昔、10代になるかならないかの頃、ある人から「座右の銘」というのを聞いた。なんでも歴史に名を残す人は若いころから、それこそ20代の内から、この座右の銘を大切にして、自分で書いたものを額に入れて部屋に掛けたり、床の間につるして自戒とするのだ、と言われた。あるいは書の優れた人に頼んで書いてもらってもいいのだそうだ。そして私に「そのような座右の銘を自分で見つけなければならない」という。そして幕末維新のころに名を成した人は皆、そういうことをしていたのだと教わった。
しかしその人がそのような座右の銘を掲げているのを見たことはなかったし、そんな面倒なことをするなんてことは嫌だと直感した。そして学生時代にすっかり忘れてしまった。
額装にするほど字はうまくない。墨書したら、何て書いてあるか私自身も含めてだれも判読できないものになる。それ以前に「座右の銘」を考えたり探し出したりすること自体が面倒である。
大体歴史に名を残す人は、そのために座右の銘を考えたわけではないと思った。私からするとそんなことを考えている暇など考えもつかなかった。目の前にぶら下がったことを処理するのに精いっぱいで、20代~40代をいつも何かに追われるように日々を過ごしてきた。20代にそんなものを見つけ出して生涯それを指針にするという発想がまったく理解できなかった。
しかし50代になって病気をして一か月以上入院したとき、「自分は何を基準に生きてきたのかな」とふと病室で思ったことがあった。
処世訓なんて嫌いであったし、今でも嫌いだ。処世訓を「人生哲学」なんていいながら長々と人に説教を垂れる人など鼻から軽蔑してしまう。
だからそのとはそのまま大して気にもかけずそのまま放置をしていた。
退院してからしばらくしたとき、少しだけ年下の友人に「普段心に留めていることは何か」と聞かれたことがある。会議の後の疲れた頭を回復しようと、二人でにぎやかな居酒屋の片隅で溜息をつきながら飲んでいるときであった。ビルの地下の小さな居酒屋であった。
酔いが回り始めた頭で考えたが全然思いつかない。そして冒頭に記した、10代の頃のある人からの話を思い出した。こういう時にこそ「先輩」らしく「座右の銘」を応えるのが必要なのかな、ということがちょっと頭をよぎった。入院中に頭をよぎったことを思い出した。しかしそんな処世訓らしきものを偉そうに講釈するのはとても嫌だし、性分ではない。結局その時は「そんなものなどないよ」で話を逸らせた。
そんなことが頭に残り、それ以来「座右の銘」と何かを考えてみることにした。こんな私でもいくつか心にかけている言葉は、確かにあった。ところが、意外と思い出そうとしても思い浮かんでこない。何かことがあるときにふと同じようないくつかの言葉が、その時々の状況に応じてふと思い浮かんでいるのだと気が付いた。
今思いつくものは、
「人に頼るな」
「まず自分でやってみる」
「沈思黙考」
「偉ぶる人、心情をころころ変える人は信用しない」
「つまらないこだわりよりも、臨機応変・応用力」
「言葉に頼らず、体を動かしてみる。形に表してみる。」
「何でも否定する人は想像力の足りない人。話は聞いても信用しない」
「手取り足取りは却って不親切」
「今日できることは今日の内に片付ける」
「細かい指示をするよりも、まずはひとりでやらせる」
「食事とお酒と趣味、子育ては自分の金と時間で」
「借金は家のローン以外はしない」
「人に処世訓は垂れない」
「人の話はさえぎらずに、最後まで聞く。それから自分の意見を述べる」
「まずは肯定してみる。それから次に進む」
‥‥
同じようなものが並んでいたり、矛盾しているものが並んでいたりするのは、ご愛嬌ということでお許しを。
もっといろいろとことあるごとに頭をよぎるが一日経つと忘れてしまう。昔の偉い人は良く覚えているものだと感心したり、一つの言葉にこだわる姿勢は理解できないと思ったり、そんな処世訓に振り回されてたまるかという反発があったり、こんなことを繰り返した。
定年を前にして、支部長の退任あいさつを支部大会でしたり、職場で退職のあいさつをしたりするときに、何か短い言葉で気の利いたことを口にしなくてはと思ったが、なかなか思いつかない。長いものは下手をすると誰かを傷つけるかもしれない、とも思った。しかし四字熟語では誤解も生ずるかもしれない。悩んだ挙句にもし聞かれたらということで、「沈思黙考ということがモットーでした」が一番いいかな、ということで落ち着いた。しかし実際はそんなことを表明する場面など無くてホッとした。
今の時点で、もしも人に聞かれたら自分はいつもこう思って生きてきたという気持ちでこの「沈思黙考」を口にしてみようと思う。しかしこれで人に処世訓をたれたり、これ見よがしに書き付けて部屋に飾るなんてつまらないことはするつもりは毛頭ない。
通りがかり人様には、「普段の行動パターンと大いに違う」と突っ込みを入れられそうだが、本人は意外と突発的には動いていない。どんな場合でもそれなりに用意周到なつもりである。
しかしその人がそのような座右の銘を掲げているのを見たことはなかったし、そんな面倒なことをするなんてことは嫌だと直感した。そして学生時代にすっかり忘れてしまった。
額装にするほど字はうまくない。墨書したら、何て書いてあるか私自身も含めてだれも判読できないものになる。それ以前に「座右の銘」を考えたり探し出したりすること自体が面倒である。
大体歴史に名を残す人は、そのために座右の銘を考えたわけではないと思った。私からするとそんなことを考えている暇など考えもつかなかった。目の前にぶら下がったことを処理するのに精いっぱいで、20代~40代をいつも何かに追われるように日々を過ごしてきた。20代にそんなものを見つけ出して生涯それを指針にするという発想がまったく理解できなかった。
しかし50代になって病気をして一か月以上入院したとき、「自分は何を基準に生きてきたのかな」とふと病室で思ったことがあった。
処世訓なんて嫌いであったし、今でも嫌いだ。処世訓を「人生哲学」なんていいながら長々と人に説教を垂れる人など鼻から軽蔑してしまう。
だからそのとはそのまま大して気にもかけずそのまま放置をしていた。
退院してからしばらくしたとき、少しだけ年下の友人に「普段心に留めていることは何か」と聞かれたことがある。会議の後の疲れた頭を回復しようと、二人でにぎやかな居酒屋の片隅で溜息をつきながら飲んでいるときであった。ビルの地下の小さな居酒屋であった。
酔いが回り始めた頭で考えたが全然思いつかない。そして冒頭に記した、10代の頃のある人からの話を思い出した。こういう時にこそ「先輩」らしく「座右の銘」を応えるのが必要なのかな、ということがちょっと頭をよぎった。入院中に頭をよぎったことを思い出した。しかしそんな処世訓らしきものを偉そうに講釈するのはとても嫌だし、性分ではない。結局その時は「そんなものなどないよ」で話を逸らせた。
そんなことが頭に残り、それ以来「座右の銘」と何かを考えてみることにした。こんな私でもいくつか心にかけている言葉は、確かにあった。ところが、意外と思い出そうとしても思い浮かんでこない。何かことがあるときにふと同じようないくつかの言葉が、その時々の状況に応じてふと思い浮かんでいるのだと気が付いた。
今思いつくものは、
「人に頼るな」
「まず自分でやってみる」
「沈思黙考」
「偉ぶる人、心情をころころ変える人は信用しない」
「つまらないこだわりよりも、臨機応変・応用力」
「言葉に頼らず、体を動かしてみる。形に表してみる。」
「何でも否定する人は想像力の足りない人。話は聞いても信用しない」
「手取り足取りは却って不親切」
「今日できることは今日の内に片付ける」
「細かい指示をするよりも、まずはひとりでやらせる」
「食事とお酒と趣味、子育ては自分の金と時間で」
「借金は家のローン以外はしない」
「人に処世訓は垂れない」
「人の話はさえぎらずに、最後まで聞く。それから自分の意見を述べる」
「まずは肯定してみる。それから次に進む」
‥‥
同じようなものが並んでいたり、矛盾しているものが並んでいたりするのは、ご愛嬌ということでお許しを。
もっといろいろとことあるごとに頭をよぎるが一日経つと忘れてしまう。昔の偉い人は良く覚えているものだと感心したり、一つの言葉にこだわる姿勢は理解できないと思ったり、そんな処世訓に振り回されてたまるかという反発があったり、こんなことを繰り返した。
定年を前にして、支部長の退任あいさつを支部大会でしたり、職場で退職のあいさつをしたりするときに、何か短い言葉で気の利いたことを口にしなくてはと思ったが、なかなか思いつかない。長いものは下手をすると誰かを傷つけるかもしれない、とも思った。しかし四字熟語では誤解も生ずるかもしれない。悩んだ挙句にもし聞かれたらということで、「沈思黙考ということがモットーでした」が一番いいかな、ということで落ち着いた。しかし実際はそんなことを表明する場面など無くてホッとした。
今の時点で、もしも人に聞かれたら自分はいつもこう思って生きてきたという気持ちでこの「沈思黙考」を口にしてみようと思う。しかしこれで人に処世訓をたれたり、これ見よがしに書き付けて部屋に飾るなんてつまらないことはするつもりは毛頭ない。
通りがかり人様には、「普段の行動パターンと大いに違う」と突っ込みを入れられそうだが、本人は意外と突発的には動いていない。どんな場合でもそれなりに用意周到なつもりである。