Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の夕食とお酒

2014年01月13日 23時13分08秒 | 料理関連&お酒
 本日は妻と御茶ノ水まで出向いたので、帰りに東京駅の全国の駅弁を扱っているコーナーで駅弁を購入してきた。



私が購入したのは、「ぶりかまステーキ弁当」980円也。富山駅の弁当ということだ。これはとてもおいしいものであった。
 ぶりの切り身が3切れ。どれも柔らかくいかにも上質なぶりを焼いたもののような味わい。味付けもくどくなくてよかった。
 酢飯を使用している点、そして特に、その酢飯の上に含め煮のワカメがふんだんに載っているのがいい。このワカメがおいしさの秘訣かと思った。ワカメの柔らかい触感とぶりの触感が不思議に合う。甘酢の生姜の千切りとラッキョウのワイン煮というのが面白い。山椒の粉がついていたが、これは私の好みではないので、使用しなかった。 そして原材料名に比較的に合成のものが少ないように見受けられる。これもなんとなく好感が持てた。もっともそのような人工的なものが一切ないのがいいに決まっているが、駅弁という日持ちしなくてはいけないことを考慮するとなかなかそうはいかないのであろう。しかしできるだけ下手なものをいれないでほしいと思う。



 妻が購入したものは、札幌駅の「海鮮七福弁当」1000円也。海鮮弁当は数多くあり競争は厳しいと思われる。貝のヒモが売りかもしれない。ただ原材料にはかなりの人工物が使われていた。これはちょっと気になった。

 家についてみると先輩の方から日本酒四合瓶が2本宅配便で届いた。これにはビックリ。2本とも山形のお酒である。さっそく電話をしてお礼をいった。仕事以外の付き合いの先輩からだが、先輩から貰ってしまっては、後輩の私としてはとても立場もないし、かといってお返しをするというのもどもう私のこれまでの現役のころのことを考えるとうまく想定できない。
 さて貰ったものはとてもいいお酒である。とてもうれしい。今度会ったときに私の支払いを多くすることで許してもらおうと思う。

   

 本日封をきったのは、鯉川という銘柄のお酒。
ぬる燗用の酒ということだが、本日はストーブをつけた常温、18度位にして飲んだ。
 刺身やお寿司、味付けの淡い料理に合わせるといということで、妻の弁当にはうってつけのお酒となった。私のぶりかまステーキ弁当もワカメがツマミとしてもとてもよかった。また飲んだ後に食すには確かに酢飯はよく合った。
 鯉川酒造の会社のホームページを見ると、
「製造部長の高松氏42歳蔵人の平均年齢も30.7歳と若い蔵人6人を中心として800石を製造しております。仕込みに関しては、山形酵母を使用し仕込水に関しては上水道と月山水系の伏流水を使い分け醸造しています。鯉川酒造と特徴としては、先代の佐藤淳一氏が54年に庄内町(旧余目町)の小出新田の阿部家、阿部亀治氏の子孫が守り続ける種籾を分けて頂き56年から復活栽培を初め、58年に『夏子の酒』に掲載され一躍『亀ノ尾』の酒が脚光を浴びる。現在は『山田錦』以外の米は地元産の米に拘り、お酒の酒質としても純米酒に力を入れお燗しても美味しい酒質を製造しています」と記載されている。
 燗酒というのは最近まったく飲んだことがないので、明日はちょっとだけ燗をしてみようかと考えてみた。

不信心極まるような‥

2014年01月13日 21時58分27秒 | 山行・旅行・散策
 正月三が日は妻に連れられて6か所も初詣なるものに出かけたのだが、本日も妻に誘われて出かけた。
 妻は正月に玄関扉にかけた正月用の飾りを焚いてもらえるところに行きたいという。仙台出身の妻は、仙台では大崎八幡神社で毎年正月14日の夜に正月の飾りなどを燃やすどんと祭の思い出があるようだ。そういう私も学生のころ見学に訪れたことがある。裸の氏子が練り歩き、大きな炎で飾りを燃やす光景はなかなか壮観であった。深夜まで高く上がる炎を見ながら境内にいたが、炎というのは心が落ち着く。遠い昔から炎に対する人類の感情が根っこにあるのを思い出させる。
 キャンプをしたり、山で食事を作ると、炎と向かい合う時間を作ることができる。特に自然の中で炎を見つめていると、心が落ち着きいろいろな想念が駆け巡ってくる。
 むかしある労働争議の支援で会社の敷地を組合管理しているとき、一斗缶でたき火をしながら夜通し警備するのに付き合ったことがある。不思議なことに、初めての顔合わせであったが、当該の組合員や役員の方とざっくばらんにいろいろなことを話すことができた。昼間の公式の支援会議ではなかなか口に出せないような、争議や生活に対する不安、支援者の本音が聞きたいなどなかなかいい会話が出来たと思った。より身近にその争議組合の存在を肌で感じ取ることができた。
 炎というのは、人に本音を語らせ、互いの胸襟を開かせるものがあるかもしれない。そういえば夏の花火などもその変形かもしれない。妻があのどんと祭を懐かしむ気持ちが理解できる。
 そんなことを考えて、昼間だからその炎は見えないが、それに繋がる行為に快く付き合うことにした。といってすぐにどこの神社がいいなどとは思いつかない。妻は神田明神に行ってみたいと言い出して、それに従った。
 まず神田明神がどこにあるか地図で調べて、秋葉原駅から歩くことにした。一駅先の御茶ノ水駅まで行くと90円も余計にかかるという単純な計算である。

   

 不思議な街、秋葉原電気街から神田明神通りをのぼり、にぎやかな神田明神にたどり着いた。明るい境内には実にいろいろな神社が合祀されている。江戸っ子らしい合理的というか、せっかちな神頼みなのか、実に欲張ったものである。境内には銭形平次碑もあり、その隣には八五郎の小さな碑まであるのはご愛嬌。神事ということを除いても楽しい散策ができるようになっている。
 焚き上げのためと思われる一角に正月用の飾りを収めるて、境内を後にした。



 そのあとは湯島の聖堂に初めて足を踏み入れてみた。孔子廟は韓国でもベトナムでも重要な信仰施設でもあるが、日本では実に簡素な佇まいとなる。本日も訪れる人はごく少ないようでがらんとした敷地はとても寂しかった。
 御茶ノ水駅のすぐ前でランチを食してから、腹ごなしを兼ねて今度はニコライ堂を通って東京駅まで歩くことにした。



 ニコライ堂の横を通った時、ニコライ堂はいつも外から見るだけで一度も中を見たことがないということで、中に入らせてもらった。1923年の関東大震災で倒壊したものの6年後に再建されたこの聖堂は1962年に国の重要文化財に指定されている。松本俊介の絵にも出てくる建物で、外観はとても美しいビザンティン様式である。300円なりを支払って拝観させてもらった。特にミサなどは行われていなかったが、内部から見る塔の突き上げるような高さ、美しいステンドグラスを見るだけでもいいものである。蝋燭の炎に照らされるイコンも美しい。
 しかし神田明神という神社、孔子を祀る湯島聖堂、そしてニコライ聖堂と、これではいくらなんでも不信仰の塊、不信心の証である。お寺に寄らなかったのが不思議な気もするほどである。
 ここまでしては神もなにもあったものではないだろう。私の不信心・不信仰がさらに募って不敬になると困るが、しかし自分を静かに見つめる場としての祈りの場というのは、雰囲気は嫌いではない。否、騒がしい街の喧騒を離れて自省の場としては貴重な場所なのかもしれない。




成人式の思い出

2014年01月13日 19時19分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は成人式ということになっている。成人式とは無縁な私であったし、これからも理解できない行事であることに変わりはない。どうもあのように皆が同じような着飾り方をする式典・行事というのに嫌悪感を抱いてしまう。あくまでも個人的な感想であるが。
 そんなことよりも、20歳という極めて私的な祝い事を、法的な権利義務の発生ということにかこつけて国家や行政というものがそこに関わってくるということにどうしても馴染めないのだ。国家の構成員であることをあらためて認識させるための儀式となっている。国家への帰属意識というのは国民国家としては重要な課題であるが、戦後の国家体制への違和感が強い人間の多い世代には、耐えられない押しつけなのである。それらの多くはすでに還暦を過ぎ、古稀に近くなって、成人式の頃の思いからは遠ざかっているが、違和感は抱え込んでいる。私はこの違和感には最後までこだわりたいと思っている。

 私が成人式の日、当時は仙台に住民票を移していた。そして住んでいた一人用の安アパートに成人式の案内はきていた。しかしそれは無視をした。そのまま新聞紙の束の中に放り込んで捨ててしまった。
 そして大学は正月明けから学費問題と学内問題がこじれて月末からバリケード封鎖になった。当時の成人式は15日であったが、記録によれば確かそのころはバリケード封鎖の前段の、自治会選挙の最中であったと思う。ビラ配りのために学校に行く途中で、当時の仙台市の成人式の会場である川内の青葉城址の下の大橋という橋のそばにあるスポーツ会館という施設だったと思うが、そこを歩いていると成人式会場から晴れ着姿の女性と黒い礼服姿の男性が大勢出てきた。その中に生まれたばかりのような赤子を抱いた振り袖姿の女性がいたのを鮮明に覚えている。その女性が赤子をあやしながら歩きにくそうに、バス停まで行く姿がとても印象的であった。
 私は自分の関わっている運動が、この赤子を抱えた女性の生活感あふれるたくましい仕草にはかなわないとあらためて思った。しかし関わりをやめようとは思わなかった。この運動の先にどこかで交わるものを夢想していたからかもしれない。この敵わないという思いが、その後の私の行動や内省のバネになったことだけは確かなことだ。
 その晩は確か、学内のサークル室かどこかで、ひとりで安い燗酒を飲みながら自分の関わっているバリケード封鎖に向かう運動の行く末への不安と、自分の生き方の不安に浸りながら、寝袋で寝てしまったことをようやく昨晩思い出した。ツィッターではバリケードの中で寝たと記載したが、まだそれ以前の状況であった。

 大都会で催される成人式というもの、もうそろそろ一区切り、廃止をしてもいいのではないだろうか。家族の中だけではない、成人という通過儀礼が必要というならば、もっと小さい単位の地域や集団を基本に、人の顔が見える範囲でするのがいいような気もする。
 むかし横浜市で「区長にも自治体首長並みの権限を」といって当選した中田市長は、横浜市主催の成人式だけは各区主催にすることは絶対にしなかった。自分の政治宣伝として自分の挨拶・メッセージを投票権をもつ新成人にどうしても届けようとする我執を捨てることはなかった。つまり成人式を政治宣伝の場として徹底的に利用した。言っていることとやっていることの徹底的な乖離、これを人には見せないように振る舞うのが政治家と思っている。随分自分勝手な政治家との印象を、当時私はさらに強めた。多分今の橋本大阪市長も同様であろう。中田が属する党の代表である。
 国家や行政に、あるいは政治家にこの成人式を利用させない方法を考えた方がいい。学区単位でやるのもいいだろう。何か別の方法があった方がいい。