伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

猫弁と魔女裁判

2022-10-31 21:12:45 | 小説
 東大法学部を首席で卒業し司法試験を最年少で合格して日本でも屈指の大事務所「ウェルカム」に入所したが「世田谷猫屋敷事件」で有名になってペット訴訟の依頼が集中したために独立を促され事実上クビになった弁護士百瀬太郎が、ウェルカムからの要請で国際スパイ事件の強制起訴事件の指定弁護士となり、それに没頭するという小説。
 この作品では、これまで避け続けてきた(と思われる)法廷シーンが登場し、弁護士の目にはかなり無理な記述が続きますが、まぁ作品のなかで「普通はありえない」と書いている(288ページ)ので、あり得ないのはそこだけじゃないけど、置いておきましょう。
 作者は、このシリーズで、性別役割分業について、否定的な評価を示したり、セクハラだと言ってみたりする一方で、専業主婦志向を持つ者への配慮も見せ、テレビドラマ脚本を意識してか八方美人的なふるまいをしているように感じられます。ただ、作者の方向性はそうとしても、「猫弁と透明人間」で事務員七恵から「おじょうさんをください」と言うよう指示されたのに対し「大福亜子さんはひとりの人間です。もらうとかあげるとか、品物のような言い方はできません」と言い(「猫弁と透明人間」文庫版313ページ)、さらに後日ですが、「猫弁と鉄の女」でも大福亜子の両親に対し秘書の野呂が以前「おじょうさんをください」と言ったことは撤回する、「わたしが大福さんの夫となっても、大福さんがご両親の娘さんであることに変わりはなく、くださいとかあげるとか、物品のような表現はわたしにはできかねます」と言う(「猫弁と鉄の女」文庫版349~350ページ)百瀬太郎が、この作品では大福亜子の父親に対して「おじょうさんをひと晩お借りしたい」と言っている(196ページ)のはいかがなものかと思います。もらうならダメで借りるならいいのか、少なくとも信念・信条に基づくものならそういう発言は考えられません。こういう発言が出てくると、品物のような言い方はしたくないというのが、付け焼き刃のものに見えてきます。またこういう発言をしながらその説明(言い訳)さえないということでは、そもそもその点についてろくに考えてさえいないと思えます。作者は百瀬太郎のその問題に関する発言の趣旨・重みをどう考えているのでしょうか。
 関係なさそうな人物やできごとを終盤で関連付け取りまとめて行くのが作者の作風とみられ、この作品でも一応まとめてはあるのですが、これまでの作品に比べて、今ひとつ散漫な感じがあり、私には、作者の疲れが感じられました。文庫本の裏表紙には「人気シリーズ、涙の完結!」とあり、シリーズ全5巻完結記念の鼎談も付されていますが、ストーリーとしては完結とは言い難く読者には不完全燃焼感を残すけれども、作者としては気力が続かないということでそうなったのだろうと思います。


大山淳子 講談社文庫 2015年9月15日発行(単行本は2014年6月)
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