相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

足柄三十三観音霊場の「湘王山誓願寺」

2022-05-09 17:57:24 | 寺院
小田原市浜町に京知恩院末浄土宗寺院「湘王山誓願寺」は鎮座している。鎌倉光明寺の学徒攝果(永禄12年=1569寂)が攝取院誓誉妙香尼及随逐の尼妙祐から運慶作「阿弥陀如来」を譲り受け本尊として創建した。500年近い寺歴を有する。永禄6年(1563)殿堂落成。大正12年(1923)の関東大震災により「三乗寺」と「誓願寺」が合併し「湘王山三乗院誓願寺」と改称した。先に訪拝した安国寺より道一本隣に構えられた「山門」より入山すると境内正面に鉄筋コンクリート造りの2階建ての「観音堂」、閻魔堂、薬師堂、鐘楼などの堂宇が建ち並んでいる。また墓域墓地には慶応4年(1868)6月に自刃した小田原藩家老岩瀬大江進(勇乗院秋月円明居士=牛久保六騎の一人でのち幕臣となった三河岩瀬氏と同族で、慶応戊辰小田原戦役に人見勝太郎が旧幕府軍の脱兵を集めて編成した遊撃隊に佐幕論者)の墓と謙斎中垣秀實撰文による岩瀬大江進の碑がある。当寺は「足柄三十三観音霊場19番札所」である。足柄33観音霊場は、旧足柄郡域にある浄土宗寺院34ヶ寺により構成される観音霊場で大正時代に西念寺北邨謙成住職と無量寺小島ヒサ女が推進役となり33ヶ寺で開創、平成12年に「本還寺」を含め34ヶ寺となった。(2205)
 
 
 
 
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「モナの丘」では「カモミール」が白い花姿を披露中!!

2022-05-09 14:02:02 | 建造物
相模原市下溝にハーブとバラの芳香に包まれた農園=農業生産法人グリンピア相模原が運営する農業体験施設「モナの丘」はある。2007年にオープンした「モナの丘」は広さ3.5haの広大な敷地内に「バラ園」「ハーブ園」、「ラベンダー園」が造られた花園のようである。その他に「バイオマス実験プラント」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュウ広場」等が配置されている。当園は「さがみはらオープンガーデン」の一つとなっており、ハーブ園には紫色の穂をつけ香るラベンダー、レストラン前のローズガーデンでは一輪咲バラ、つるバラをメインに30種類のバラが数種咲き始めバラ園を彩る。また今、小菊の様な白く愛らしい「カモミール」の花が見ごろを迎えようとしている。「カモマイル」、「カモミーユ」とも呼ばれるキク科の1種の耐寒性一年草である。和名は「カミツレ」(加密列)である。ヨーロッパでは「ハーブ」として使用され、ロシアで「国花」として用いられる。(2205)
 
 
 
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田中稲荷と称していた「大稲荷神社」

2022-05-09 07:51:09 | 神社
小田原市城山に正一位大稲荷大明神として「ダイナリサン」の愛称で親しまれている「大稲荷神社」は鎮座している。小田原城北条時代の天正18年(1590)に創建された由緒正しき神社でかつては「田中稲荷」と称していた。宝永3年(1706)小田原城主大久保加賀 守忠増によって現在地谷津山に勧請され、谷津村、竹の花町、須藤町、大工町の鎮守として「大稲荷神社」と称した。小田原城北条時代に修験者が旧竹ノ花地区内に建立した修験堂、武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身、当地を釆地として賜り「修験堂」に稲荷大明神を祀ったことが興りである。御祭神は商売繁盛と方位除けの「田中大神」と「宇迦之御魂大神」である。平成18年、江戸時代の宝永3年(1706)に鬼門除の稲荷として再興してから300年を迎え「三百年祭」が執り行われた。 「福泉寺」の手前に大きい「赤い鳥居」が構えられている。境内参道右に「社務所」、左に「神輿庫」がある。直進すると左側に「大稲荷神社」、右に「愛宕神社」、その間に「錦織神社」(テニスの錦織選手も訪拝)、官位稲荷、田中稲荷がある。両社の本殿の彫刻は素晴らしく、特に「愛宕神社」の花鳥彫刻、獅子頭・波と鯉、巻物を手に馬に乗る人、龍に跨る人と施されている精緻な彫刻は「左甚五郎」作である。(2205)
 
 
 
 
 
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