昨夜1時半過ぎに外に出て空を見上げたが、ほんの少しばかり湿り気を感じたが、雪は舞い落ちてきていなかった。お風呂で30分ほど温まってそのまま寝てしまった。朝8時過ぎに玄関の外に出てみたが、雪の痕跡はどこにもなし。私はホッとしたが、妻はつまらないと愚痴っていた。
昨日は夕刻、団地の管理組合の大規模修繕工事に関する打ち合わせ会議。小泉構造改革による建設業業界の後遺症と東北の大震災そしてアベノミクスによる負の影響が職人確保の問題として表れてきている。4月からの消費税アップの影響も出ている。前者は工期の遅れの懸念として、後者は追加工事の処理問題で。
アベノミクスなどと浮かれていても、国土強靭化などといっても、産業構造や労働政策の基本や長期的な視点が抜けている。労働態様の規制緩和で労働条件が悪化の一途の上、先端の技能労働者の質と量の確保などが出来ていない。
これに東京オリンピックなどで東京に建設ラッシュが起きれば東北の震災復興はさらに遅れる。われわれの生活に密着し、そこに根を下ろし少子高齢化社会を見越した建設業界の持続的な体質改善が本来はかられなければならないはずであった。そこに着目している当該の先見の明のある経営者達がいることは知っているが、この大きな流れの中で身を処するというのはなかなか難しいらしい。
しかし細川護熙と小泉純一郎の都政の展望を抜きにした野合、舛添要一、宇都宮某、田母神某という、この選択肢なき選挙というのもひどいものである。いつから都知事選挙はこんなになったのだろう。
こんな選挙しかできないなら、23区をまとめる東京市が出来た方がまだいい選択ができる可能性が生まれるかもしれない。地方自治というものの根幹が今問われているのではないだろうか。少子高齢化社会に対処できる財政・都市基盤・福祉・教育・文化・医療・ヒートアイランド‥課題は山積みになっているはずだ。人の削減や財政支出の抑制だけでは何の解決にならない。領土問題や外交が都政の直接の課題ではない。自治体固有の課題が人選の中でまったく浮上してこない。大阪都構想などのなれの果てもこの東京都の今の姿なのかもしれない。
小泉ではなく細川が立候補していることに一縷の望みを託す人の気持ちもわからないではない。少なくとも細川は知事経験はある。地方自治の素人ではないと思われる。知事選の争点が原発を掲げることで都政の課題に結び付けられるのか、都政の課題・地方自治の課題が原発と結びついて語られるのか、お手並み拝見はしたいが、期待は大きくない方がいいようだ。
神奈川知事選挙や横浜市長選挙にこのような様相が表れたら、私は逃げ出したくなる。
不毛な選挙戦が騒がしく、そして極めてあやうい方向に人を踊らせる。明るさのすぐ後ろに戦争が見え隠れしていないか?
貧富の差が極端に拡大しているとき、ナショナルな課題を浮上させることは一流の政治ではない。根本の解決が必要である。ナショナルな課題が噴出しているときにこそ、政治家は冷静に相手の懐に飛び込んで話し合いをしなければならない。今の中・韓・日、どの指導者もその能力にかけている。
次のような言葉を探してみた。この三つの国家の今の不幸が将来の不幸につながらないことを切に願っている。私たちは踊らされてはならない。私はこれらの言葉すべてに同意するわけではない。特に最後の言葉の「地球に持て」という表現はビンと来ないがそれでも後半の「魂を国家に管理させるな」はとてもいい言葉である。
・「世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るであろう。」マハトマ・ガンディー
・「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出てゆく。」チャールズ・チャップリン
・「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな。」ジミ・ヘンドリックス
次のような言葉もあった。
・「握り拳と握手はできない。」マハトマ・ガンディー
この言葉には前後の引用がほしいところだ。私はマハトマ・ガンディーの強さは「濁り拳も包み込んで握手する」ことではなかったのか?と感じていた。
この言葉を、拳を振り上げてきた相手に対して、条件反射のように拳を振り上げてしまい、それを振り下ろす言いわけに政治家が使わないよう、切に望みたい。この言葉は、イギリスの植民地支配を正当化する姿勢・圧力に対する言葉であったと思う。力の政策に対する告発の言葉であったろう。
昨日は夕刻、団地の管理組合の大規模修繕工事に関する打ち合わせ会議。小泉構造改革による建設業業界の後遺症と東北の大震災そしてアベノミクスによる負の影響が職人確保の問題として表れてきている。4月からの消費税アップの影響も出ている。前者は工期の遅れの懸念として、後者は追加工事の処理問題で。
アベノミクスなどと浮かれていても、国土強靭化などといっても、産業構造や労働政策の基本や長期的な視点が抜けている。労働態様の規制緩和で労働条件が悪化の一途の上、先端の技能労働者の質と量の確保などが出来ていない。
これに東京オリンピックなどで東京に建設ラッシュが起きれば東北の震災復興はさらに遅れる。われわれの生活に密着し、そこに根を下ろし少子高齢化社会を見越した建設業界の持続的な体質改善が本来はかられなければならないはずであった。そこに着目している当該の先見の明のある経営者達がいることは知っているが、この大きな流れの中で身を処するというのはなかなか難しいらしい。
しかし細川護熙と小泉純一郎の都政の展望を抜きにした野合、舛添要一、宇都宮某、田母神某という、この選択肢なき選挙というのもひどいものである。いつから都知事選挙はこんなになったのだろう。
こんな選挙しかできないなら、23区をまとめる東京市が出来た方がまだいい選択ができる可能性が生まれるかもしれない。地方自治というものの根幹が今問われているのではないだろうか。少子高齢化社会に対処できる財政・都市基盤・福祉・教育・文化・医療・ヒートアイランド‥課題は山積みになっているはずだ。人の削減や財政支出の抑制だけでは何の解決にならない。領土問題や外交が都政の直接の課題ではない。自治体固有の課題が人選の中でまったく浮上してこない。大阪都構想などのなれの果てもこの東京都の今の姿なのかもしれない。
小泉ではなく細川が立候補していることに一縷の望みを託す人の気持ちもわからないではない。少なくとも細川は知事経験はある。地方自治の素人ではないと思われる。知事選の争点が原発を掲げることで都政の課題に結び付けられるのか、都政の課題・地方自治の課題が原発と結びついて語られるのか、お手並み拝見はしたいが、期待は大きくない方がいいようだ。
神奈川知事選挙や横浜市長選挙にこのような様相が表れたら、私は逃げ出したくなる。
不毛な選挙戦が騒がしく、そして極めてあやうい方向に人を踊らせる。明るさのすぐ後ろに戦争が見え隠れしていないか?
貧富の差が極端に拡大しているとき、ナショナルな課題を浮上させることは一流の政治ではない。根本の解決が必要である。ナショナルな課題が噴出しているときにこそ、政治家は冷静に相手の懐に飛び込んで話し合いをしなければならない。今の中・韓・日、どの指導者もその能力にかけている。
次のような言葉を探してみた。この三つの国家の今の不幸が将来の不幸につながらないことを切に願っている。私たちは踊らされてはならない。私はこれらの言葉すべてに同意するわけではない。特に最後の言葉の「地球に持て」という表現はビンと来ないがそれでも後半の「魂を国家に管理させるな」はとてもいい言葉である。
・「世界の不幸や誤解の四分の三は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解したら消え去るであろう。」マハトマ・ガンディー
・「私は祖国を愛している。だが、祖国を愛せと言われたら、私は遠慮なく祖国から出てゆく。」チャールズ・チャップリン
・「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな。」ジミ・ヘンドリックス
次のような言葉もあった。
・「握り拳と握手はできない。」マハトマ・ガンディー
この言葉には前後の引用がほしいところだ。私はマハトマ・ガンディーの強さは「濁り拳も包み込んで握手する」ことではなかったのか?と感じていた。
この言葉を、拳を振り上げてきた相手に対して、条件反射のように拳を振り上げてしまい、それを振り下ろす言いわけに政治家が使わないよう、切に望みたい。この言葉は、イギリスの植民地支配を正当化する姿勢・圧力に対する言葉であったと思う。力の政策に対する告発の言葉であったろう。