東京都町田市高ヶ坂に縄文式時代中期の敷石住居跡「高ヶ坂石器時代遺跡」はある。鶴見川上流の恩田川沿いの低段丘上にあり「牢場」・「稲荷山」・「八幡平」の3遺跡からなる。高ヶ坂石器時代遺跡の調査以降、「敷石住居跡」といい、その「第1号遺跡」として大正15年(1926)に国史跡に指定された。覆屋が造られた牢場遺跡のみ唯一保存公開されている。都内では最初に「敷石住居跡」には住居跡は扁平な円形プランで、長径は西南5m、短径が3.5mある。他の「稲荷山遺跡」は南西部が道路で切られており、断面に土器片や礫が見られたが複雑で不整形な配石遺跡が確認されただけで遺構の状況は定かでない。また「八幡平遺跡」では直径3.45mの円形プランの敷石住居跡が発掘されている。いにしえの縄文人の生活跡だけに感慨深いものがある。(1703)








