Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

手帳を復活してみた

2014年01月05日 18時23分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このブログは、たわいもない日記風のエッセイと、美術館・博物館・音楽会・各種講座・旅行などの感想とが、綯い交ぜになっている。わざとそうしている。一日に日記風と感想とが一つずつ交互に記載するのがいいのだが、そうでない場合もある。
 私なりの構えた文章と日記風の文章とどちらか一方だけでは、自分でも疲れるし、嫌になってしまうから。もともと一つのことに入れ込むタイプの人間ではない。長期に結果として生涯こだわったものがあるとすれば、人間の作る組織というものに対する関わりである。私の場合はそれが社会運動としての労働組合であったと思う。政治組織はかなり近いところでジッと批判的に、そして自分のこだわりにしたがってある組織の崩壊と解体過程を見つめてきた。それが団塊の世代のもっとも時代の先端的な課題を探ろうとしていた組織だとその意志と意気に感じていたからだ。彼らは彼らなりに見事に今でも身を処していると思っている。

 しかし私個人の趣味としては一つのことに没入して一生ものというものはないし、これからも無いと思う。その様なものがあるとすれば、エッセイであり、評論である。これは自分を見つめるという観点から手放せない。また「芸」としての趣味はどうも好かない。勉強はして見たいし齧ってみたいとは思うが、それに自分をすべて同値することには耐えられない。
 生涯を終わるにあたって、自分が芸や趣味をとことん極めたことに満足を得るか、あるいは極めなかったことに後悔するだろうか・・。私はたぶんそのことは思い浮かべないと思う。
 あるとすれば人間の集団に対する寄り添い方への自分なりの誠実さを追求したか、ということに終始する感慨が、生涯を閉じるときに頭を駆け巡るかもしれない。それについては今もこれからも、自分なりに突き詰めてはいる。こだわりである。

 さて、そんな大上段に構えた話とはまったく関係のないところに話を持っていく。初めの思いつきの時には、出だしの話とこれから記載する話は繋がっていたのだが、その繋がりの環をキーボードを打っている間に忘れてしまった。忘れたということは、大した意味のない、単なる牽強付会・思い付き程度の論理だったのだろうから、忘れてもしょうがない。
 ここから本題である。手帳の話に、生涯を終わるときの想定エピソードなど鼻から関係なかった。そしてこんなに長文など必要ないのだが、いつの間にかA4二枚になってしまった。

 退職して、おととしの5月だったと記憶しているが、このスマホを購入した。そして現役の頃と違い手帳に予定を記すことも少ないと思い、スマホのスケジュール機能を利用して画面でスケジュール管理をしてきた。
 ところが、各種講座を受講するようになったり、退職者会の役員を引き受けるようになったり、同窓会の言いだしっぺになったりするうちにこのスマホのスケジュール管理が不便になってきた。
 スマホは常に身に着けて持ち歩くので、スケジュールを見たり、決まった予定を入力するのは簡単で楽である。これはとてもいいと思う。ところが、電話をしながら友人とスケジュールの話をしたり、予定を組むときに戸惑ってしまうのだ。
 予定表を見ながら電話をする、という行為ができない。電話をしているときはスケジュール表が参照できないのである。
 手帳ならば家に忘れてこない限り、手帳を見ながら電話をしたりメールを打つことができる。このことはもとより頭にはあったのだが、これほどスケジュールが立て込んでくるとは思いもしなかったというのが本当のところである。

 しかし今更1500円近くの金額を掛けて、現役の頃のような手帳を購入する気にもならない。12月から一か月ほどかけて手帳のコーナーを物色していたら、630円で文庫サイズの普通のノートのような表紙の手帳を見つけた。一週間見開きである。100円ショップのビニールの文庫本用のカバーすればちょっとした手帳に早変わりする。あるいは文庫本用の米沢織のカバーをすれば完璧にこだわりの手帳に見える。
 安いカバーと合わせて735円の贅沢を今年はしてみることにした。問題は常にこれを持ち歩く癖を身に着けないといけないということだ。
 いつもの17リットル用の小さなリュックに入れておけば良いというわけではない。妻と出かけたりする時や、団地の管理組合のお手伝いの打ち合わせやちょこっとした外出の時にも、この手帳を必ず身に着けて持参しなければ意味がない。もっと軽い別の小さなバッグなどを持つときにも忘れないようにすることが必要だ。
 そして昨晩2時までかかって、この新しく購入した手帳に3月末までの講座の予定などをごくごく小さいラベルに印刷して、これを手帳に貼って見た。
 見映えはなかなかいい。ハガキ大の用紙に39枚ものラベルがある型番も見つけた。とても重宝した。

 これでスケジュール表を見ながら日程設定ができる。いちいちいったん電話やメールを閉じてスケジョール表を確認してから、再度電話をかけなおしたりする面倒がなくなった。何より相手に迷惑を掛けなくて済む。時間もかからない。先ほど記載したようにあとは常に持ち歩く癖をはやく身に付けることが肝心である。


「三菱一号館美術館名品選2013

2014年01月05日 16時47分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年12月22日に「三菱一号館美術館名品選2013―近代への眼差し 印象派と世紀末美術」展を見てきた。三菱一号館美術館の収蔵品展であろうか。
 行って三点ほど心に残った。二点はカミーユ・ピサロの「窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木」(1887年)と同じく「エラニーのロックおばさんの農園」(1893年)。以前にも記載したが、私はカミーユ・ピサロの絵が好きである。生涯にわたる絵の全体像を見渡せる展覧会が行われないのはとても残念であるが、今のところ目にすることができる絵はみな気に入っている。
 あの明るい農村風景は見ていてとても落ち着く。構図へのこだわりなどは感じさせず、色彩があふれるように農村の家の周囲を描いている。大きな風景を描いているのは思い浮かべない。身の回りのいつも目に触れるありふれた情景を描いているのだが、これが何とも言えずいい。
 是非とも生涯の全体像が見通せる展覧会を希望したい。
 次に目にしたのが、オディロン・ルドンの「小舟」。



 ルドンの色彩のついた絵はこの「小舟」と有名な大作「グラン・ブーケ」の二点だけなのだが、それがかえってこの輝くような色彩を一層輝かせている。原色の赤と青と橙、そして白が何とも効果的に配されている。静かな物語を感じさせる、暖かい絵である。ルドンであるから、絵の背後、背景には物語の世界が深く広がっているのであろうが、それは私などにはわからない。しかし実に能弁にいろいろなことを感じさせてくれる絵である。女性二人なのか、青い服の人が男なのか、正しい答えはあるはずだが、そこまで詮索するのはとてももったいない。暗い海と小舟という舞台設定からは、不安の象徴も感じられるかもしれないが、黄色の帆の割合が大きく意外と安心感も感じる。そして花束と思われる丸い膨らみが温かみとともに二人の物語の結末を不安なく見せていると思うが作者の真の思いはどうなのだろうか。
 この絵は初めて見たような気がする。以前ルドン展があった時に展示されていたとすれば、見落としていたことになる。しかし今回この絵を見つけて、訪れた甲斐があったと思った。

横浜市歴史博物館古代史講座&近世史講座

2014年01月05日 12時02分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年11月に申し込んだ横浜市歴史博物館の古代史講座「古事記と日本書紀、律令、木簡など」(1回1テーマ・5回、講師=平野卓治主任学芸員、柳沼千枝学芸員)と近世史講座「神奈川浦と野毛浦~二つの入江・入海の江戸時代~」(講師=斉藤司主任学芸員)の受講が決まった。それぞれ5週間の連続講座で各2500円、1回500円。
12月20日に抽選結果を知らせると応募要領にあったが、20日過ぎても返信用の通知ハガキが来ないので諦めていた。クリスマスプレゼントのようなもの。

 横浜の吉田新田が作られる前の野毛周辺は湊として賑わっていたらしい。戸部村の出村として戸部の背後の山を越えて村が形成されていたと昔何かの講座で聞いたことがある。戸部から今の伊勢山皇大神宮を超えた地域であると私は理解した。
 さらに神奈川湊は神奈川宿の基になったのであろうと思うが、江戸時代は江戸への玄関口として、また今の三多摩地区からの物産の集積港として機能していたらしいとも聞いたことがある。江戸末期からの八王子街道は明治以降の産業の動脈となったが、その基礎は江戸初期に遡るかもしれないと考えているが、そこら辺のことをぜひ知りたいと思っていた。
 また江戸時代の地図をみると野毛と神奈川のほかに、今の横浜駅傍の平沼のあたりにも船が描かれていた記憶がある。これは不確かな記憶なので確かめる必要があるが、このあたりにも触れてもらって、江戸時代を通じたこの地域の物資の流れ、経済活動などがわかれば面白い。きっとそれは中世にも遡るものがあるかもしれない。

 二つとも受講できたので、5週間は歴史博物館に10時半から15時までいることになる。この日はオニギリのお弁当を持参することにしよう。