相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「県立相模原公園」では「山茶花」が芳香を漂わせ!!

2022-11-11 11:05:30 | 公園・庭園
相模原市南区下溝にメインのフランス庭園と噴水広場、100本の「メタセコイア並木」、サカタの「タネグリースハウス-大温室」、ショウブの「水無月園」、「大芝生広場」を有する「県立相模原公園」はある。いま当園は全体がメタセコイア、ラクウショウ、モミジほか落葉樹の紅葉、黄葉が始まりピークを迎えようとしている。今、希少な花は和風庭園、衆遊の庭の一画に冬の代表花の一つ「寒椿」、一番早咲きするのが「山茶花」である。「椿」は12月から開花し4月頃まで咲き続ける。童謡「たきび」に出てくる秋のシーンに「山茶花」が歌われている。「山茶花」は「椿」より葉が小さくぎざぎざ、雄しべから濃厚なアロマを発し香りが良く、ピンクの「山茶花」は「ジャスミン」のような芳香が匂ってくる。(2211)
 
 
 
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下鶴間村の鎮守「武相下鶴間諏訪神社」は七五三の装い!!

2022-11-11 10:39:47 | 神社
大和市下鶴間に当地区の鎮守「武相下鶴間諏訪神社」は鎮座している。創立(創建)は不詳ながら古来より「式内石楯尾神社」と伝えられ「新編相模風土記稿」には文徳天皇天安元年(857)祭祀のことが記される。後醍天皇延喜7年(907)の神名帳に高座小五座のうち下鶴間村に「石楯尾神社」と記されており千有余年前に既に鎮座していた。諏訪湖の辺りに鎮座する「諏訪大社」は全国18000余といわれる諏訪神社の総鎮守であり、当諏訪神社も鎌倉時代中期のころ分霊され「諏訪社」とされ、延宝8年(1860)再建の棟札からも、徳川氏入国当時既に厳然と鎮座していた。宝永8年(1710)6月再建、安永7年(1778)再建の棟札が現存する。祭神は建御名方神。鶴間駅より東方へ藤沢街道前を左折、直進すると右手に構えられている一際大きい「赤い鳥居」より100mほどの参道を進むと右奥に各所に施された彫刻が見事な「社殿」(拝殿、幣殿、覆殿、本殿)がある。廻廊の両側に中国の漢の張良の物語、子房覆を捧ぐの図の彫刻、身舎の周囲壁面や脇障子に中国の故事を題材にした肉厚の彫刻が嵌込まれている。上部には雲や飛鳥など天空を配し、中間部には人物、草花、下部には波、水、水鳥、魚など池水に関する題材、向拝の廻りには竜や獅子の彫刻が施されている。境内中央には御神木の「シイの木」が聳え、社殿の左奥に「元宮」、参道右側に稲荷神社、八坂神社、秋葉・古峯神社が祀られる。シーズンの七五三の幟と、拝殿回り菊が飾られていた。(2211)
 
 
 
 
 
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「今福薬医門公園」を訪ねて!!

2022-11-11 07:25:59 | 公園・庭園
海老名中新田に甲府の武田家の家臣であった今福家より市に寄贈された土地で敷地面積は1400㎡もある平成19年に開園した「今福薬医門公園」はある。その屋敷跡に嘉永6年(1853)に建造された「表門=薬医門」(桁行9尺、梁間5尺、切妻造桟瓦葺、総欅造)と弘化4年(1847)に建てられた3階建ての「文庫蔵」(切妻造桟瓦葺、外壁白漆喰=幕末期の富農が営んだ上質の土蔵として価値ある建物)が残されている。そして園内には池や井戸が配され、歴代当主が植えた樹木や花木などによる貴重な屋敷林となっている。その周りには薬草や珍種の草花など約220種類の草木が四季を彩り緑豊かな自然の表情を楽しめる貴重な公園となっている。(2211)
 
 
 
 
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