心療内科医で産業医の著者が、メンタルヘルス上の疾患のために診療に訪れた男性のケースを挙げながら、そういった「アイデンティティの危機」を契機に自分の思考の癖や習慣を意識的に変化させ発想を変えることで、「『男は強く、動じず』という男らしさの神話の呪縛から抜け出し、困難さからの回復力を持ち、人の痛みを感じ取れる新しい生き方」ができるようにすることを勧める本。
人事評価制度が変更され低い評価(5段階で下から2番目)を続けてつけられてやる気をなくした営業部担当者の例で「一つは、人事評価が相対評価であり、SからDまでの5段階で人数の枠が決まっていたことである。(略)相対評価は本来ならばまずまずという業績の人をランクを落として評価することにもなり、これが社員のモティべーションを失わせたり、プライドを傷つけてしまうことになる。第2の問題点は、目標設定をしてその目標をクリアしているにもかかわらず、それを認めずに次の課題を出して評価を与えなかった、という点である。」(74ページ)と述べられています。裁判になるケースを見ていると、企業での人事評価が、客観的な目に見える指標ではなく曖昧で主観的な基準でなされ(客観的な業績を上げているケースでも協調性だとか意欲だとか業務や社の方針の理解度だとか、どうとでもいえるような項目で点数を下げるなど)、上司の好き嫌いレベルで評価されていると思われるケースがよく見られます。こういった人事評価自体、客観性を装った誰かへの言い訳のために導入されているのだと思いますが、その実態は経営者と中間管理職の自己満足に過ぎず、こういうことに血道を上げる企業はすでに衰退への道をたどり始めているのだろうと私は思います。
「職場でも大学でも自分に合わないから、とすぐやめてしまう人もいる。一方、自分に合わないから、と葛藤し適応障害で体調を崩し、やめてしまう人もいる。しかし、自分にぴったり合って居心地がよい場は、大学でも職場でも見つけることはまず困難だろう。居心地が悪い場から逃れて別のよりよい場所を見つけられればそれでよいが、そうはいかない場合、居心地の悪い場で少しでも自分の本来の気持ちが満足いくように工夫をしていくことが、ストレスからの回復につながる。ようは『嫌だからやめる』『嫌だけれど我慢』という二つのパターンがほとんどであることが問題なのだ。『嫌な中で自分の居場所を見つけていく。自分の居心地をよくする』ように考え方のベクトルを変えるという選択も必要だろう。」(163ページ)と、自分が変わること、自分の側の受け止め方を変えることが勧められています。
ストレスを乗り越えるためには、まず「深呼吸、適度に体を動かすこと、睡眠、気持ちを話せる仲間や家族、自然とのふれあい」を整え、「あなたがほっとできてリラックスしていい気分になれること。あるいは集中して嫌なことを忘れられること。そんな気分になれる場所やことをリストアップしてみてください。ただし、お酒、タバコ、ギャンブル、歓楽街以外で」(248~250ページ)と提案されています。
その上で、自分が変わる(考えを変える)というのですが、ストレス要因があっても「こういうことは起こりうることで、しかし自分はなんとかやっていけるはずだし、このことは大変でも意味があることだ」と思い、挑戦だと受け止めて乗り切っていけるような資質が大事(257~259ページ)という一般論はいいと思います。しかし、著者が産業医を務めている企業で休職からの復職に際して向いていない元職から別の業務に異動させたりトップが先頭に立って改革をして成功例が紹介されている(260~266ページ)のは、本当にうまくいけばいいでしょうけれども、トップの自己満足にとどまり、トップの気まぐれで希望しない業務に配転されて苦しむ労働者が増えるだけということにもなりかねません。それを我慢するのが労働者が「変わること」で「柔軟性」だ、なんていうのでなければいいのですが。
海原純子 朝日新書 2016年1月30日発行
人事評価制度が変更され低い評価(5段階で下から2番目)を続けてつけられてやる気をなくした営業部担当者の例で「一つは、人事評価が相対評価であり、SからDまでの5段階で人数の枠が決まっていたことである。(略)相対評価は本来ならばまずまずという業績の人をランクを落として評価することにもなり、これが社員のモティべーションを失わせたり、プライドを傷つけてしまうことになる。第2の問題点は、目標設定をしてその目標をクリアしているにもかかわらず、それを認めずに次の課題を出して評価を与えなかった、という点である。」(74ページ)と述べられています。裁判になるケースを見ていると、企業での人事評価が、客観的な目に見える指標ではなく曖昧で主観的な基準でなされ(客観的な業績を上げているケースでも協調性だとか意欲だとか業務や社の方針の理解度だとか、どうとでもいえるような項目で点数を下げるなど)、上司の好き嫌いレベルで評価されていると思われるケースがよく見られます。こういった人事評価自体、客観性を装った誰かへの言い訳のために導入されているのだと思いますが、その実態は経営者と中間管理職の自己満足に過ぎず、こういうことに血道を上げる企業はすでに衰退への道をたどり始めているのだろうと私は思います。
「職場でも大学でも自分に合わないから、とすぐやめてしまう人もいる。一方、自分に合わないから、と葛藤し適応障害で体調を崩し、やめてしまう人もいる。しかし、自分にぴったり合って居心地がよい場は、大学でも職場でも見つけることはまず困難だろう。居心地が悪い場から逃れて別のよりよい場所を見つけられればそれでよいが、そうはいかない場合、居心地の悪い場で少しでも自分の本来の気持ちが満足いくように工夫をしていくことが、ストレスからの回復につながる。ようは『嫌だからやめる』『嫌だけれど我慢』という二つのパターンがほとんどであることが問題なのだ。『嫌な中で自分の居場所を見つけていく。自分の居心地をよくする』ように考え方のベクトルを変えるという選択も必要だろう。」(163ページ)と、自分が変わること、自分の側の受け止め方を変えることが勧められています。
ストレスを乗り越えるためには、まず「深呼吸、適度に体を動かすこと、睡眠、気持ちを話せる仲間や家族、自然とのふれあい」を整え、「あなたがほっとできてリラックスしていい気分になれること。あるいは集中して嫌なことを忘れられること。そんな気分になれる場所やことをリストアップしてみてください。ただし、お酒、タバコ、ギャンブル、歓楽街以外で」(248~250ページ)と提案されています。
その上で、自分が変わる(考えを変える)というのですが、ストレス要因があっても「こういうことは起こりうることで、しかし自分はなんとかやっていけるはずだし、このことは大変でも意味があることだ」と思い、挑戦だと受け止めて乗り切っていけるような資質が大事(257~259ページ)という一般論はいいと思います。しかし、著者が産業医を務めている企業で休職からの復職に際して向いていない元職から別の業務に異動させたりトップが先頭に立って改革をして成功例が紹介されている(260~266ページ)のは、本当にうまくいけばいいでしょうけれども、トップの自己満足にとどまり、トップの気まぐれで希望しない業務に配転されて苦しむ労働者が増えるだけということにもなりかねません。それを我慢するのが労働者が「変わること」で「柔軟性」だ、なんていうのでなければいいのですが。
海原純子 朝日新書 2016年1月30日発行