惹かれた部分をいくつか。
「(動植綵絵貝甲図)シュルレアリスムの作品を連想させるような、この驚くべきイメージは、まったく若冲のオリジナリティに属する」
「(動植綵絵の鶏の各図)応挙に比べるとはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ。‥「(動植綵絵群鶏図)では、抽象模様に置き換えられた羽根のパターンの幻想的な交響と‥トサカの、赤い妖星を思わせるフォルムの反復とが、制作意図のありかを示している。(南天雄鶏図)のシャモの異様な美しさも、彼の内的ヴィジョンの強烈さを物語る。」
しかし「内的ヴィジョン」は具体的に言及はない。自分で考えなさいという投げかけとして、宿題として受け止めておきたい。
「「綵絵」の画面構成は‥一種の無重力拡散の状態に置かれているといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまのフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。‥(蓮池遊鮎図)の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、(老松白鳳図)の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のようにサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」
しかし私は火星や海底都市やサイケデリックとまで連想しなかったが、確かに異様な印象は持っていて、その印象をどうとらえるか、言葉でどのように表現したらよいか、わからなかった。
「「綵絵」の画面空間にはまた、ひそかにこちらを凝視する〈眼〉あるいは、こちらの視線を誘引する虚ろな〈のぞき穴〉といったものが巧妙に隠されている。それは群鶏図のなかの鶏の眼のような、生きものの眼だけを意味するものではない。「薔薇小禽図」では、眩暈のするような、バラの花の絨毯模様のなかに組み込まれた無数の白い花がそれであり、「棕梠群鶏図」では棕梠の葉柄のつけ根に開けられた奇妙な小穴がそれであり、「雪中錦鶏図」では、融けかかった雪のまだらがつくり出す幻想的な模様のなかに刳り抜かれた穴がそれであり‥。こうした得体の知れない〈のぞき穴〉の謎解きは、深層心理学の助けを借りても容易ではあるまい。」
ここもまた謎解きの宿題を課せられたようだ。しかしこの〈のぞき穴〉の指摘には驚いた。しかし画面いっぱいに広げられた無数の花や葉や雪などの装飾性豊かな繰り返しは無限の空間を暗示するだけでなく、若冲の眼、描く対象だけでなく鑑賞者の胸の内も射すくめるような鋭い何かを感じてしまうこともあった。それはこういう風に表現することもできるかもしれないと納得した。
最後に若冲の水墨画についても指摘があり、「若冲一流のユーモアと風刺」という表現にとどまっているが、水墨画の鑑賞は読者に任されているようだ。