Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「地中に埋もれた江戸時代の道具たち」展

2014年01月28日 23時26分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 神奈川県立歴史博物館で「眞葛焼」展と同時開催で、「地中に埋もれた江戸時代の道具たち」展を開催していた。遺跡からの出土品から神奈川県下の町と村の暮らしぶりを浮き彫りにしようという展示である。
 私の目的は眞葛焼であったが、この展示も見てきた。この展示室を見てからでないと眞葛焼展が見られない仕組みになっている。
 私が小さい頃はまだ明治時代以前に生まれた方もまだいたし、明治初めの頃は江戸の雰囲気を色濃く残していたから、江戸時代というのはそんなに遠くの歴史のかなたの世界ではなかった。私が生まれたからすでに62年。明治末年生まれの人もすでに100歳を超えることになり、明治時代すら遠い世界である。江戸時代の記憶はもうすでに無くなっている。
 江戸時代というものが、いくら書物が豊富に残されていても、生活ぶりをうかがうものは遺跡から発掘されたものなど考古学の世界になってしまったのかもしれない。
 そういう私も江戸時代の世界はとても想像できない。落語や芝居や小説で聞いていても、今住んでいる世界のあり様とはかけ離れているということも、共通するものがあるということも、どちらもよく理解できていないのではないだろうか。

 そういった意味で今回の道具から生活を想像することを目的とした展示というのは面白い。普段テレビや映画で見る江戸時代というものが、現実の江戸時代とはかなり違うということも実感できる。
 速足の見学ではあったが、刺激はいろいろあった。無料の配布された28ページものパンフレットももらったので、これからじっくり目を通して勉強しようと思う。

   




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神奈川県立歴史博物館「眞葛焼」

2014年01月28日 22時14分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜が開港となったころ、横浜ではじめられた陶器が眞葛焼と云われるもの。始めたのは初代宮川香山と名乗り、後に帝室技芸員となった眞葛虎之助。京都のの陶工であったが、1972(明治4)年に横浜に眞葛窯を作り、ヨーロッパ向けの輸出陶磁器を制作したのが眞葛焼の始まりとなった。
 四代目宮川香山まで続いたが、1945(昭和20)年の横浜大空襲で被害を受け戦後の再興が敵わず途絶えたという。
 初代宮川香山の陶磁器のことを私が知ったのはもう20年も前であったと記憶している。開港後の横浜の歴史をかじった時にその名と作品のいくつかを写真で見た記憶がある。場所はどこだったか記憶にはない。
 はじめ写真で作品を見たときはあまりに技巧を凝らした装飾過剰で耳目を驚かすだけの作品と感じ、特に興味は惹かなかった。
 その後、神奈川県立歴史博物館に幾度か通ううちに、明治初期の日本のもっとも重要な輸出産業産物のひとつであったこと、洗練されたヨーロッパ調の意匠に通ずるものであること、ヨーロッパのジャポニスムの重要な要素であったこと、アールヌーボーに大きな影響を与えたことなどを知った。それでも技巧過多で芸術的には今一つ、という印象は拭い去ることはできなかった。
 本日初めて実物を見て、写真で見る通りいわゆる「高浮彫」の華麗な立体装飾技法をどのように身に着けたのか?という疑問とともに、その高度な技法にこだわり続けた宮川香山という人物に多少の興味は湧いてきた。確かにその実物を見ると圧倒される技法であることは間違いがない。
 今の世でも猫好きには特に人気があるらしい、猫のうづくまった把手付の水差しは有名であるが、他に風神雷神が彫り込まれた花瓶、鶉が浮き出る花瓶、蟹が淵を這う水盤などが有名である。しかしチラシにもあるように動物とともに浮彫にされた花の紋様がとても印象的である。この紋様がヨーロッパで珍重された根拠のような気がする。
 しかしジャポニスムからアールヌーボーへとヨーロッパの志向が変更するに従い、輸出が減少し、新しい様式への試行が開始され、宮川香山の作品も1990(明治20)年代以降大きな変容を強いられたという。
 私はこの時期にこの変容を受け入れ、新しい作品を生み出した宮川香山という人の力量というか執念はすごいと思った。この時期のものを「釉下彩」の技法というのだそうだ。図様を描いてから透明釉をかけて焼く技法というが、詳しいことは私にはわからない。しかし釉薬の研究を重ね新しい表現を獲得した執念はすごいものだと思う。
 実は本日初めてこの転換した作風の作品を見て、これが初代宮川香山という人の本領のような気がした。パンフレットの2ページ目の「紫釉盛絵杜若瓶」という作品など、とても美しい作品に仕立てられていると感じた。同時に世に有名な蟹が縁を這う水盤の作品が最晩年であることも知った。同じくパンフレットの2ページ目の下に並んでいるそれは、蟹については明治前期の高浮彫の技法だが、その蟹を除けば荒い生地など現代人好みの器に通じる作品である。
 このような技巧にこそ宮川香山という人の本領が発揮されたのではないか、と感じた。耳目を驚かす作品を作っただけの人ではなかったようだ。
 このことを本日認識することができた。

            


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