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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

栄町の鎮守「笠守稲荷神社」

2022-05-11 16:59:13 | 神社
小田原市栄町に笠になって巴御前を救った白狐の逸話が伝わる「笠守稲荷神社」は鎮座している。創建年代は不明だが、女武将として伝えられている「巴御前」(平安時代末期の信濃国の女性)を救った白狐を祀ったとされる祠が起源と云われている。境内の掲示縁起「当笠守稲荷神社は元小田原寺町に天正8年(1590)創立の花葉山一乗院龍雲寺に安置されていた。伝では木曾義仲の夫人巴御前がこの街道を通り掛った時計らずも悪者に襲われ一命に関する折、一匹の「白狐」現われ身を菅笠に変じて危難を救い無事過ぎ行く事が出来たる由、その縁をもって人々同地に祠を造り「笠守稲荷」として崇め多くの人々から敬信され年月を経て来た後、龍雲寺が誓願寺に合併され廃寺となったが、明治16年に足柄上郡沼田「西念寺」の松蔭宣龍上人の発願で現在の地に新寺建立、寺名を改めて華葉山龍雲院善光寺と称してその折、祠を寺門に移し鎮守として護って来た。その後、新道も開けて商店街も発展し、偶々有志の人々と協議し町内の鎮守として永く祀るため現在地に移し、篤信者の援護により「堂宇」完成、人々の参詣後を絶たず当時近くに遊郭新開地有り婦人等の敬信殊に厚くいつしか「笠守」が変じて「瘡守」と呼ばれる様になり、時代も変りその後旧名に改め「笠守稲荷」として人々の篤き信仰の表徴として永く加護される様になった」とある。小田原市内栄町を通る国道255線の左側の住宅街一画に縁起の「掲示板」が掲示され「石の鳥居」「木製の赤い鳥居」が続き、その奥に「祠」(堂宇)がある。(2205)
 
 
 

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「相模原麻溝公園」では優美な花姿の「シャクヤク」お目見え!!

2022-05-11 10:44:30 | 公園・庭園
相模原市南区麻溝に「アジサイ」と「クレマチス」の名所「相模原麻溝公園」はある。今当園ではつる性植物の女王と呼ばれる「クレマチス」が見頃を迎え、アジサイも蕾を膨らませ真だ数輪であるが開花し始めている。そしてもう一つ高貴でエレガントな花の代表「シャクヤク」(芍薬)が花の谷の「シャクヤク花壇」と「和風ガーデン」で白、ピンク、赤と色とりどり数十輪咲きそろい始めた。「シャクヤク」はボタン科ボタン属で「エビスグサ」、「ピオニー」という名も持っている。「シャクヤク」は「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」といわれるように女性の美しさに例えられる花である。「シャクヤク」もその高貴で豪華でエレガントな美しさは甲乙つけがたく来園者を虜にしている。花は一週間と本当に短い命である。(2205)
 
 
 
 
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伊豆国加茂郡「譜門院」末の「定林山宝安寺」

2022-05-11 07:30:03 | 寺院
小田原市浜町に曹洞宗禅寺院、伊豆国加茂郡「譜門院」末の「定林山宝安寺」は鎮座している。寳安香積居士が明応元年(1452)開基。僧模庵宗範建(明応5年=1496卒)が開山となり、明応元年(1492)創建した。本尊は釈迦。国際通り商店街の奥の住宅街の一画に構えられた「山門」より入山すると参道左側に「六地蔵」と「永代供養塔」、その奥正面に鉄筋コンクリート平屋造りの「本堂」がある。本堂前に新宿町小大工頭遠藤小兵衛が入生田「紹太寺」で鐵牛禅師より授与された腹籠もりの「太子像」(運慶作)を祀った「招福太子堂」(延宝2年建)と「稲荷社」がある。また当寺の住職(第32世)村山大仙は教育の機会に恵まれない子供や青年男女のために特殊夜間学校と和洋裁縫女学院を設立している。山門横に小田原愛児園がある。(2205)
 
 
 
 
 
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