座間栗原中央に庚申信仰、庚申塔を神体とした「北向庚申神社」は鎮座している。祭神は猿田彦大命と青面金剛と帝釈天である。境内の由緒板によるとご神体は明和8年(1771)に神栗原地区の人々が住民と通行者の安全を願い村はずれの鬼門の北向き辻に建立した厄払いの「庚申塔」である。初代の「庚申塔」は亀裂が生じ慶応4年(1868)に新しく庚申塔を建立し二基の庚申塔が北向きに並んで建てられた。北は人々に災いをもたらす方角といわれここに建てられた「庚申塔」は災いを防ぐ守り神として信仰を集め安全祈願の絵馬が奉納された。この頃から近隣の町や村にも評判が伝わり昭和時代に入ると多くの参拝者が訪れるようになり大変賑わったという。昭和10年(1935)に地域の人々と信者の願いが叶い二基の庚申塔をご神体とした「社殿」が造られた。その社殿の背後に満開となった一本の「桜」が社域を彩っている。(2203)
相模原市内で桜の名所と言へば相模原市役所通り、相模原公園=せせらぎ園、鹿沼公園そして東林間の「東林さくら通り」である。小田急線「東林間駅」前の「SANWA(三和)」、「東急スーパー」と「東芝林間病院」間にある桜並木は30本を超える「ソメイヨシノ」が植栽されており「東林さくら通り」と呼ばれている。通りの最奥には「東林間さくら公園」がある。各地で開花、見頃の知らせに訪れてみるともうほぼ満開域に達して左右から通り側を覆うように神秘的で幻想的な「桜回廊」、「桜並木」の光景を創りしている。桜は開花して一週間で散りゆく儚さを有している。短命の花でもう通りにはひらひらと花びら舞い散っている。東林間駅一帯は今、桜色一色、文字通り春の彩りの一年で一番美しい桜ワールドと化している。(2303)
「おださがさくら祭り」は2016年に「小田急相模原に新たな賑わいを」「地域に根付くお祭りを生み出したい」と始まったイベントである。コロナで中止されていた「おださがさくら祭り」が小田急相模原駅近くの「松ヶ枝公園」で3/25の10:00から17:00まで開催される。 この「第7回 おださがさくら祭り」は「松が枝公園」を会場として近隣に店舗を構える飲食店の屋台や縁日、ステージパフォーマンスが行われる。新型コロナの影響で中止されていたこの桜まつり」実に桜の下での開催は4年ぶりとなる。「松が枝公園」は1970年春に開園、周囲には高さ10m超えの、樹齢40年の「ソメイヨシノ」が34本植栽されている。今、全ての木々が桜花を開花させ満開近くに達している。丁度その時ロマンスカーMSE(60000形)がやってきてくれた。早速フォーカスしてみた。桜まつりのお膳立ては出来上がっているが、祭り当日はあいにく雨のち曇りである。何とか一日降らないでほしいものである。桜は日本の国花、花の命は短くてという通り、桜はパッと咲いてパッと散る潔いよい花、その儚さ生命力をしっかり見届け追撮しなければならない。(2303)
善光寺の本山は「信州善光寺」であり、全国に善光寺信仰、善光寺仏や縁起に所縁のある寺は400社以上存在する。その中の一寺で港区北青山に浄土宗寺院で信州善光寺の東京別院「南命山善光寺」は鎮座している。創建は永禄元年(1558)。当初は「谷中」に信州善光寺別院=東京宿院として建立されたが、宝永2年(1705)現在地へ移転した。本尊は阿弥陀如来像。地下鉄表参道駅から青山通りが交差する左側に構えられた朱色の華麗な「仁王門」(山門)より入山すると広大な境内の正面に二層建て入り母屋造りの重厚な構え「大本堂」がある。本堂には信州善光寺と同様の戒壇巡りを備えている。本堂右側には寺務所と庫裏、左側には「高野長英の顕彰碑」と明治初期に人力車を発明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の功を伝える「人力車発明記念碑」が建てられている。境内には数本の「ソメイヨシノ」が満開となって寺域・境内を美しく彩っている。(2303)
相模原市南区下溝「相模原浄水場(沈殿池)」近くに陽光台雨水調整池として造られた下溝「古山公園 スポーツ広場」はある。グランド周囲には樹齢の高い110本の「ソメイヨシノザクラ」が植栽されている。その美しさから相模原市の「桜名所」の一つとなっている。都内の桜も開花が進み満開近く達しようとしている。ここスポーツ広場の桜も負けじと開花が進んでいる。まだ2〜3分咲きであるが桜特有の集合美を見せ始めている。満開時ともなると外周全体が桜で覆われて美しい「桜回廊」、「桜並木」が姿を見せグランド全面を桜花の「天蓋」か「ベール」で覆いつくそうとしておりそのクライマックスへの序章が始まっている。桜は開花して一週間という儚い命、美しさを披露したかと思うと潔く散りゆく。その潔さに心打たれる花である。(2303)