Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやく雨は峠を越えたようだ

2016年03月28日 23時44分07秒 | 天気と自然災害
 「レインアイよこはま」の画面では横浜市の中央部から横浜港、本牧、磯子、金沢などの海沿いにかけて雨の区域があるが、時間雨量に換算して5ミリ未満の表示となっている。
 私の家の付近では突然のように強い雨音と雷に驚いた。雨は強弱を繰り返しながら次第に弱まっていったが、その後に雷が活発になりだした。久しぶりに雷光と雷鳴が同時というのが2~3回あった。
 雷鳴が近づいてきたので早目にテレビとパソコンの電源を切って、スマホで天候の情報を見ていた。

 このような雨と雷は局地的なのでおさまり始めれば早いが、見極めも難しい。昼間外を歩いている時でなくて良かったと思う。このような時はコンビニや、スーパー、銀行・郵便局などや、喫茶店に逃げ込むに限る。

モーツアルト「弦楽五重奏曲第1番、第2番」

2016年03月28日 22時51分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 久しぶりにモーツアルトを聴きたくなった。ひっぱり出して来たのは、「弦楽五重奏曲第1番、第2番」。演奏はメロス弦楽四重奏団の4人にもうひとりヴィオラ奏者を迎えている。録音は1987年。購入したのはCDの記載によると1992年頃のようだ。モーツアルトの弦楽五重奏曲はヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1である。ヴィオラ1のままチェロ2とする編成のクインテットもある。しかしハイドン以降でチェロが2台のクインテットはポッケリーニに110曲と、有名なシューベルトの1曲だけだそうである。ポッケリーニのクインテットは聴いたことはないが、シューベルトのクインテットは特にその編成について違和感は感じなかった。カルテットにヴィオラ1本増えただけと思われるが、耳に入ってくる音の厚みは格段に増すように感じている。
 モーツアルトは弦楽五重奏曲を全部で6曲作っている。そのうちこの第1番はモーツアルトが17歳の時に着手し改作が行われて完成したのは22歳。若い頃の作品。第2番は1787年31歳以降の完成らしい。モーツアルトにすれば晩年の作品といえるかもしれないが、原曲は1772年のセレナーデというから16歳の頃である。
 私は第1番と第2番には格段の差があるとように思う。第2番の方が聴いていて耳に心地いい。このCDを聴くときは、いつもは第1番を飛ばして第2番ばかりを聴いていたと思う。

強い雨と雷にびっくり

2016年03月28日 21時57分41秒 | 天気と自然災害
我が家の周辺はとても強い雨と雷に襲われている。警戒してテレビとパソコンの電源はオフにした。
本日はふとモーツアルトを聴きたくなって、弦楽五重奏曲を聴いていた。感想は雷が去ってから再度続きを書きたい。
雨は少しおさまったようだ。
しかし近い雷がまだ続いている。

土筆を発見

2016年03月28日 14時12分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 家の前が私の済む号棟のゴミ集積場になっている。その横の草むらに今朝になって土筆を見つけた。よく見るとスギナがあるので毎年土筆は顔を出していたはずだが、私も妻もまったく気がつかなかった。
 今のところに引っ越してきて35年は経つがこの玄関前に顔を出した土筆は初めて見た。団地の周囲の斜面などでは時々見かけていた。迂闊であった。
 この分ではウォーキングの折り返し地点の新横浜駅の傍を流れる鶴見川の堤防にも土筆がだくさん顔を出す時期である。堤防なので風が強くサクラも外よりは少しだけ遅く咲く。堤防の土筆はこれから生えてくるのではないだろうか。。
 数年に一回くらいは15~20本ほど摘んできて茹でたりすることもある。ゴミ置き場のすぐ横に生えた土筆なので食欲はわかないが、発見してうれしいもののひとつである。

「奇想の系譜」(辻惟雄)から「幻想の博物誌-伊藤若冲」

2016年03月28日 12時29分52秒 | 読書
 惹かれた部分をいくつか。
「(動植綵絵貝甲図)シュルレアリスムの作品を連想させるような、この驚くべきイメージは、まったく若冲のオリジナリティに属する」
「(動植綵絵の鶏の各図)応挙に比べるとはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ。‥「(動植綵絵群鶏図)では、抽象模様に置き換えられた羽根のパターンの幻想的な交響と‥トサカの、赤い妖星を思わせるフォルムの反復とが、制作意図のありかを示している。(南天雄鶏図)のシャモの異様な美しさも、彼の内的ヴィジョンの強烈さを物語る。」

 しかし「内的ヴィジョン」は具体的に言及はない。自分で考えなさいという投げかけとして、宿題として受け止めておきたい。

「「綵絵」の画面構成は‥一種の無重力拡散の状態に置かれているといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまのフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。‥(蓮池遊鮎図)の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、(老松白鳳図)の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のようにサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」

 しかし私は火星や海底都市やサイケデリックとまで連想しなかったが、確かに異様な印象は持っていて、その印象をどうとらえるか、言葉でどのように表現したらよいか、わからなかった。

「「綵絵」の画面空間にはまた、ひそかにこちらを凝視する〈眼〉あるいは、こちらの視線を誘引する虚ろな〈のぞき穴〉といったものが巧妙に隠されている。それは群鶏図のなかの鶏の眼のような、生きものの眼だけを意味するものではない。「薔薇小禽図」では、眩暈のするような、バラの花の絨毯模様のなかに組み込まれた無数の白い花がそれであり、「棕梠群鶏図」では棕梠の葉柄のつけ根に開けられた奇妙な小穴がそれであり、「雪中錦鶏図」では、融けかかった雪のまだらがつくり出す幻想的な模様のなかに刳り抜かれた穴がそれであり‥。こうした得体の知れない〈のぞき穴〉の謎解きは、深層心理学の助けを借りても容易ではあるまい。」

 ここもまた謎解きの宿題を課せられたようだ。しかしこの〈のぞき穴〉の指摘には驚いた。しかし画面いっぱいに広げられた無数の花や葉や雪などの装飾性豊かな繰り返しは無限の空間を暗示するだけでなく、若冲の眼、描く対象だけでなく鑑賞者の胸の内も射すくめるような鋭い何かを感じてしまうこともあった。それはこういう風に表現することもできるかもしれないと納得した。

 最後に若冲の水墨画についても指摘があり、「若冲一流のユーモアと風刺」という表現にとどまっているが、水墨画の鑑賞は読者に任されているようだ。