伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

極限大地 地質学者、人跡未踏のグリーンランドをゆく

2022-10-22 23:07:05 | 自然科学・工学系
 地質学者である著者がグリーンランド西部でフィールドワークを行った際に見聞したグリーンランドの大地と気候等の実情、そこで著者が考えたことなどを書いた本。
 極限の大地の環境の厳しさと美しさが語られていますが、それをいうなら今どきやはりカラー写真を付けて論じるべきだと思います。著者は「私はバックパックからカメラを取り出して撮影しようと考えたが、結局はやめた。そもそも、写真を残すことに何の意味があるのか。この場所から受けた印象、地球の奥深くで大昔に形成された見事な岩壁との出会いが荘厳な気持ちを呼び起こし、穏やかな情熱が湧いてきた現実を胸に刻めば十分ではないか」(81~82ページ)というのですが、著者自身同僚に対して「結局は、この素晴らしさを上手に表現できる言葉など見つからなかった」(93ページ)というのです。当然研究者として、記録のために、発見した地層や礫・石の類は撮影しているはずですから、風景というかフィールドワークを行った場所を撮影しないという選択はないはずです。その場所・大地の情景を説明しようとするなら写真を付けるのが当然だと思うのですが。
 研究の報告として読むには、最後には成果をめぐる説明があるものの研究全体の狙いやそれに向けた調査の順序だった説明がなく、冒険日誌として読むには時を追った記載とは読めず、フィールドワークの過程で書きたい部分を取り出したエッセイ的な記事を集めたような印象があります。通して読むには何か抜けているところがあるような読後感を持ちました。
 著者は、グリーンランドで一人歩いているときに、トナカイが食べる地衣類を食べてみたくなり、食べてみたらおいしかった、「私は一つまみ飲み込むと、つぎつぎにお代わりをして、地衣類を食べ物としてよく理解しようと努めた」と記しています(94~95ページ)。知的好奇心はいいのですが、こういう記事を読むにつけ、人びとの記憶・警戒心の喪失に残念な気持ちを持ちます。チェルノブイリ原発事故の後、地衣類の放射能汚染とそれを食べるトナカイによる生体濃縮が問題にされました。汚染の中心となったセシウム137はその頃からようやく半分になっただけです。わかっててあえてチャレンジするのならそれは自由ですが、念頭になく、また読者への配慮もないというのはどうかなと思います。


原題:A WILDER TIME : Notes from a Geologist at the Edge of the Greenland Ice
ウィリアム・グラスリー 訳:小坂恵理
築地書館 2022年7月13日発行(原書は2018年)
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