伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

本能 遺伝子に刻まれた驚異の知恵

2021-11-04 00:07:39 | 自然科学・工学系
 さまざまな動物が生得的に持つ行動パターンについて説明し、動物が学習により習得したと考えられる行動もその多くは生得的な行動をより成熟させているだけではないかと、本能が果たしている役割はこれまで考えられてきたよりも重要で広汎だと指摘する本。
 第1章と第2章は、さまざまな動物・昆虫等が持つさまざまな能力、行動パターンが紹介され、動物の行動、特に採餌行動がエネルギー取得効率の観点から見ると驚くほど効率的であることが示されています。
 しかし、それを「動物たちの思わぬ『意図』が見えてくる」(44ページ)とか、「本能の底知れない知恵」(49ページ)などと表現することには違和感を持ちます。ましてや「動物が巧みに身を守り効率的に餌を食べて生き、そして成長するのは、その先に待ち構える生殖に備えるためです」(73ページ)など、それぞれの動物が意識的に自己の子孫を多数残すことを意識して行動を選択しているかのような記述は、動物行動学や進化論を説明する本でよく見られるものですが、進化論、自然淘汰・性淘汰の説明としておかしいと思います。採餌行動のエネルギー効率に関していえば、エネルギー効率を考えて採餌行動を選択しているのではなく、エネルギー効率のよい採餌行動パターンを持った個体が生き延びる確率が高く生殖して子孫を残す割合が高くなるため、次第にその行動パターンを取るものが多数派になったということのはずです。求愛・交尾等のパターンにおいても、自己の子孫を多数残そうとして選択しているのではなく、あるいは自分の子が育たないことが「損失」になるなどと考えて育児を選択しているのでもなく、生殖とその後の成長に有利な行動パターンを持つ個体が多数繁殖して成長しその後の生殖の機会を得やすいが故に多数派になっていくだけです。
 そして自然淘汰は、常時生じる遺伝子の再生ミス・突然変異等を含む多様性の幅の中で特定の環境では特定のものが多数派になるということで環境が変化すれば他のものが多数派になるという含みを持っているはずです。本来的に進化論はそういった多様性を前提とし尊重するものではなかったでしょうか。
 しかし、この本では、本能という言葉を用いて、一律の方向性を印象づけていきます。男性にとって最も魅力的な女性のウェスト/ヒップ比は0.7で、「異文化の下で生活してきた男に観察されたこの好まれる異性像は、これが文化に左右されない生得的性質、つまり本能的性質であることを示唆しています」(231ページ)とか、「男と女が結婚して子供が生まれると、子育て本能は早速、母親を適切な子育て行動に駆り立てます」(238~239ページ)というのは、今どきいかがなものかと思います。最後に男性が新生児のにおい(フェロモン)に惹かれるという研究結果を示し、男性の育児が本能であり父性がそのように進化している可能性があるとしている(248~251ページ)のは、性別役割分業的な記述を少しは是正しようという意図によるものでしょう。しかし、それも女性に一律に母性を強いる(乳幼児を好きになれない女性もいるし、ましてやLGBT等の多様な性指向への配慮を考えれば…)のと同様に男性に父性を求めるということではないのかという疑問を残します。
 今、本能というテーマを扱うのであれば、本能という言葉が個性や多様性を抑圧しがちなことにもう少し配慮した書き方があったのではないかという気がします。


小原嘉明 中公新書 2021年8月25日発行
コメント
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