1996年11月にアイスランドのレイキャビクで酔い潰れた16歳のソルディスを部屋まで送った18歳のトムがソルディスのベッドで服を脱がしてそのまま2時間(7200秒)にわたりソルディスをレイプしたことについて、ソルディスが2005年5月にオーストラリアに移住していたトムに対して非難する電子メールを送信したことをきっかけに2人が文通を始め、過去を振り返り、2013年3月27日から9日間南アフリカのケープタウンで行動を共にして語り合い、トムが過去を反省し、ソルディスが赦すという過程を記録した本。
恨み続けることに未来はないと、基本的に赦すことを目指してケープタウンミッションに臨んだソルディスが、トムのちょっとした言動、さらにはトムに直接関係ない街で目にした様々な言葉や光景に一々いらつき傷つきトムをあるいは男性一般を心の中で罵り僻む心情や言動が繰り返し書き連ねられていて、文章としての読み心地はあまりよくありませんが、それは、被害者が犯罪被害により傷つきその度合いや傷つき方が一様ではなくその被害との向き合い方立ち直りが一様でなく簡単でないことを読み取るべきところで、むしろそこはこの本の読ませどころと受け取れます。
しかし、レイプ問題の専門家となり、様々なところで講演等をこなしているソルディスが、見知らぬ男によるレイプは一般的ではないと言い、デートレイプへの注目を求めた上で、自己の、この本に書かれている事例をレイプの典型のように言うことには疑問を持ちます。
ことがらの性質上、具体的事実関係の詳細を明らかにしたくないという心情はわかりますが、2人の人生の事件前・事件後のエピソードを紹介し、その時々の思い・考えを語ることに多くの紙幅を裂いているこの本の性格に照らし、また事件からかなり長い年月が経過して初めてソルディスがトムにレイプを非難し始めたという事情を考えれば、この本に示されている事件とその前後の2人の言動についての記載の程度には、読者としては不満が募ります。特にそれが初期に明らかにされないことには、読んでいて、持って回った書き方だなというフラストレーションがたまりました。この本の記述によれば、ソルディスとトムは1996年11月16日に6時間にわたりいちゃつき続けて性交しソルディスは「ただただ・・・素晴らしかった」と感じた(54~56ページ)、その次の夜(56ページ)または1996年12月17日の夜(187ページ)、ダンスパーティーでソルディスはラムを飲んで酔っ払い、トイレで吐き続け、介抱に行ったトムの前で床に倒れ込んで動かなくなり、トムはソルディスを抱えてソルディスの自宅まで連れて帰りソルディスの部屋で服を脱がせて、その後ソルディスを2時間にわたりレイプした(163~168ページ)、ソルディスは頭ははっきりしていたけれど体が言うことを聞かなくて向きを変えたり体をよじったりするのは無理だった(167~168ページ)、2日後トムはソルディスに別れを告げた(170ページ)、その後ソルディスは完全に気がおかしくなり友達や家族を避けるようになり、その後(時期は何か月後か明示されていないが)自傷行為をするようになった(170~171ページ)、オーストラリアに移住したトムが2000年の夏にアイスランドに帰ってきた際、トムとソルディスは、シャワー室で、2階のベッドで、車の中でセックスした(179ページ)、ソルディスは2013年3月30日にトムから指摘されるまでそのことを忘れていたが、あのときはトムを傷つけたかったのだと思い、「あなたの心をめちゃくちゃにしたかったから、あの夏あなたを誘惑したの」と答えた(179~180ページ)、トムが2000年夏の音楽祭で酔っ払い坂を転げ落ちて頭を割り何針か縫われて立ち去ろうとしたときにソルディスは後を追い、そのとき初めて「よくもわたしをこんなふうに扱えるわね!レイプしたくせに!」と言った(115~117ページ)とされています。2000年夏のことについては、トムの指摘でソルディスが自分がトムに誘いかけてセックスしたことを思い出した後、その話はやっぱり明日にして欲しいと言って(183ページ)その後この事実関係が具体的にされることなく(269ページで抽象的には触れていますが、具体的な事実は出てきません)終わっています。
レイプ被害者は何度も様々に傷つき、その心理を世間の常識で量り決めつけてはいけないと言われますし、その心理と心情に寄り添え、世間の常識を振りかざした追及はセカンドレイプだというフェミニストの声が聞こえてきます。しかし、ソルディスが2000年夏に自らが誘いかけてトムとセックスしていたことを忘れていたこと、この本でそのことを含む2000年夏の事実の解明が避けられていることを考えると、1996年のレイプに関しても2時間性交をし続けた(2時間ぶっ通しで太ももを殴られているようだった:169ページ)ということ(トムはコンドームをつけていた:173ページ)があまり現実的でないことと合わせ、トムをレイプ犯と決めつけて断罪するほどに明らかなレイプであったのか、疑問も残ります。
ソルディスが、トムを赦し、和解するために、恋人と幼子を残してケープタウンまで行って、レイプ犯と断罪する元彼と9日間を過ごすことも、ソルディスの心情の上では必要なことだったのでしょうけれども、多くのレイプ被害者にとっては、希望しないことだと考えられます。ソルディスのケース・試みは、そういった努力に意味があることがあるということを示すものではあっても、レイプ被害者に望ましいとかあるべき姿として受け取るべきではない(レイプ被害者にプレッシャーを与えるべきものではない)と考えます。
原題:SOUTH OF FORGIVENESS
ソルディス・エルヴァ、トム・ストレンジャー 訳:越智睦
ハーパーコリンズ・ジャパン 2017年6月25日発行 (原書も2017年)
恨み続けることに未来はないと、基本的に赦すことを目指してケープタウンミッションに臨んだソルディスが、トムのちょっとした言動、さらにはトムに直接関係ない街で目にした様々な言葉や光景に一々いらつき傷つきトムをあるいは男性一般を心の中で罵り僻む心情や言動が繰り返し書き連ねられていて、文章としての読み心地はあまりよくありませんが、それは、被害者が犯罪被害により傷つきその度合いや傷つき方が一様ではなくその被害との向き合い方立ち直りが一様でなく簡単でないことを読み取るべきところで、むしろそこはこの本の読ませどころと受け取れます。
しかし、レイプ問題の専門家となり、様々なところで講演等をこなしているソルディスが、見知らぬ男によるレイプは一般的ではないと言い、デートレイプへの注目を求めた上で、自己の、この本に書かれている事例をレイプの典型のように言うことには疑問を持ちます。
ことがらの性質上、具体的事実関係の詳細を明らかにしたくないという心情はわかりますが、2人の人生の事件前・事件後のエピソードを紹介し、その時々の思い・考えを語ることに多くの紙幅を裂いているこの本の性格に照らし、また事件からかなり長い年月が経過して初めてソルディスがトムにレイプを非難し始めたという事情を考えれば、この本に示されている事件とその前後の2人の言動についての記載の程度には、読者としては不満が募ります。特にそれが初期に明らかにされないことには、読んでいて、持って回った書き方だなというフラストレーションがたまりました。この本の記述によれば、ソルディスとトムは1996年11月16日に6時間にわたりいちゃつき続けて性交しソルディスは「ただただ・・・素晴らしかった」と感じた(54~56ページ)、その次の夜(56ページ)または1996年12月17日の夜(187ページ)、ダンスパーティーでソルディスはラムを飲んで酔っ払い、トイレで吐き続け、介抱に行ったトムの前で床に倒れ込んで動かなくなり、トムはソルディスを抱えてソルディスの自宅まで連れて帰りソルディスの部屋で服を脱がせて、その後ソルディスを2時間にわたりレイプした(163~168ページ)、ソルディスは頭ははっきりしていたけれど体が言うことを聞かなくて向きを変えたり体をよじったりするのは無理だった(167~168ページ)、2日後トムはソルディスに別れを告げた(170ページ)、その後ソルディスは完全に気がおかしくなり友達や家族を避けるようになり、その後(時期は何か月後か明示されていないが)自傷行為をするようになった(170~171ページ)、オーストラリアに移住したトムが2000年の夏にアイスランドに帰ってきた際、トムとソルディスは、シャワー室で、2階のベッドで、車の中でセックスした(179ページ)、ソルディスは2013年3月30日にトムから指摘されるまでそのことを忘れていたが、あのときはトムを傷つけたかったのだと思い、「あなたの心をめちゃくちゃにしたかったから、あの夏あなたを誘惑したの」と答えた(179~180ページ)、トムが2000年夏の音楽祭で酔っ払い坂を転げ落ちて頭を割り何針か縫われて立ち去ろうとしたときにソルディスは後を追い、そのとき初めて「よくもわたしをこんなふうに扱えるわね!レイプしたくせに!」と言った(115~117ページ)とされています。2000年夏のことについては、トムの指摘でソルディスが自分がトムに誘いかけてセックスしたことを思い出した後、その話はやっぱり明日にして欲しいと言って(183ページ)その後この事実関係が具体的にされることなく(269ページで抽象的には触れていますが、具体的な事実は出てきません)終わっています。
レイプ被害者は何度も様々に傷つき、その心理を世間の常識で量り決めつけてはいけないと言われますし、その心理と心情に寄り添え、世間の常識を振りかざした追及はセカンドレイプだというフェミニストの声が聞こえてきます。しかし、ソルディスが2000年夏に自らが誘いかけてトムとセックスしていたことを忘れていたこと、この本でそのことを含む2000年夏の事実の解明が避けられていることを考えると、1996年のレイプに関しても2時間性交をし続けた(2時間ぶっ通しで太ももを殴られているようだった:169ページ)ということ(トムはコンドームをつけていた:173ページ)があまり現実的でないことと合わせ、トムをレイプ犯と決めつけて断罪するほどに明らかなレイプであったのか、疑問も残ります。
ソルディスが、トムを赦し、和解するために、恋人と幼子を残してケープタウンまで行って、レイプ犯と断罪する元彼と9日間を過ごすことも、ソルディスの心情の上では必要なことだったのでしょうけれども、多くのレイプ被害者にとっては、希望しないことだと考えられます。ソルディスのケース・試みは、そういった努力に意味があることがあるということを示すものではあっても、レイプ被害者に望ましいとかあるべき姿として受け取るべきではない(レイプ被害者にプレッシャーを与えるべきものではない)と考えます。
原題:SOUTH OF FORGIVENESS
ソルディス・エルヴァ、トム・ストレンジャー 訳:越智睦
ハーパーコリンズ・ジャパン 2017年6月25日発行 (原書も2017年)