2歳児の娘を持つ専業主婦里沙子が、8か月の娘を水のたまった浴槽に落として死なせた児童虐待死事件の補充裁判員に選ばれ、公判が続く10日間、娘を日中夫の両親に預けて審理に加わり、その過程で、娘や夫、夫の両親らとの軋轢、行き違いを生じ、次第に自らを被告人の女性に重ね合わせていくという展開の小説。
何でも気軽に話せる友人を持たない孤独な子育てママが、夫や夫の母の善意を圧力と感じ、夫が相談するメールを覗き見て夫の浮気を疑い、夫の母の訪問も保健婦の訪問も断り、心理的に追い詰められ子どもに暴力を振るい、虐待して行く姿を、他の裁判員が身勝手で冷たい女と評価するのに対し、主人公が、自らに重ね、あり得る姿、自分だったかも知れない姿を見いだしていくというパターンです。
私が疑問に思うのは、作者が、この主人公をどのように位置づけているのか、どのような読者層を想定しているのか、この主人公は、多くの/普通の子育てママにとって、自分もありうるものと感じられ、共感できるのか、です。夫や夫の母らの言葉を素直に受け取らず猜疑心を持ち続け悪意に解釈し苛立ち続ける姿は、多くの読者に、「あるある」と思われるのでしょうか。ぐずり続ける子どもに苛立つことは、普通にあっても、その子が夫や夫の義母には泣かずに甘えているのを子どもの悪意と受け取るでしょうか(子どもの態度、機嫌は、親の態度・感情を反映していることも多いと思いますが)。人気の無い夜道でぐずった子どもを置き去りにしたことを夫に見とがめられて批判されたのを「誤解」だと正当化することに執着する姿は、子育てママの共感を呼ぶのでしょうか(暗い夜道で置き去りにされた子の恐怖感には想像が及ばないものでしょうか)。夫の長期にわたるさまざまな言動をすべて自分に劣等感を植え付けるためだと断じ「相手を痛めつけるためだけに、平気で、理由も意味もないことのできる人間」と評価し、子どもを夜道で置き去りにしたのを見つけた夫は「小躍りしたい気分だったのではないか」とまで考える姿(369ページ)に共感する妻は多数いるのでしょうか。自分の娘を死なせた妻に対し離婚するつもりはない、罪を償ったあとはあらたに2人で歩んでいきたいと語る被告人の夫の言葉を聞いて、絶望を感じ「この妻は、子どもまでなくすほど虐げられたこの妻は、その罪と向き合ってもう一度世間に戻っても、あの夫から逃げられないのか」(373ページ)と思う主人公と同じ感想を持つ妻が多数いるのでしょうか。
私には、ジコチュウで視野狭窄で周囲の人物の善意を素直に受け止めず殊更に悪意に評価し自分だけが苦しい思いをしていて自分は正しく起こった問題はすべて周囲の人間のせい(その悪意によるもの)と考え続けるこの主人公が、子育てママの多くと重なったり共感を得るとは考えにくいのですが。そういう思いは、子育てママの立場に立ったことがない男の偏見だと、世間では受け止められ、また作者はそう考えているのでしょうか。
角田光代 朝日新聞出版 2016年1月30日発行
何でも気軽に話せる友人を持たない孤独な子育てママが、夫や夫の母の善意を圧力と感じ、夫が相談するメールを覗き見て夫の浮気を疑い、夫の母の訪問も保健婦の訪問も断り、心理的に追い詰められ子どもに暴力を振るい、虐待して行く姿を、他の裁判員が身勝手で冷たい女と評価するのに対し、主人公が、自らに重ね、あり得る姿、自分だったかも知れない姿を見いだしていくというパターンです。
私が疑問に思うのは、作者が、この主人公をどのように位置づけているのか、どのような読者層を想定しているのか、この主人公は、多くの/普通の子育てママにとって、自分もありうるものと感じられ、共感できるのか、です。夫や夫の母らの言葉を素直に受け取らず猜疑心を持ち続け悪意に解釈し苛立ち続ける姿は、多くの読者に、「あるある」と思われるのでしょうか。ぐずり続ける子どもに苛立つことは、普通にあっても、その子が夫や夫の義母には泣かずに甘えているのを子どもの悪意と受け取るでしょうか(子どもの態度、機嫌は、親の態度・感情を反映していることも多いと思いますが)。人気の無い夜道でぐずった子どもを置き去りにしたことを夫に見とがめられて批判されたのを「誤解」だと正当化することに執着する姿は、子育てママの共感を呼ぶのでしょうか(暗い夜道で置き去りにされた子の恐怖感には想像が及ばないものでしょうか)。夫の長期にわたるさまざまな言動をすべて自分に劣等感を植え付けるためだと断じ「相手を痛めつけるためだけに、平気で、理由も意味もないことのできる人間」と評価し、子どもを夜道で置き去りにしたのを見つけた夫は「小躍りしたい気分だったのではないか」とまで考える姿(369ページ)に共感する妻は多数いるのでしょうか。自分の娘を死なせた妻に対し離婚するつもりはない、罪を償ったあとはあらたに2人で歩んでいきたいと語る被告人の夫の言葉を聞いて、絶望を感じ「この妻は、子どもまでなくすほど虐げられたこの妻は、その罪と向き合ってもう一度世間に戻っても、あの夫から逃げられないのか」(373ページ)と思う主人公と同じ感想を持つ妻が多数いるのでしょうか。
私には、ジコチュウで視野狭窄で周囲の人物の善意を素直に受け止めず殊更に悪意に評価し自分だけが苦しい思いをしていて自分は正しく起こった問題はすべて周囲の人間のせい(その悪意によるもの)と考え続けるこの主人公が、子育てママの多くと重なったり共感を得るとは考えにくいのですが。そういう思いは、子育てママの立場に立ったことがない男の偏見だと、世間では受け止められ、また作者はそう考えているのでしょうか。
角田光代 朝日新聞出版 2016年1月30日発行