並べましたよねー。


そのディアナ号のロシア人たちが帰るとき、密航でロシアに渡ったやつがいた。
吉田松陰がペリーの船に乗るのに失敗した翌年のことでした。その名は増田粂蔵、
掛川の藩士でした。

ロシアに渡ってからはロシア正教に改宗、橘耕斎と名乗り、ロシア外務省の参事官と
なって日露辞典を作り、大学で日本語も教えたとか。そんなやついたんだなー。
生まれ故郷をすべて捨てて、冒険心?好奇心?


下田とくれば「唐人お吉」だ。米国駐日領事のハリスは体調を崩したとき、下田奉行所に
看護人の斡旋を願い出た。奉行所のほうは「妾」がほしいのだと思い込んで芸妓のお吉を
派遣した。すぐにクビになったのでたった3日の勤務でしたが、外人の酌婦をしたという
ことでお吉は蔑まれ、失意のうちに入水したのであった。。。というのが有名な物語で、
どこまでが史実なのかは定かではない。

写真も数枚残されていますが、どれが本物なのかも定かではありません。一番右の写真、
美人だよねえ! まだ十代で外人の相手をさせられて可哀想、と思いますが、ピューリ
タンはふつう公に妾(娼婦)を要求したりしませんよ。病気の年寄りだったし、おそらく
は本当の看護人を希望していたのでしょう。一方で日本人ときたら、つい最近まで
お偉いさんは妾を持つのが当たり前だったですからねえ。

高給をもらって覚悟の上で行ったお吉、3日で帰されたのは幸いだったかもしれませんが、
そのあとのいじめ・差別を受けての人生はお気の毒でした。。。


お吉の持ち物も並んでいましたよ。


ペリー提督の写真。少しナポレオンに似ているような?


日本人画家が描いた肖像画。下のふたつはひどすぎないか? w(^益^)w


どれも天狗みたいに鼻がデカいと印象を受けたんだな。ちとひどいーw

*この博物館の土産物売り場には酒も置いてあり、だいたいは地酒だったのですが
なぜか「イチローズモルトあります!」という貼り紙が。「おひとり様一本限定」で、
たまに見かけるホワイトラベルだけでなくクラシカルエディションもあるではないか。
ちと考えました。。。しかし明日に神津島に渡るという旅が始まった日だぞ。。。
帰りなら迷わず買ったけれど、やめておきました_| ̄|〇


神津島への旅:まずは下田へ

2023年11月16日 | 関東甲信越


熱海から伊豆急行に乗り換えて下田に向かうところです。今回はついに離島滞在、
神津島に行くのです。それがなぜ熱海かというと。。。


東京の竹芝桟橋から神津島に行くには、大型客船で12時間の船旅。夜の10時に出航
して翌朝10時に到着。俺は当然2等客室なので、床に雑魚寝状態。それは疲れそうw

高速ジェット船という手もある。それなら朝の8時に出てお昼には到着する。
しかしあれは佐渡に行ったときに乗ったが、カンヅメのように座席に座っていな
ければならない。それを4時間。長いし運賃も高ーいw

というわけで、下田からフェリーに乗ることにしたのでした。それなら安いし
時間は2時間半。船内を歩いたり、デッキに出て風に吹かれて外の景色も見られるぞ。

船は朝の9時半に出航なので、下田の温泉に1泊しよう♪ 夜は地魚と酒だ♪
なので小田急線の快速急行(ロマンスカーは料金追加だから)に乗って小田原に行き、
そこから特急サフィール号はやたらに高いので各駅停車で熱海、そして下田まで行く
のである。余計な料金を払うよりゆっくり行って、その金で酒を飲もうよ(^益^)b
車窓の景色を楽しむ、本を読む、飽きたら寝ればいい。それがどれも楽しみだよ♪


熱海からは初島が見えるよ。


おっサンハトヤ。右側にはハトヤが見えるのだが、伊豆急に乗るときは海の景色を
楽しめる左側に乗らなければいけません~^^


特急が抜かしていくよ。先頭車両は展望車になっていて、後ろの席も前の景色がよく
見えるように段差をつけてますね。空いてるから指定すれば前の展望車に乗れたかな。
でも特急料金高いぞw きれいな女性と二人なら乗ったな♪一生乗らんてか


伊豆半島の南に来ると、伊豆諸島が見えるらしい。


曇ってて全然見えないがw でも島に行くんだもんね^^


伊豆急下田駅に到着。半島の南端、ターミナルですから線路はここまで。


さすがに南国風です。


日曜なのであちこち閉まっているから、うどん屋さんに入ったらすぐに満席になり
ました。これから連日飲みまくる予定なので、ここは酒を我慢するw 隣に座った
中年夫婦がビールを注文し、すぐに追加注文してやがる。ううう。。。


下田開国博物館に行ってみました。伊豆半島によく見られるなまこ壁の建物。


吉田松陰が使ったという机。本物が置いてあるとは少し感激。そういえば去年、萩に
行ったときに明倫館に行ったりして松陰関係のものをたくさん見たなあ。彼はペリーの
船に押しかけて乗せてもらって密出国しようとしたけれど断られて、そのあと捕まったの
でしたねえ。


松陰は下田の温泉に浸かって機を狙っていたそうです。


ペリーの船の航路です。そぉか、アメリカから来るなら太平洋を渡ってきたと思いがち
ですが、東海岸から来たので当時はアフリカの喜望峰まわりでインド洋を経て中国から
来たわけだな。大航海時代から中継地が整備されてきたわけだもんね。