伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

泣きかたをわすれていた

2020-08-21 20:43:00 | 小説
 子どもの本の専門店「ひろば」を経営する72歳の冬子が、10年前まで7年間にわたり認知症が進行する母親の介護と格闘しつつ母親との時間を愛おしく思う様子、「ひろば」の経営やスタッフへの思い、嫌がらせをする連中に対する思考の中での処理、かつて日々をともにした元全共闘と思われる塾講師で交通事故で死んだ男、女友達との付き合いなどを描いた小説。
 母親の介護については、著者自身がインタビューで自分の経験を書いたとしていますし、子どもの本専門店「クレヨンハウス」と年齢など、そのままの設定ですから、少なくとも読者に著者の実生活そのものと思われることを想定して書いているものとみられます。
 そうしてみたとき、著者が母親の介護をすることをフェミニズムへの裏切りと詰る友人との会話(30~36ページ)は、著者の主張、生き方をめぐり、著者自身歯がゆさを感じながらとも思いますが、読ませどころになっています。相手を原理主義・教条的と切り捨てずに、疲れながらも対話を続けようとするところに、著者の立ち位置が偲ばれます。終盤でもう一度、この友人の葛藤を描いてみせる(192~198ページ)ことが、理屈だけじゃないと、この友人に好感を持たせるか逆になるかは少し微妙ではありますが。
 子どもの頃に毎晩母親に絵本を読んでもらった「絵本の時間」を、著者は認知症の母親に絵本を読み「おかあさんと冬子の時間」として再現します。寝る間際に楽しみにしている子どもに絵本を読み聞かせることは、親にとって楽しみだと私は思いますが、認知症の人に読み聞かせるのはだいぶ違うと思います。そこには、「君に読む物語」のような、本人は楽しみだと位置づけているかも知れないけれど、端からは覚悟と悲壮感と敬意とよくやるよなという複雑な反応が待っていると思います。
 小説の構成としては、母親の介護に集中する前半に比べ、後半は様々なエピソードが時系列もテーマもまとめられない印象で綴られ、とりとめのない感じがします。しかし、この国の今を、シングルマザーの下で育てられ、子どもを持たない選択をし、政治的には反原発・反安保法制等のシンボルとなり、様々な点でマイノリティとして生きる著者の日常生活や思考のありように関心を持つ者には、興味深い作品です。おそらくはこのとりとめなさも、著者の思考と思いを感じ取らせるために敢えてそうしているのではないかとも思えます。


落合恵子 河出書房新社 2018年4月30日発行
「文藝」2018年春季号
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