港区北青山に黄檗宗寺院「青山海蔵寺」はある。井伊候夫人が海蔵庵として寛文11年(1671)本所牛島に創建、隠元禅師の法孫鐡眼道光禅師が開山した。延宝8年(1680)当地へ移転、正徳3年(1714)公許を得て一宇とした。本尊は釈迦牟尼佛像。東京メトロ銀座線「外苑前駅」より青山通りを西へ南青山三交差点からおしゃれな青山キラー通り100mほどの右側にまるで竜宮城のような朱塗りの真っ赤な「山門」が構えられている。山門の内部には庚申塔が祀られている。境内へ入るとビルの3階に「本堂」がありかすかに扁額が見える。境内には芭蕉の句碑「身を捨に登る虫あり高燈籠」がある。(1908)
暑さもピークを過ぎたかのように朝夕は幾分涼しくなってきたように思える。相変わらずミーンミーンとセミの声が聞こえる。近くの神社を訪れると一匹の「アブラゼミ」が飛んできて幸運にも目の前の木に止まってくれた。アブラゼミは褐色の不透明な翅をもつ大型のセミで名前の由来は翅が油紙を連想させるためとか、鳴き声が油を熱したときに撥ねる音に似ているためアブラゼミ(油蝉)と名付けられた説がある。体長は 5~6㎝ で、クマゼミより少し小さくミンミンゼミと同じくらいだろうか。アブラゼミの翅は前後とも不透明の褐色をしていて、世界でも珍しい翅全体が不透明のセミである。この翅は羽化の際は不透明の白色をしている。一週間前「クマゼミの羽化」の立ち会えその瞬間を撮らえたが、今年二回目の一撮一会である。セミの一生は複雑で幼虫は3年も土の中で成虫になるまで過ごし長い地下生活を経て羽化のタイミングで再度木に登り、ようやく羽の生えた成虫となる。セミは一週間から一ヶ月という短い儚い命、来月いっぱいセミの合唱を楽しみたい。(1908)
一週間前に撮影のアブラゼミの羽化の瞬間
文京区小石川に浄土宗寺院の「澤蔵司稲荷」(慈眼院)はある。創建年代は不詳。元和6年(1620)に伝通院中興・開山廓山上人が沢蔵司稲荷の別当を慈眼院としたことからその頃にはすでに創建されていた。本尊は阿弥陀如来像。澤蔵司という若い僧は浄土教修学で小石川伝通院に入門し3年で浄土宗の奥義を極めた。善光寺がある善光寺坂を伝通院方向へ進むと「稲荷大明神」のお告げにより建立されたという小さな社がある。澤蔵司の幟建つ参道、石段を上ると修行僧、狐の化身「澤蔵司」が祀られている。武蔵野の台地が小石川台となって神田方面に下る傾斜地。そこが小石川。山手と下町が坂をはさみ混在する街。夏目漱石、石川啄木、菊池寛などの文人がそぞろ歩いた町、徳川家ゆかりの伝通院を中心に神社仏閣が溶け込んでいる。境内には芭蕉「一しぐれ 礫や降りて 小石川」は詠んでいる。(1908)