了仙寺では、ペリーと幕府の交渉が行われました。開国に気の進まない幕府の
ダラダラ引き延ばしにペリーはいらいらしたそうです。
そこにはMoBS 黒船ミュージアムがあります。入ってみましょう。
お、ここにも唐人お吉の遺品が。
おやまあ、ミレーの「オフィーリア」みたいだ。
いろいろ残っているものですね。
ペリーの本の初版本がありました。こりゃあ希少本だあ。右の写真は、ここ了仙寺
です。
当時の世界地図を生き物に見立てた絵。タコのロシアがウクライナに足を延ばして
いますねェ。。。 このあと、小さい島国の日本が東アジア全体に足を延ばすわけ
ですがw
1階ではビデオ放映がありました。印象的だったのは、日本は米国の圧倒的武力の
前に無理矢理開国させられたというイメージだったのが、実はわりと日本の要求通りの
条約を結ぶことができたということでした。当時米国はたくさん捕鯨船が来ていたから、
水や燃料の補給をさせてほしいということ、もし難破など困ったときは助けてほしいと
いうこと、さらに通商貿易をさせてくれないか、という要求だったのですが、日本は
それならわかった、開港は下田と函館などに限定と、一応それを飲ませたのです。
まあそのあとに本格的な開国を迫られていくことになるのですが。。。
さて風情あるペリーロード。ペリーは黒船に滞在していたそうですが、交渉のために
了仙寺に行くときに通った道だからそう名付けられたとか。
ここを何度も往復したわけです。
なまこ壁。
正面がカフヱでした。窓からお客が見えて、その客がちょうど出て行くときに前を
通りました。すると店員のおばちゃんが俺に「いまなら貸し切りですよ!」と
声をかけてきました。しかしまもなくホテルのチェックインタイム。温泉宿なので
早速風呂に入りたいから折角のお誘いですがスルーしましたー。
正面のなまこ壁は旧澤村邸。無料で中を見物できるとか。ううむ、それより早く
風呂に入りたい、が勝ったのでした(^益^)w