Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「ピアノ四重奏曲第3番」を聴きながら‥

2016年03月01日 23時13分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日からブラームスのピアノ四重奏曲を聴いているが、3曲の内第3番に惹かれているのを感じている。昔は3曲、特にどれがいいということはなかった。何回か聴いているうちに不思議に第3番を聴いている。
 構想されたのが同時期といっても、完成までに多くの時間がかかっているために若い頃の書法よりはより進化しているのであろう。
 第1楽章の暗くくぐもったような出だし、そして浮かび上がってきそうですぐに水の底に潜ってしまうようなメロディーが続いていく。堂々巡りをしているようなもどかしさもある。
 第2楽章はスケルツォでリズミカルなのだが、ヴァイオリンの高音に抜けるような明るさがない。長調に転調するトリオは明るい、と解説に記されているが私には明るさが無いうちに終わってしまうようなやるせなさを強調しているように思える。
 第3楽章もまた第1楽章を引きづるようなチェロのソロが印象的である。ヴァイオリンとヴィオラに引き継ぐ旋律も弱音で陰鬱である。
 第4楽章に至りようやくヴァイオリンの旋律にのびやかさが感じられるが、ピアノの伴奏によって打ち消される。ピアノの下降音階が沈潜的な雰囲気を強調している。

 青春時代の総括というのは、明るく華やかなものとしては記憶に残るものなどない、ということがこれまでの私を規定してきたと思っている。記憶に残るのは暗く、混沌とした情念と、生そのものへの憎悪に近い苛立ちである。そんな情念を思い出させてくれる曲があるとそれに限りなく親近感を覚える。それが私のブラームスに対する一方的な思い入れであったとしても構わない。
 多分第3番はそんな気分を醸し出してくれるから、他の2曲に比べて惹かれるのだと思う。それ以上の分析にはまだまだ時間がかかりそうだ。

50年ぶりに神奈川県立図書館

2016年03月01日 19時31分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では朝には雨も風もおさまり、最高気温は9.7℃と10℃に届かなかったものの、穏やかな日となった。

 午後から久しぶりに桜木町の傍の紅葉坂まで歩き、神奈川県立図書館に出かけた。中学2年か3年の時にクラブ活動の一環で天文関係の図書を求めて訪れた時以来50年ぶりである。その時は必要な図書は無く、そのまま接点は無くなっていた。その頃の図書館内がどんな風になっていたか印象はまったく無い。多分、受付のところで書名を言って在庫の本が無いことを確認してそのまま退出したのだと思う。欲しかった本は江戸時代の渋川春海の伝記が欲しかったのだと記憶している。伝記がないことを確かめて、そのまま文化祭のテーマを岩石・鉱物関係のテーマに変更したこともあり、指導教官に対する幻滅もあり、クラブに対する思い入れも無くなってしまった。



 さて、県立博物館は横浜市の18区に展開する図書館とは違い閲覧スペースも広く、静かで昔の図書館のイメージ通りである。訪れている人も多くない。読書環境としては優れている。とりあえず、カードを作成してもらった。
 公開している図書の書架も、区に展開している市の図書館よりもたくさんある。だが、市の中央図書館と比べて充実度はどうなのか、書架にない図書の充実度などは実際に必要になった書籍を探す中で判断せざるを得ないようだ。本日確認した範囲では、美術関係の図書、特に美術展の図録はかなり充実しているように見受けられた。これからネットでの登録をしてみるつもりである。

 横浜市の各区にある図書館、市の中央図書館、神奈川県立図書館そして家から一番近い神奈川大学の図書館、それぞれの特徴をうまく活かして利用したいものである。神奈川大学の図書館が、私は貸出対象ではないということが残念である。

「恩地孝四郎展」(その8)

2016年03月01日 11時19分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 恩地孝四郎の遺作と云われる「イマージュ#9 自分の死貌」(1954.11)。



 自らのデスマスクともいうべき題をつけた遺作というのは度肝を抜かれた思いで見つめた。
 亡くなったのは1955年6月であるが、1954年の年頭には死を予見していたようである。年頭に「自分の死貌」と版画作品名と同じ題の詩を作っている。

またも死への憧憬--
朝の床で假想する、
手も、足も、のび切っている、
すつかり冷たく 固くなつている、
ああ 楽しい終止--私は見事にほくそ笑む
敗北だ、敗北をさえ意識しまい(ママ)敗北、
枕は北向
それは磁石の針と同じに

 さらに同名の版画作品が作られた後の作品ノートに
「これはある朝あけの床のなかでの半睡半眠の折の幻視。死を戀ふ気持ちのないでもない此頃、ふとみた幻である。」
と記している。

 どことなく甘美な死への憧憬などを思いつく。また恩地孝四郎と萩原朔太郎の影響などがふと思い出される。



 1951年に作品ですでに取り上げた「イマージュ#6 母性」との類似はすぐに気がついた。図録にもその指摘がされている。母体回帰というよりも私は、原点回帰という言葉の方がこの作家にとってはふさわしいと思った。母体回帰というとあまりに一般化しすぎている。個々の作家にとっての原点ともいうべき思惟、体験、作品創出の原動力は違う。その違いを思い浮かべながら、恩地孝四郎という作家の原点や、女性像の端緒を想像するのが、鑑賞でもある。そしてそれはなかなか文章表現にはならないもどかしさを伴っている。

風が強くなり、突然霰が降ってきた

2016年03月01日 00時39分18秒 | 山行・旅行・散策
 風が次第に強まっている。つい先ほどから風の音が耳につくようになってきた。朝よりも特段に強いようだ。強くはないが再び雨も降ってきた。
 北西の風のようだが、団地の号棟が東西に4列並んでいるので、団地の中では風は西から東に吹いている。
今0時半であるが、突然雨の音が大きくなったので外に確かめに行ったら霰交じりの雨である。北側、玄関側が白い霰が溶けずに残っている。
 こんなに荒れた天気になるとは思っていなかった。

 「レインアイよこはま」を見ると神奈川県の中央部、厚木の方で30ミリ近い雨が降っている。多摩地域の方から雨の区域が南下してきている。しばらくは雨ないし霰が続くようである。

 1時現在、霰から雪混じりの雨となった。風も少しおさまっている。しかし気温は低い。