暑さもピークを迎え蒸し暑さを通り越してまるでサウナ状態。そんな夏の暑さを更に助長するのが「セミ」の泣き声である。お馴染みの「ミーンミーン」と複数匹による大合唱が始まるとうるさいくらいである。セミにはヒグラシ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ニイニイゼミと多くの種類がいるが、短命といわれ、よく道端でひっくり返って儚い一生を終えたセミの姿を見かける。セミは夏の成虫期に木の幹に卵を産み、その卵が孵化するのは翌年の梅雨時。孵化すした幼虫は3年も土の中で成虫になるまで過ごすという。長い長い地下生活を経て羽化のタイミングで再度木に登り、ようやく羽の生えた成虫となる。「羽化」は外敵、天敵のいない夕方、その瞬間に立ち会うことができた。まだ羽は透明で、瞳、足がかすかに動いていた。「ご苦労様」と言ってあげたい。自然界の法則の中、昆虫の生への営みの一こまを見ることができた。(1908)
多摩市落合=多摩中央公園内の南端の一角に多摩市の文化財に指定されている「旧富澤家住宅」はある。冨澤家の先祖政本は今川家の家臣で桶狭間の戦いで亡ぼされ逃れてこの地に土着し、以来代々連光寺村の名主を世襲した時(18世紀後半)に建築された住宅(建物)である。冨澤家には明治天皇などがこの地に兎狩りなどに行幸、行啓した際には「御小休所」として利用された由緒ある家である。薬医問形式の「表門」より敷地内に入ると全体が芝生が敷き詰められ庭となっており右手に「道場」、「小休所碑」、左には大きな池が配されて美しい外庭となている。敷地の中央に入り母屋造りの「主屋」、その裏には「井戸」、「土蔵」、「裏門(木戸)」がある。メインの「主屋」の建築年代は18世紀中頃から後半と推定される。間取り構成は、まず「式台付玄関」、「客座敷」があり、「広間」、「中の間」、「奥の間」、「納戸」、「茶の間」、「お勝手」、「土間」となっている。今でいうと「4LDK」の大きさ広さで嘗ての「上層民家」特有の整った造りのとなっている。(1908)